からめ

『衆人環視』(隠れオネェ×気弱男子)

 

 クドさんの首は太くて力強い。堅い骨の芯があって、少し熱い。馬乗りになって首を絞める体勢でそれを確認する。

「わかった、ありがとう」

 背を叩かれクドさんから降りると、クドさんは空を蹴り起き上がって遠くを見た。

「どうですか?」

「感覚は掴んだ」

 フィオーレ駅からバスで10分、駅前の簡易闘技場は夕方6時が混雑のタイミングで、僕たちの部屋を覗く人々の数からしてそれがわかる。皆、夜7時からのメイン試合を観に来たのだ。

 試合前に身体をほぐすため、または試合のない闘技士の練習場として、闘技場の一角には透明な仕切りのある幾つかの調整室がある。その一室に今、二人の男が入っていて。一人は人気闘技士のクドさん。一人はその付き添い、高校三年生一般人、僕。

 見学者にはクドさんの姿を見て足を止めた一般人と、ランキング上位者であるクドさんをわざわざ見に来ている他の闘技士達がいて、ガラス張りは人の顔で埋まっていた。

「やっぱクド格好良いわー」

「一緒にいる奴が子どもみてぇに見えるし」

「同じ男とは思えねーよな、俺等もクドの近く行ったらあんなんなっちゃうのかなー」

 イメージトレーニングを終え、筋力維持のメニューをこなし始めたクドさんの傍、記録用の機器を手に突っ立っているだけの耳に嫌でもギャラリーの声が届く。

「アレ何だ、弟子か?」

 アレ。

「あー、だとしたら、良く面倒見るよな、アレはヤバイ

「どう頑張っても芽ぇ出ないぞ?あんなの」

 あんなの。

「まさかの恋人だったりして」

「ゲイだもんなー、案外そうかもな」

 そうです。

「理解できねぇー!」

「ゲイって筋肉が好きなんじゃねぇの?」

「知らねぇよ」

「あんなんがいいのかよ?」

 そこで突然、メニューを止めたクドさんが話込んでいた二人の元、脚を進めた。仕切りの透明な板をコンコンと軽く叩く。軽口を叩いていた二人が青ざめた。皆の視線が集まり、緊張感が生まれた。

『恋人に文句を付けられるのは気分が悪い。やめてくれ』

 注意され、二人は額に汗を浮かべた。

「すみません」

「聞こえてるとは思わなくて」

 透明な壁の内と外はマイクとスピーカーで繋げられている。その場に居辛くなった二人が出て行くのを見ながら、僕は尻から腿に掛けて、軽くなったような感覚を味わった。弱者として生きて来た僕には理解できない流れ。嫌なもの、嫌な相手に追い立てられるのが日常。今のように、逆に相手が逃げて行くなんて。

「クドさん、そんな気を遣って頂かなくても……」

 消えそうな声で、やってしまった自己卑下。本当はありがとうと。身が縮まる思いをしていた。庇ってくれたんだねクドさん、大好き。と言いたかった。クドさんは苦い笑みを浮かべ、メニューに戻った。

 気を遣って頂かなくても、なんて。僕は庇われる程の者じゃないのに、というニュアンスだ。実際、そう思う。しかし、クドさんは僕を好いてくれているのだ。好きな人が自分に自信を持っていなかったら、その人を好きだと言っている自分は何なのか。そんな気持ちになるだろう。僕はクドさんを不愉快にしてしまったかもしれない。些細な事で、暗い気持ちになってしまう僕を、僕は大嫌いだ。

「センダック」

 呼ばれて、顔を上げるとクドさんは笑っていた。

「もうおまえを苛める奴はいない、俯くな、顔を見ていたい」

「……」

 ひゃぁぁあ、という声が周りで聞こえた。部屋の音が筒抜けになっていることを思い出した。クドさんのファンが身悶えていた。

「いいなぁ!俺もあんなん言われてぇ~!」

「なんでゲイなのよクドさぁんん!!」

 男女混ざった歓声に、複雑な心境。クドさんはどこに居ても愛されている。クドさんが好きな人達から見て、僕は憎たらしい人攫いだ。クドさんを独り占めしてしまう仇だ。

「僕、もうここには来ないよ」

「……」

「皆がクドさんのこと好きすぎて、不安になっちゃうよ」

 野次の飛ぶ覚悟で発言すると、ひゅぅー、と低い声で囃すような反応。ヒソヒソした息の中、静まり返ったギャラリーは何かを期待している。クドさんが困ったような顔をして動きを止め、僕を見ていた。嫌な予感がして数秒後、衆人環視の元、クドさんと僕はキスをしていた。正しくは、クドさんが僕にキスをしていた。

 

 

 

2016/2/20

 

隠れオネェ×気弱男子のとある日。

クドさんは最近ゲイをカミングアウトしました。

今回、クドさんのおねえ調が書けなくてしょんぼりです。

たぶん、キスの直前、

彼の心中は「やだちょっとまじ可愛いんだけどこの子、

 どうしてくれんのよ、いいの?!やっちゃっていいの?!

 もうやるわよ!引かれたってやるわよばああああ!」

だったと思います。

 

『カマ言葉で喋っていいか?』(隠れオネェ×気弱男子)

 闘技には公式と一般がある。一般人が見られるのは一般人の娯楽として設けられた一般闘技のみで、公式闘技は有力一族や大企業の勢力誇示のため行われる。

 これは闘技が、そもそもの目的を戦争としていたため。鎖国の際、近代兵器を排除したためこの国では内戦は基本的に肉弾戦となった。地域政治を行っている関係で、地域と地域、または地域と有力一族のぶつかり合いはしょっちゅう起こった。この時、互いの市街地や城に兵士を送り込むのに金が掛かるので、それぞれがお抱えの兵士たちを決まった場所で闘わせるようになった。その闘いを中立地域、周辺一族などが見物し公式な戦争とした。公式闘技のはじまりはそんなところから。

 よって才能ある若者は、公式兵士として、地域権力に召し上げられてきた。

 一方で、一般闘技は娯楽として自由にあらゆる者に門戸を開いていた。闘技好きが高じて兵士になったという変わり種や、公式兵士に選ばれなかった癖のある者。しかし近年、公式闘技のテレビ中継がはじまったり、これまで禁じられていた公式兵士の一般闘技への出場が許可されたりと状況が変化し、公式と一般の境目があやふやになった。非凡がより富み、平凡が困窮するシステムが完成しようとしていた。

 

「最悪よ……!また城の奴に負けたわ!なんなのよあいつら!月給貰ってる癖に!あたしたちの畑、荒らさないで欲しいわ」

 バーのカウンター。ゲイだらけの店内は肉っぽさで溢れていて、横でクドの話に耳を傾けている男もまたゲイだった。

「大丈夫だよ!クドちゃんにはファンクラブだってついてるんだから!皆、クドちゃんを観に来てるんだよ!一般闘技にはビジュアルも必要なんだから!」

 毎度クドの話を聞いてくれる彼の名はシマちゃんといって、この店で出会い、別れた元恋人。そして現友人である。

「もうあたし、引退する」

 酔った勢いで呟くと、シマちゃんは笑った。

「ファンが大騒ぎするから無理だよぉ」

「お城勤めするのよ」

「えー?今までさんざん公式兵士叩きしてたくせに!」

「憎しみと憧れは紙一重なの」

 クドの職業は一般兵士。心無い人々には底辺職業と呼ばれている。週に一度の一般闘技にエントリーし金をもらう。収入は安定せず、身体が壊れたその時職業人生が終わる。

「クド、なんで勝負兵士になったの?……クドの実力なら、公式兵士にもなれたでしょ?面接で変なことでも言ったの?」

「……」

 五年前、クドは数百の倍率を潜り大地域フィオーレの兵士養成所ジェキンス寮に入寮したエリートだった。北方ノードストロムの生まれで、フィオーレには兵士修行と学をつけるため来ていた。

 武力の才があり、ジェキンス寮の教官には十七になった頃、兵士として俺から教えることはもう何もないとまで言われた。

 学業は十八まで。 一年間、クドには学業に専念する猶予が与えられていた。ジェキンス兵士として、フィオーレの屋敷で働ける未来。 フィオーレから出ている奨学金で、悠々と学生生活を送っていた。規律の厳しいジェキンス寮から郷土寮に移って、最小限の訓練と定期的な能力検査をパスしながら快適に生活していた。

 自信に満ち溢れ、万人に優越した気持ちでいた。若かった。 

 クドを襲った悲劇はクドが十八の冬、いじめっ子に絡まれていた後輩を助けた時に起こった。足を負傷。素人を相手に油断したクドもクドだが、残酷すぎる現実にクドは打ちのめされた。実力が半減しただけでなく規定にひっかかり療養命令を受け、就職まで数年が必要とされた。

 学生の間だけの奨学金。怪我の完治、能力の回復が就職の条件だった。その期間、家が裕福であったら大学なり、鎖国境にある兵士の国、要塞都市への留学なり、進むことができたろう。生憎クドの家はすぐにでもクドの稼ぎを必要としていた。クドをフィオーレに送るための借金の返済。勝負兵士は、勝てば高額の賞金が出た。

「クド?」

 シマちゃんの丸い目が、過去を振り返っていたクドを不思議そうに覗き込み、チラチラと輝いていた。

「シマちゃん・・・」

 クドはカマ言葉を好んで使うが性癖はタチで、シマちゃんの丸い目をこよなく愛しており、その丸い目に欲情していた。

「可愛い目玉ね」

 言いながら彼の頬にキスをすると、くすぐったそうに笑われて距離を取られた。

「あん、なんでよ」

 眉を下げて責めると、シマちゃんは困った顔をした。

「僕等終わったでしょ」

 静かに諭すよう笑うとジュースを飲み溜息。シマちゃんはアルコールに弱い。そこもまたツボなのである。

「シマちゃん……」

「僕、好み変わっちゃったんだよ」

 きっぱりとした声。脈はなさそうだ。ここで食い下がって友情まで失いたくはない。諦めよう。

「そうなの……」

 返す言葉が見つからない。いよいよシマちゃんとはヨリが戻せないのだという現実にぶち当たってしまった。

 頬に手をつけて黙り込むと、わらわらと友人等が寄って来た。

「何だよクドちゃんふられてるの?!」

 カウンターのような、目立つ場所で自爆するんじゃなかった。

「俺慰めてやろうか、ウマーイキノコ食わせてやるよ、直腸から!」

「やめろよ、クドちゃんはオシトヤカだけどタチなんだからな!俺が心の子宮で包み込んでやるんだよ」

「僕の御尻はねー、鍛えてるから凄い絡みつくの、きっと癒されちゃう」

「黙れクソネコども!いいか!ふられたタチはネコに目覚めやすいんだよ、邪魔すんな、チャンスを」

 どうしようか。今は興味のない他人に慰められたいという気分じゃない。ゆるりと上の空を決め込む。店はゆったりとしたスペースを持ち、青い照明が居心地の良い暗さを作っている。広い窓の外には夜景が広がっていた。来ている人間は金に余裕がある層。つまり高い店だった。

 勝負兵士の収入は不定期だがでかい。

 転職に失敗したら、生活はがらりと変化してしまう。そのことへの恐怖がクドを今の職業に縛り付けていた。

「なぁクドちゃん、一回抱かれてみたいと思わねぇ?!興味本位でもいい!」

「俺ネコだけどサドだから、毎週クドちゃんが負けるたびにもう、凄いムラムラしちゃってさぁ~」

 クドは焦げ茶の髪と目に、黒のくっきりとした眉、大きな鼻を持っていた。落ち着いた穏やかな顔立ちだったが体格が良いので、人によっては恐ろしさを覚える類の、所謂熊系。熊系は男のフェロモンが濃いためか、ゲイの中では若干もてはやされる。

「貴方がサドでもあたしはマゾじゃないの」

「わかってるよ、でもこのトキメキを伝えたくて!」

「十分伝わってるわよありがとう、ごめんなさい」

「クドちゃん!」

 口説きに適当な返事をしながら、シマへの想いをどうにかしようと心を鎮めるのに必死になっていた。

「シマぁ、フり方甘ぇんだよ、もっと手ひどくやってやれよ、慰めが必要なくらいにぃ」

「さいてー」

 シマの罵倒を受け、ふーと息をつく貧相な男の足を踏む。

「イテッ、デェ、うわ、がぁっ、いてぇ~」 

「なんの騒ぎだ」

「ルカぁ!」

 痛みに喚く男の悲鳴を遮って、力強い声がした。シマちゃんが歓喜してその人物に抱きついた。シマちゃんの好みを変えてしまった男の正体が、ここに来てわかった。少しの下がり目と形の良い額、くりりとした大きな目。

「ルカ、いいところに」

 大地域フィオーレ次期当主、ルカス・フィオーレはまだ若かったが、

皆、揉め事があるとすぐ彼に意見を仰ぐ。妙な落ち着きがあり、つい頼ってしまうのだ。

「こいつら何とかして」

 まだ十八かそこらの青年は店の常連で、小さなボスと呼ばれ可愛がられていた。クドにしてみれば元就職先のトップの息子であり、現、恋敵である。複雑な感情が湧くはずの相手だが、面と面を向き合わせ、睨んでみようとするとそれができない。

「何とかって、彼等が何をしたんだ?」

「えーと」

「何もしてねぇよ、フィオーレ!」

「ちょっと口説いてただけ」

「クドがつれないことがよーくわかった」

「それよりフィオーレ、一昨日な、凄い可愛い子が来て、これ写真」

「タチか?ネコか?」

「ネコ!!」

「でかした」

「おい、俺、俺も狙ってるんだからな?!」

「わかってる、勝負だ」

「ちょっとルカー!僕等恋人同士でしょ~!」

「恋は多いに越したことはない!」

「やだーぁ、僕だけ見ててよ~!」

 ルカスの腕に絡まって甘えるシマちゃんに絶望しつつ、クドはある視線に気づいた。

「……クドさん」

 すぐに誰だかわかった、と同時に息が止まった。

「センダック」

 小柄で細身の、少し神経質そうな青年。黒い髪に緑の目の、気弱そうな三白眼。同郷の後輩で、クドをこの道に自覚させた男だった。可愛らしい顔なわけではなく、ただただ、弱弱しい男。その弱弱しさがクドの庇護欲を大いに刺激した。

「どうした、どうしてこんなところに」

「貴方こそどうして」

「俺は仕事の付き合いだ」

 自然に嘘が出た。

「大変ですね」

 緑の目はクドをとらえ、すぐ宙に戻る。きょろきょろする視線。人と目を合わさない。センダックはまったく変わっていない。

「元気か」

「……はい」

 この青年はクドに良く懐いており、寮の中でもクドだけに心を開いていた。それがクドの独占欲をも刺激し、クドを大変悩ませた。訓練に励んでいたのと、人を好きになりにくい性質が、それまでクドに恋のなんたるかを知らせずに来た。センダックによって知らされて夢中になった。何かと言えば構って、構えば構うほど懐かれた。絡まれているところを、思わず助けた後輩。このセンダックが、クドの人生の大失敗である足の怪我の原因。それにも関わらず、こうして顔を合わせてまず沸いて出る感情が憎しみでなく喜びだというのだから、恋は重症のようだ。

「センダック、口うるさいようで悪いが……ここがどういうところかわかってるのか?」

 落ち着いた声を出しながら、内心は期待と混乱と焦燥で一杯になっていた。

「迷って来たなら引き返せ、そこまで送ってやる」

 決めつけて、追い出そうとするクドにセンダックは「それは必要ありません」とはっきりした断りをいれた。

「ちゃんと目的を持って来ましたので、大丈夫です!」

「目的?!」

「その、僕、こちらの方面にちょっと興味が……、どういうところかだけでも知りたくて、ルカスさんに連れてきてもらって、クドさんが居たのでびっくりしちゃったんですけど、ええと」

 びっくりしたのは俺のほうだ。

「ここはお前にはまだ早い、貞操の危機に晒されたりするかもしれないんだぞ、危ないだろ」

「ごめんなさい」

「俺が居合わせたから良かったものの、もし何かあったら親御さんにあわす顔がないじゃないか」

「あ、はい、親にまでご配慮頂いてありがとうございます」

「ルカス・フィオーレとはどうして知り合った?」

「えっと、友達の友達で」

「級友だ、同じクラスなんだよ、俺と彼は」

「なるほど」

 センダックの説明にルカスが横入りし、完全に店はセンダックとルカス、クドの三人に注目している。

「ちょっとクドちゃんどうしたの?いきなり、そんな猛々しい話し方しちゃって……」

 友人が苦笑交じり、クドに絡んで来たところを彼の口に分厚い手を宛てて塞ぐ。

「むぐっ……?!」

 それから、ひょいっとその体を抱えると店の奥に持っていき隅の席に座らせた。耳元に口を寄せ、すまんが話を合わせてくれ、と囁く。

「いやぁぁぁ!クドちゃあああああん!!抱いてえええええ」

 お願いなど全く耳に入っていなかったようで、厄介な友人が叫び声をあげると店内が騒然となった。

「俺やっぱ抱かれたい!!ネコやってとか言ってごめんなさぁあああい」

「ミスターグラディエター!」

「やああーーーーああん」

「あたしたちクドちゃんが何べん負けてもクドちゃんが大好きよぉおお」

「抱いて!」

「クドちゃーーーーん!!!」

「ミスターーーー!」

 ちょ!!やめて!!!そういう言い方したらあたしここの常連みたいじゃないの。いや、常連だけど。今必死で常連じゃないふりしてるのわかんないの。クドはそんな思いを込めて大騒ぎを睨んだ。

「相変わらずだなミスター、もし良かったら俺も抱いてくれ」

 はっはっは、とルカスまでがからかいに来る始末。もう言い逃れしようがない。

「クドさん、あの……」

「外に出よう」

 センダックの肩を持ち、店の外へ誘う。フゥーーゥ、やらヒュー、やら囃す友人等をまた睨んだ。後で絶交してやる。

 

 

「またこうやってお話できて嬉しいです」

 バーのある建物の屋上。センダックは屈託なく声を掛けて来た。

 素朴な顔立ちは、純粋に男という性別だけを訴えて来る。すぐそこの畑で取れた野菜のような、飾りない魅力。

「忙しくて、声を掛けられずにいたから、心配していた」

 センダックをベンチに座らせて、自分は横に立つ。並んで座ると緊張を悟られてしまう気がした。

「僕の方こそ、沢山お世話になっていたのに」

「いや、世話になったのは俺のほうだ……、あの時、お前も大変な時期だったのにな」

 この後輩のために怪我をした時、怪我によって不自由になった生活を支えてくれたのもまたこの後輩だった。

「あの時は、本当に……」

 センダックの顔が曇る。クドの怪我に対し、センダックが後ろめたさを感じていることは怪我の後も今もずっと変わらない。クドは怪我で、永遠にセンダックの心を縛る力を得た。

(ああ、だから俺は怪我を肯定できるんだな……)

 気が付いたら我慢できず肩に触れてしまっていた。センダックはクドを見上げている。丸い目。クドの丸い目フェチはここからだったということを思い出し胸が締め付けられる。

「クドさん……」

 少し痩せた肩は骨と体温とはりのある肌の感触で、クドの性感を大いに刺激した。親指で二の腕を摩ると、その性的な雰囲気にセンダックからストップが来た。

 クドの手首を掴み、ぎりぎりとそこに力をこめているセンダックに笑い掛ける。

「疑ってるのか」

「え?」

「俺があの場所に居たから、俺を……そういう趣味の人間だと疑っているんだな」

「……」

「どうなんだ」

 怪我の原因を作ったセンダック。あの頃、人生に絶望していたクドはセンダックを八つ当たりで犯してしまおうかと何度か思った。思ったが実行しなかった。

 それは一重にセンダックの拒絶が恐ろしかったためだ。過去、怪我の面倒を見てもらう最中にも身体が密着するとよく魔が差して、こういうちょっかいを出していた。

 その度にセンダックは平気な顔で、時には笑顔で、水面下……激しく抵抗しクドを拒絶した。

「あの、前から先輩はちょっとそっちの気があるのかな、って思ってて、でも、隠してるみたいでしたし必要があったら言ってくれると思って、今日会った時はやっぱりっていう感じでした」

 そういえばこの後輩、賢かった、と思い出す。「やっぱり」ね、そう。とっくにばれていたのね。

「カマ言葉で喋っていいか」

「嫌です」

 きっぱり断られ、残念な顔になった。センダックは困ったよう、眉を下げた。

「僕、先輩にはかっこよく……男らしく居て欲しい……僕はそういう風になりたくて、そういう風な先輩のことが好きで、誇らしくて崇拝していたんです」

 夜風でセンダックの髪が揺れる。耳の上の頭皮が見える。

 髪の付け根を指でなぞり、小さな頭を撫でたい。

「今、仲の良い友達が丁度先輩みたいな人で、優しくて分別のある男の理想みたいな……スゴクかっこいいんです。それで……、その人もちょっとこっちの気があるようだったから。過去、先輩とのこともあって、凄く気になったんです、こっちの世界のこと……僕、先輩のこと理解したかったんです、ずっと」

「セ、……センダック、お前……」

 抱きしめようとゆったり広げた手。

「聞いて下さい」

「はい」

 きっぱりした声で指示されて手を引っ込める。

「僕は実際女の人が好きです」

「はい」

「でも先輩のほうが好きです」

「は?」

「だから理解したかった、そういうことです」

「……」

「できるわけないんですけどね、理解なんか。こんな生理的なもの。本とかインターネットとか相談所とか、そういうので調べたりして、でも、大体全部微妙でした」

「そう……微妙、……でしたか」

「なんで敬語なんですか」

「緊張して」

「緊張、僕に?」

「……はい」

 ピタリと合った視線。センダックは視線を合わせることに不慣れで、見詰め合う時、瞳にこめる感情の温度を調整することができない様子だった。クドとセンダックの間、視線がどんどんと熱くなっていく。センダックの丸い目の中心、緑の瞳が不安げに揺れた。全身の血管が膨れて、プツンと切れてしまいそうだった。今戦ったら、誰にも負けない気がする。

 センダックは無表情に下を向くと、身を折り曲げた。片肘を腿に置いて片手で顔を覆う。細い肩に骨ばった男の特徴が浮かぶ。それがクドをクラクラさせることも知らず、センダックは笑った。

「僕は幸福だ」

「幸福?」

 後ろめたさで逆らえない男の厳つい先輩に貞操狙われているのに?

「今までモテない金ない運ないで来たのは、貴方に好いてもらうためだったのかな」

「まあ、おまえが冴えないことはよく知ってる」

「なんでこんな冴えないのを好いてくれるんですか」

「う……そう、だな……んんん?」

 好みだから?ムラムラするから?懐かれて嬉しかった?

会った時から何か好きだったから?冴えないからこそ独り占めできるから?

「困らないで下さい」

「悪い、でも好きなことは確かだ、改めて言うと大好きだ」

「……」

 センダックは顔から片手を放すと、思いのほか大人の顔でクドを見上げ、口はしを上げた。また視線が合う。クドの数年掛かりの気持ちが打ち明けられた場面だというのに、冷静なセンダックにクドの背はじっとりと濡れて来た。怖い。何を言われるだろう。

「気味悪がってもいい」

 こんな形で告白することになるとは。どうしてこんなことに。数分前まで、シマちゃんとヨリを戻すことに夢中だった癖、もうどうでも良い。

「好かれてるっていうのは、肯定されるってことです」

 ポツリとした呟き。

「貴方は僕の理想の人です、その理想の人が僕を……それがどれだけ嬉しいことか、貴方に想像できますか」

 センダックはまた下を向いた。クドは何も言えない。言葉のない時間が経ち、それからセンダックは少しだけ顔を上げた。

「僕の人生にはあまり良いことがなくて、うん、性格が暗いところからまず終わってた、自分でさえ自分を肯定できなかったので、貴方の好意、肯定が、本当に嬉しかった」

 期待していいのか。それとも拒絶の前置きか。クドは、現実がそんなに甘くないことを知っていた。そして怖れていた。そんなクドに構わず、センダックは苦笑した。

「僕にとって好意は、簡単に返ってこないものでした。お父さんに始まり、好きだった女の子、先生、母も新しいお父さんに取られたし、友達は愛想よくすれば仲間に入れてくれたけど、みんないつも無意識に僕を馬鹿にしていた。僕は何事も人より劣っていたので、人になかなか興味を示されなかったんです、だから……」

「……」

「僕は優しい人を探して、その人に必死で取り入るようになった。同情で仲良くしてもらおうとした。優しい人と会うと全身全霊で懐くようになった。そうすることで、優しい人は僕を好きになってくれるから。それが僕の処世術、弱者の生き方です」

 言い終えて、センダックは完全に顔を上げた。横顔からは、センダックが何を考えているのかわからない。建物の屋上、視線の先に夜空がある。センダックは黙ってしまって、クドはその横に縛り付けられた。

「座って下さい」

 命令され、座る。

「気分悪くされましたか?」

「何に」

「僕が自己肯定のことしか、考えていないことに」

「……」

 センダックとクドの距離は隣り合わせた見知らぬ人同士程ひらいている。また下を向いたセンダックと、そんなセンダックの横顔をボンヤリと観察するクドの姿は久しぶりに会った先輩と後輩の関係を出ない。

 センダックは下を向いたまま、顔だけ傾けクドを見た。

「色々言いましたけど、僕は要するに、貴方に好かれたことで得られた幸福感の恩返しをしたいんです、貴方に、何か貴方が幸せになれればいい、と思って」

「……」

僕にできることだったら、何でもいい」

「センダック……」

 少し声が裏返る。転がるように話が進んでいて、頭がついていかない。

センダックがクドの気持ちに気づいてたところからまず大事件だというのに。

「調べたということは、俺が何を求めてるか、俺に好きにさせた結果、自分の身がどうなるかわかってるんだな」

「わかってます」

 少し手を震わせつつ、センダックの腰に腕を回すと跳ねる、憎らしい体に内心で舌打つ。

「大丈夫なのか」

「微妙です」

 確認すると案の定な答えが来て思った以上の苦しみがやって来た。興奮している身と心が鎮まらない。が、微妙だというセンダックに無理強いはしたくない。

「すみません、今日会うなんて思ってなかったので、うぅぅぅ、僕の意気地なし!!!」

 まったくだこの意気地なし!!!と心中で罵ると腕を引っ込めた。

「変わってないわねー、まじで」

 衝動が抑えられない腕を、ベンチの背に回し聞こえよがしに溜息をついた。

「カマ言葉やめて下さい」

「あらごめんなさい」

「先輩!!」

「キーキーすんじゃないわよ、可愛いわね」

「やだぁーー!僕のクドさん像が崩壊するーーーー!!」

「だまんなさいよ、泣くわよ」

「え?!」

「あたしの本性コッチだもん、あんたの勝手なあたしの像なんて粉々になっちゃえばいいのよ、何よもう、恩返しとか言って、仇ばっかり!振り回さないでよ、緊張が行き過ぎてカマ言葉出ちゃったのよ、わざとじゃないわよ、もう好い加減にしてよ、っ」

「クドさ……」

 頬がスースーすると思ったら泣いていた。センダックが心底驚いた顔をした。その後で温かい表情を浮かべた。

「なんだろうクドさんこの感じ、覚悟?欲求?スイッチ入ったみたいな」

 柔らかい感触が目の下に来て。それがセンダックの唇だったことが判明した頃、センダックはクドの頬を両手で包み、愛しげにクドを見つめていた。かつて健康的に見えた後輩の骨格は、今は大人びて性的だった。

「やれるところまでやってみてもいいですか?というかたぶん、やれると思うんです」

「あ、あたしタチよ」

 念のため断りをいれるとセンダックは目を細めた。三白眼というのは、細められた時、悪魔じみた色香を生む。それは黒目がちな目が作る壊したくなるような欲求とは違って、むしろその逆。崩されそうな予感、不安や恐怖に繋がる、死の開放感に似た身震い。

「わかってますよ」

 センダックは社交辞令のように頷いた。安心できない。センダックの考えが読めない。

「あたしも何かしていい?」

 伺わずにすれば良いのに、伺いを立てる。

「いいですよ」

 さらりと認められた。技術で言えば格段に上のはずだ。何年この世界に身を置いて来たと思う?センダックは悠長にクドの顎やら首やらにキスを降らせている。羽織っていたものを脱がされ、お返しに向こうの上着も脱がす。触れられたところが、溶けそうなほど熱い。肩にキスをされた。センダックがクドの肩にキスをしている、その認識がクドの目を回らせる。キスだけでなく、ゆったりと腕を撫でられている。一方で、腕の付け根を親指で摩られている。本能に組み込まれているとは言え、センダックの男としての動きに動揺する。

「っ、ゥ」

 腰骨を撫でるよう、摩り出したクドの手に、やっとセンダックが反応を示した。

「それやめて下さい」

「嫌」

 ハァ、と息の音がして、クドを押すような体制に居たセンダックの身が、ぐっと下がり、眼前に細い背中が息をしている景色が広がった。汗で肌に服が張り付いている。感動であがりそうになった声を抑え、センダックの頭を掻きまわした。途端、カチャカチャと音がしてベルトが外された。外気に触れた性器は始めから元気良く飛び出したが、センダックは動じなかった。センダックの小さくてぽこぽことした指が、きゅぅっとクドのものを掴み、摩りだした。

「なんか大丈夫そうです」

「え?」

「むしろしたい」

 クドのものに集中した顔で熱に浮かされたよう呟かれ、腰に力が入る。漏れる漏れると騒いでいる性器に急かされて、コンドームを取り出すと丁寧すぎる動作でセンダックがそれを開封してくれ、震える手で差し出してきたのをキュンキュンしながら受け取る。

 装着してすぐ、射精が起った。

 屋上はこういった行為がよく行われている場所だったが、クドはいつもホテルに入る男であったため、羞恥で頬が染まった。しかし、勢いは削がれない。続けて、行為用の座薬を取り出すと物珍しそうな顔をしているセンダックに用途の図示されたパッケージを見せてやる。男性同士の性交用に開発された代物だ。

「下脱いで」

 指示すると、また目が合う。きょとんとしている。センダックはどうしたいのだろうか。センダックが相手なら下になってもいいかもしれない。けれど、できたら、センダックの中に。

「入れたいの、脱いで」

切羽詰った声を出す。

「いいですよ」

 驚くほど柔らかに微笑まれ、快諾され、身体が軽くなった。嘘のような現実。

「なんか凄い、興奮しますね、男同士なのに」

 歌うように言いながら、センダックが脱いだ。

「男同士だからよ」

 何もかも上手く行き過ぎて不安だ。

「それを俺のなかに入れれば良いんですね?」

 座薬を手渡すと、センダックはそれを、ぎゅっと目を瞑って体内に入れた。歯を食いしばって緊張している顔。その表情に胸が痛み、背を撫でてやると頬にキスが来た。

「結構簡単に入りました」

 湿った声で言われ、こくこくと頷く。首に腕が回され、センダックの体温が近い。センダックの身は熱くて小さかった。

「っ」

 座薬によって緩められた穴がクドをするりと受け入れた。

「アツイです」

 センダックの早口な感想に、ええ、とカマ言葉を返す。まだ先端だけだが、センダックの腰を持ってゆるく振り、慣らしにかかった。

 何度か経験のある人間と違って、またはその手の才能のある者と違って、センダックは極端に感じることがない。震える息と、ぅ、とも、ク、ともとれる音を咽喉から出し、クドの首にきゅっとつかまることに徹している。つらいだろうと思い、背を摩ると少し中の緊張が解ける。

繋がったまま、動いたり止まったり、クドの気が済むまで時間が流れた。

センダックは一言も言葉を発しなかった。

 

 

 

 

「今度は僕が入れたいです」

 後日店に訪れたセンダックの発言で、クドは飲んでいたものを三割噴いた。

「こないだので懲りちゃったの?」

「懲りちゃいました」

「ちょっ?!まだ一回目じゃない?!」

「僕、クドさんで童貞卒業したいんです」

「えっ?!……ど、童貞だったの?!」

 喜びで声を震わせると、センダックはにっこり笑って頷いた。

「だから、お願いします!」

 

 友人達がザワザワしている中、クドはため息をつくと、一回だけよと呟いた。えーっと店内がざわついたのは言うまでもない。

 

 

2016/2/19

 

センダックが吹っ切ったと同時に目覚めたの回です。

そして学校でゴドー君の尻を掴むようになったわけです。

何気に彼は一番の強者じゃないかと考えています。

だってこの出来事きっとアンガスも知らない・・・!

(ルカは知ってるけど←やっぱり恐怖情報網)

 

本命=クド

アイドル=ゴドー

『ソウボウキン』(奇人宗教家×ヤリチン)

 回ってしまうと何てことはない、受身の立場は楽だった。

 ルキノは男に慣れていた。痛みのない挿入は心地良い。心地良いが何だかむなしくて馬鹿らしくて惨めだった。

キケロはやめておけ・・・」

 行為を終えた枕元。向こうを睨むルキノの声。

「別に狙ってねーよ」

「狙うとか、狙わない、という問題じゃない」

「……意味わかんね」

 ルキノの太い背骨の周りには筋肉が詰まっている。それを指で押す。堅い。

「くすぐるな」

「感覚あんの?」

「過敏だ」

「……」

 穏やかな悪戯心に、口端が上がる。そっと唇をつけ吸ってみた。反応なし。

「よせ、おとなしくしていろ」

「あ?」

 子ども相手かのような、呆れ半分の声に、急激に愛しさが萎んで腹が立つ。テッドの部屋は、テッドとルキノを収納すると、即、むさくるしさで暗くなる。

 留守がちな両親は、この部屋が何度性交の場として使われたか知らない。開けてある窓の向こうは雨雲で白く、もしかしたらパラパラと降っているかもしれない。

「おまえの、その流されやすさが俺を苛む」

「快楽に弱ぇのはマグランの血だからさ」

「……」

「許せよ」

「……マグラン」

「犯罪者になってないのを褒めて欲しいな、俺はダイブまともな方だ」

「……」

 こちらが不愉快になるだろう答えを吐きたかったのだろう。そういう時、ルキノは黙る。黙るルキノは大人らしくて好きだった。

 つい先日、テッドを手酷く振ってくれたポートも素になると良く黙る男だった。そこに大人っぽさを感じていた。  

 否定的な事を言わざるを得ない時、そっと黙って後味に残す。

「おまえのだんまり、嫌いじゃねーな、……優しいよな」

「随分好意的に解釈するな」

「おまえのこと結構好きだし」

「…………、アンガスは……」

「ん?」

「いや、いい」

「昔の奴の話ぐらいでキレねーよ、どんだけ俺をガキ扱いすりゃ気が済むんだ?」

「……アンガスは、よく、言いたいことがあるなら、はっきり言えと苛ついた」

「は、あいつらしい」

 ルキノは口下手で、アンガスは饒舌。正反対の男二人が、よく結ばれていたと思う。ルキノは口を開けばアンガスか、良くわからない宗教の教えを説く。退屈な男だったが、雰囲気は悪くない。話をほとんど流していても頓着しないところが好きだった。

 まだポートを求めている心の穴に、煙のように充満してくれる。

 ルキノの存在は、テッドの心の痛みを和らげる。

「なぁ、ちょっと動けよ」

「何がしたいんだ?」

「おまえの背中の筋肉がセクシー、見とれたい」

 大人しく、身じろいでくれたルキノの背に触る。武に秀でた男の背。羨望に混じり、性的な衝動が胸を打つ。兵士特待生の顔見知り、身近な二人を思い浮かべる。あのスマートなキケロや、武骨なゴドーの背も、こうなっているに違いない。兵士の訓練を受けた者と、そうでない者の違いは肉体にある。ゴドーの背は体育の、着替えの時にでも見てやろう。キケロの背は、と想像して顔が沸騰したことに気づく。異様に高鳴った心臓と、キケロで興奮した己を責める心。  

 -キケロはやめておけ。

 数分前の、ルキノの台詞が頭に響く。ポートへの強い執着と欲望とは別、 とても美しい匂いのする妄想だった。何も考えられない、ただ想像するだけでも背徳を感じる。

「俺、は、キケロさんに恋でもしちゃってんのか?」

 その感覚に恐怖を覚えた。ルキノが否定してくれれば、安心できるだろう。口にして後悔した。

「……そうだな、恐らく」

 ルキノは良い意味でも悪い意味でも正直な男だった。向き直ったルキノの目は冷たく焦っていた。

「後ろを向け」

「なんでだよ」

「いいから向け、顔を見せるな、苦しい」

「っ」

 半ば強制、向こうを向かされ、使ったばかりの穴の表面を擦られる。

「……ン」

 すぐに指が中へ。

「……っぅ、ぁ、」

 ゆるゆると奥へ。

「っはぁ、……っぁ」

 ルキノの求めは急だったが、行為は心地良いし、嫌なことを忘れられる。拒否する理由がない。

「おまえなんか行きずりだ、手を組むついでに抱いている」

「あ?!」

 呟きに反応してみたが、体内の指が止まらない。意識がそちらに連れて行かれる。

「精神は伴わない、肉体があればいい、そういう相手だ」

「……は、ぁ、アっ……」

 指が抜けすぐに、ぬる、と良く知った形の一物が侵入して来て目を瞑る。

「っぁ、……アァ、ぁ、はぁ、」

「俺ばかり背を向けられる、俺の何がつまらない?」

「つ、はぁ、……なん、……んぁ、」  

 中を摩られる感触に夢中になり、頭が働かない。

「ぁぁ、……ん、……うごっ、もっ……奥、……ァッ」

「俺を好きだと言え」

「すぃ……ルっ……ぁ、すき、だか、おまえのもっと太いトコ、……んく、まで、中つっこんで、っぁ、太いトコで、はぁ、もっとさすって……っ」

「っは、商売ができるぞテッド、……っこれ以上煽るな、意識はあるか?マグランの血は、淫乱の血なのか?っ、似合いだな!おまえはいつもマグランマグランと、下品で卑しいマグランの、その血の何が誇らしいんだ?」

「っ……は」

 罵られ、少し冷静になるがすぐに中が動く。

「っや、……だめ、頭白っ、……なっから、待っ」

 細かい振動が与えられ唾液がたまって行く。

「はン……ぅ、はぁ、あ、はぁ、……っぁ、あ、ア」

 トントントントンと肉がぶつかっては、広がった穴に擦れる感触。ルキノの息の音が聞こえ、己の息の音に混じり目が回る。抜けては刺さって来るルキノのものが体内をとかす。

「すき、おまえとの、いい、……ほんと、イ、あっ……い……っはぁ、……すき」

 熱い頭と息と目頭が、しばらく時間を止めていた。気づいた時には体内からルキノの感触が消えさり、先ほどまで高温で、強い存在感を示していた下肢が物足りなく冷めていた。

「ん?!」

 マグランは下品でいやしい。その血の何が誇りか。今になって暴言が胸に刺さり、顔が険しくなる。

「おい、さっき、……」

 言い掛けて、部屋の物悲しい空気に呑まれる。ルキノは去っていた。どれ程呆けていたのか。ルキノの退室にも気づかなかったとは。

 ベッドの上は涎と、精液と汗でグショグショな上、身体には疲れ。水気で冷たい身体の下からは異臭がする。色々な面倒を置いて帰ったルキノに憤りを感じ、何も考えずに携帯を手に取って電話をかけ、また思い出す。俺のことを好きと言え。そんなことを言っていたルキノの心中に合点が行く。わかりやすい男。アンガスはポートに夢中。テッドはキケロに恋してる。それは気に食わないだろう。怒って帰りもする。

『悪かった』

 電話の第一声が、謝罪で思わず微笑んだ。

『何が?』

『心にもない暴言を、……それと片付けを任せた』

『任されるつもりはねーよ、戻って来い、 暴言は心になかったっていうなら信じる。あと、キケロさんのことだけどな、仮に恋でも発展はしねーから、雲の上の存在すぎて近づけねー、おっかけとかしてる女にひっかかったみたいな、そんな気持ちで向き合ってくれる気ねーかな、もし二択、おまえとキケロさんどっち選ぶとかになったら、おまえ選ぶから。

 だから傍にいてくれ。

 俺の時間全部、できる限りおまえで消費したい、おまえのこと好きだ』

『……同じ言葉を贈りたい』

 鼻声。何で泣いてんだ。どーした。

『泣くな』

 嗜めるとグスッと音を立て、『ああ』と涙交じりの返事が来て笑う。こんな素直な人間は初めてだ。男も女も、普通はもっと捻くれて、体面を取り繕うものじゃないか。 

 テッドが相手をして来た者達の中、明らかに異色。寂しいからと呼ぶ癖、寂しさを隠すキーチ。独占欲の暴走を恐れ、別れを選んだポート。ポートの好意を貪欲に求め、執着されたくて突き放したテッド。ポートが混乱し、苦しんでいたことに気づかなかった。キケロを想うテッドの、遠巻きな心と同じよう、強すぎる気持ちは離れていないと辛いこと。ポートが焦がれる痛みに、負けたことを責められない。

 平常で居たい。生ぬるい幸福の心地よさに浸っていたい。

『テッド、聞いてるか?どうした?テッド?』

 自分に、キケロに立ち向かう気がさらさらないこと。ルキノの安心感を、何より大事に思っていること。自覚して初めて、ポートの葛藤が骨身に沁みた。

『ポーラと俺が、似たもの同士ってことがわかった』

『……?、……愛してると言ったんだが』

『え、まじで?!……悪い、もっかい頼む』

『聞いていろ馬鹿者、もう二度と言わん』

『いや言えよ、せっかくだから聞きてーよ、俺も言うから!』

 プツ、と音がして回線が切れた。

 数分後、不機嫌なルキノが戻って来た。

 

 

 

2016/2/18

『ルキノと緊縛』(奇人宗教家×ヤリチン)

 白金髪に灰目、高い鼻、ここまではいい。凶悪で鋭い三白眼と、パーツ配列が猛禽類を思わせるマグラン一族の顔面的特徴はあまり一般ウケしない。しかし、俺はマグランの中では異例の、恐らく瞳が大きかったのと眉の位置が良かったのが関係しているのだろう、強面だが人受けの良い顔立ちをしていた。

 よって、女にモテた。寄ってくる女と片端から関係を持ち、来る者拒まず去る者追わずで生きてきた。

 そんなテッドの事を『ヤリチン』と罵るくせに自分の事は『恋多き女』などと表現する厚かましい元カノに呼び出され、復縁の相談かと思ったら恋敵宣言をされた土曜の午後。

 ヴェレノの大学に通うテッドを、当然のように自分の大学最寄、フィオーレに呼びつけたキーチ・ルーキンは胸元の大きく空いたワンピースを身体にフィットさせて、短いスカートから形の良い脚をすらっと出し、自信満々の笑みを浮かべている。

「あたし、ルキノさんと寝てみたいんだけど……」

 真昼間のカフェに投下されたとんでもない願い事にロイヤルミルクティーを噴く。やだ汚い、と呟いてハンカチを取り出すとまずテッドの口元を拭いてくれる憎い女、キーチはテッドと付き合っていた四年の間に二十人程の男と関係していた。テッドも約八人と関係し、二人は互いの浮気相手をダブルデートの形で紹介し合うという下衆を極めた行いを、薄笑いを浮かべて平然とこなせるカップルだった。

「残念ながらルキノは俺と『おつきあい』している」

「お、つ、き、あ、い!って!!テッドの口から聞くとうける~!ってか、男に目覚めるとか超面白いね、テッド」

「女はおまえで懲りたんだよ」

「何いじけてんの?」

「いじけてんじゃねぇ、毒だ、毒を吐いてんだよ、どんだけポジティブなんだよ、このくそビッチが」

「ビッチじゃないよ!あたし!恋多き女なの、呼び方、気を付けて、傷つくじゃない?」

 決まり文句。に、安心する。

「傷つくとか良く言えんな?」

「ヤリチンにはわからないかもしれないけど、女はいつだって本気だし、柔らかい心でいるから、酷い扱いには我慢できないの、思いやって欲しいの」

 とぼけた言葉で会話を色づけながら、センター分けの長い前髪を耳に掛けるキーチの細い指、指の股にあるほくろ。

 小さな口とパッチリして形の良い目に見とれていたら、サラサラの髪から、ふわんと柑橘系の香りがしてムラッとする。シャンプー・トリートメントに対するキーチのこだわりは、男を誘う武器の手入れ。攻撃されている。

「見ろ」

 気を取り直して、鞄から、ルキノに課せられた交換日記を取出し、キーチに手渡した。こんなお堅い恋愛の仕方、おまえ知らないだろ。ルキノって男は奇人変人で、おまえの手には余る。その事を思い知らせよう。

 もう二年も続いている俺の涙ぐましい、優しさの軌跡。我ながら良く『おつきあい』している。

「なにこれ?」

「……交換日記」

「ハッ?!」

「俺と、ルキノの、交換、日記」

 何とか笑わずに紹介出来た。

「こ、こーかんにっきー!!!!なにそれー!!やばーい!!」

 キーチが大声で噴出した途端、笑いが込み上げて来てバカ笑うなバカッ、すげーんだから、見ろ!!とはしゃぎ出してしまう己の軽率。フィオーレ駅前、噴水広場に面するオープンカフェは目立つ。フィオーレの大学で客員教授をしているルキノが通り掛かってもおかしくない立地で、実に考えなしだった。

「テッド、何をしている」

 落ち着いた、どこか得意気な響きのある涼しい声。 

 嫌な予感。

 カフェのオープン席、四人は座れる広いテーブルに座っていたのがまずかった。

 ルキノは、この間より数が増えている気がする取り巻き数人と共に現れ、有無を言わせず俺の隣に座った。ルキノの味方である複数人の視線に黙らされて、文句を言えない状態の俺とキーチは、あまりの居心地の悪さに互いの視線を絡ませた。

 取り巻きの一人が、ルキノのコーヒーを買いに走る。ルキノはその働きを当然のように見届け、それから顔馴染みの一人を残して他の者達には帰れと顎と目線で指示を出す。どこのマフィアのボスなのか。

 赤髪をバックに撫で付け、野犬のような目をした大柄なルキノは目立った。その存在感を利用して店員を目線で呼びつけると、キーチの飲んでいたアサイージュースを、別席に移動するように指示を出す。

「いやおい待て、すみません大丈夫です、移動はしません」

 テッドが慌てて店員を制すると、ルキノは溜息をつき、少し屈んで、キーチと視線を合わせに行く。

「悪いがお嬢さん、あそこの席が空いている」

 ルキノの強引は今に始まった事ではないが、テッドは呆れて閉口した。キーチは楽しそうに目を細めている。

「きっと読書したい誰かが座るわね」

「本なら、そこの棚に揃っているぞ……、カミュの『異邦人』をまだ読んだ事が無いのなら、この機会に手に取れ」

 オープン席の明るさに反し、店内は暗い照明によってひっそりした雰囲気が作られており、カウンターの脇にあるごつい物置棚にはびっしりと本が詰まっていた。

カミュは『ペスト』でうんざりしたわ、陰鬱」

「……ならばスタンダールの『赤と黒』もある」

「あれは好きよ」

「ではボーマルシェの『フィガロの結婚』を読むと良い、あれも並んでいる」

 テッドはどのようにキーチを守ろうかと考えながら、ルキノが目星をつけた席を見た。暗めの店内にぽつんと空いた壁際の一人席。カップルに追いやられて、あんな席に座るのは辛いだろう。

「あたし、一人席に座った事ないの」

 ついに苛ついた声を上げたキーチを制すると、ルキノを睨んだ。

「……友達を勝手に追っ払うな」

「邪魔だ、物理的にも精神的にも、不愉快な女だ」

 ピリッとした空気。

「ルキノさん、あたしテッドにはもう興味ないわよ」

 退く気はないが、俺達に喧嘩をさせるのを忍びなく思ったらしいキーチが、明るい声で場を収めようとする。先程までテーブルに肘をついて可愛らしくしていたのを今は椅子に背をつけて足を組み、膝に両手を載せている。腕に挟まれた乳が盛り上がっていて、ぬるっとした艶めかしさが鼻に来る。

「テッド」

 テッドのキーチへの欲情を遮り、ルキノの手が、そっとテーブルの上、何気なく置いていたテッドの手に被さった。その大きさと冷たさにヒヤリとする。

「日記を公開したいのなら、読んで聞かせるのが一番良い、せっかくだから読み上げよう」

「あ゛?!」

「素敵、読んで聞かせてくれるの?二人で?聞きたいわ」

 キーチが半笑いで食いつくと、ルキノは横目でキーチを見た。ルキノの釣り目気味の三白眼は鋭い光を帯び、細められると強烈な色気を出す。

 マゾッ気のあるキーチがほんのり頬を染めたのを見て、テッドは焦った。この二人がくっついたら俺は気が狂うかもしれない。

 二年前、三角関係の味を知った。親しかった友人同士、もつれたその関係は最終的にテッドを弾く形で落ち着き、結ばれた二人と孤独な一人が出来上がった。女遊びをしても男遊びをしても、一人で好きな映画や本を読み耽ってみても、楽しくなく、寂しく、消えたくなった事。タイミング悪くキーチには本命が居て慰めて貰えず、無性に人肌が恋しくて、うっかりこの赤毛の野犬とそういう関係になってしまった。

 ルキノは宗教家が治めるとある国において、名士の家に生まれた権力者だが、ここフィオーレにおいてはただの外国人だ。それなのに、ああして取り巻きが出来るのは天性のボス気質なのか、例の子分がルキノのコーヒーとテッドのためにロイヤルミルクティー、自分と相棒にペリエを購入してやって来た。

「テリー、良い所に戻って来た、これを読み上げろ」

 可哀相な子分は、えっ、と声を上げると渡された交換日記とルキノの顔と、テッドの顔を交互に見て、テッドに助けを求めた。

「貸せ」

 テッドは子分から交換日記を受け取ると鞄にしまった。

 ルキノと目が合う。

「……怒ってんのか?」

 聞いてみると、ルキノは首を傾げ、にやりとした。

「怒ってはいない、叱っている」

「動物かよ俺は?!」

 眉間に皺を寄せて不満を漏らすと、ルキノは何か間違っただろうかという顔をし、すかさず子分が耳打ちをした。

「おまえを軽んじての発言ではない」

「そんぐらいわかるけど」

 冗談が下手糞。

 ルキノの欠点は、上げるときりがない。

「その女、いつまでここに居させるつもりだ?」

「だから……」

 そういう言い方はないだろ。

「目障りだ」

 一言であらわすと、無神経。

「四年の付き合いだか何だか知らないが、俺はおまえに夢中なんだから気をつけろ、もし何かの間違いで俺よりその女を好きになってみろ、抹殺してやる」

「は、俺の名前ちゃんと憶えてるか?

 テッド・マグランだ、分家筋とはいえマグランの一族を敵に回すのは賢くないぜ」

 殺人予告に気分を害し反撃すると、ルキノは真顔になり頷いた。

「もちろん、マグランの家を敵に回すのは得策ではない」

 どこか上の空という顔で呟いたルキノと、また目が合う。見つめていたら、粗野な男の顔にゆっくりと、凄惨な笑みが浮かんで、内臓の温度が下がるような、ひゅっと身体の中身が落ちるような恐怖を覚えた。

 かたまっているテッドの手をルキノの手がふとして、上からぎゅっと握った。強く握られ過ぎて骨が軋む。

「しかし、俺はいついかなる時も人生を棒に振る覚悟でおまえを愛している……、平穏な日常は尊いものだが、簡単に捨てられる選択肢だ、テッド、俺をよく恐れておけ、何をするか決めるのは俺の立場じゃなく意思だ、俺は何でも出来るぞ」

 瞬き一つせず真っ直ぐ、テッドの表面でなく魂を眺めてくるルキノの目線に、ごくりと喉が鳴る。

 過去、アウレリウス兵士の訓練を受けた大柄な体躯とがっしりした顎、鼻筋の通った迫力ある顔面は、言葉に真実味を持たせ、テッドを震え上がらせた。

 剥き出しの愛に、耐性がないのだ。何重にも膜を張って薫らないようにして、好意を気取られたら負けだという付き合いばかりして来たので、ルキノの、捨て身の姿勢にはいつも圧倒される。

 好きなら逆らえまい、と相手が図に乗る心配などは、一切しないし、そうしたふざけた態度を取られても受け入れて来た男なのだ。

 テッドとはあまりに対照的。まったく愚かで理解出来ない。

「俺は、ルキノの、どこが好きなんだろうなぁ」

 しみじみ、溜息と共にこぼすと、ルキノはほんの少し得意気な顔をしてキーチを見た。好きという事を前提にされた台詞である。どこかはわからないが好き、という感情を俺がルキノに抱いているという事実に、満足しているらしい。

 ポジティブにも程がある。

「どこだっていいぞ、思い当たる所を探してみろ、優しいところか、真剣なところか、神に忠実なところか?」

 ルキノの中で想定されているルキノの美点が何となく間抜けでテッドはクツクツと笑った。

「……面白かったか?」

 苛められた犬のように眉を下げて聞いて来る、その顔もまたとぼけていて、いよいよ胸を転がるようなくすぐったさが襲って来た。

「ほん、っとにおっまえ、素でボケんの、……やめっ、ふ、……何だよ神に忠実なとこ、って、恋人に求めねーよ、そんなん!」

 笑いつつ連想する。

 セックスの最中に一瞬見せる縋るような表情や、正直すぎる性格、朝早くに起きて床を磨き、そこに接吻する宗教儀礼をストイックにこなす姿を、手放したくないと思う。

「俺はテッドの面構えが好きだぞ」

 ルキノは笑うテッドの頭を撫でると、耳の穴につと指を入れた。

「っ、……おい、中身を無視すんな」

 ルキノの指から、頭を遠ざけて逃れると、文句を垂れた。

 キーチがにやにやしていちゃつく男二人を眺めている。

「おまえの中身は『やりちん』だからな」

「あ?!」

「すかん」

 不名誉な言葉で、己を表現され、つい眉間に皺が寄った。

「ふふ、やだぁ『やりちん』って、どこで覚えたんですか?ルキノさんが言うと何か可愛いんですけど」

 キーチの黄色い声。

 キーチは口では繊細を気取るが、実際は図太い。自分を嫌っているルキノにバンバン絡みに行く。

「女生徒達がテッドをそう呼んでいてな……、意味を知り、落ち込んだ……」

「昔な!昔!!」

 真面目なルキノの機嫌を損ねないよう、取り繕うとキーチがくすくすと笑った。そして、悪女の顔になると、ルキノに顔を近づける。涙袋をぷっくりと膨らませ、本当に楽しげだ。

「今だって、ルキノさんの目が光ってなきゃ奔放になるわよ、こいつ、浮気性全然治ってない、あたしの事さっきからすごく変な目で見てくるし」

「おン前なぁ……変な言いがかり……」

「言いがかり?かなぁ?」

 この裏切りもん、と怒りを込め舌打つと、ふふんと鼻で笑われる。

「仕方がない、君は美しい、変な目で見たくもなるだろう、だから俺は君に早く消えて欲しいんだが、どうしてそう嫌がらせのように居座る?出来ることならこの場で君たちの連絡手段を絶ち、テッドに君の魔の手が一切届かぬようにしたいが、どうだろう、可能か?」

 一瞬、キーチの目が光ったように見えたのはテッドの心が不安で揺れていたからか。キーチは勿体ぶって、黙った。

 そして、先程からずっとテッドの手に被さっていたルキノの手に己の手を重ねると、鎖骨の下を中指で引っ掻くようになぞって、上目使い。

「あたし、ルキノさんとセックスしてみたいんです、一回だけでいいです」

「その望みを叶えたらテッドにもう近づかないんだな」

「はい」

「良いだろう」

「よくねぇよ!!!」

 怒鳴って立ち上がると、ルキノが目を丸くして、キーチが唖然とし、テッドを見た。その視線の意味、二人の驚きの感情に晒され数秒して顔が赤くなった。らしくない己の激情に動揺して顎が震え、なかなか声が出せず、代わりに涙が出そうになって堪える。

「……なんて、な、……す、好きにしろ」

 上手く笑えただろうか。がくがく震える顎を抑えながら、ルキノとキーチが肌を重ねる想像が頭の中で回るのを掻き消そうと目を瞑る。

 

 散々、己が仕出かしてきた浮気というありふれた裏切り。その破壊力に打ち砕かれ、まだそれが起こってもいないのに、想像でこんなに息が詰まりそうだなんて。いったい、これは何の罰で、どうしたら許されるのか。

 ルキノと付き合い始めの頃を思い出し、ううんと唸る。

 初めは互いにそこまで深く愛し合っては居なかったのだ。むしろ、何となく余所に遊びの相手がいる事を許しあう、自由な、テッドとキーチの間にあるような心地よい共犯の空気があった。

 それなのに、いつからだろう……。

 ルキノがフィオーレに骨を埋めると言い出してからか。客員教授と兼任で、ルキノが父親からフィオーレの大学傍にある法人の研究センター長を任された年、大事な宗教儀礼中に眠りこけてしまう程、ルキノが多忙だったあの頃。

 三時間の睡眠時間を除いて、延々と仕事をしていたルキノに飯を作り、洗濯と掃除の世話をし、メンタルケアをして帰る。気が付いたら、ルキノはいつの間にか自宅にテッドの部屋を設けていた。忙しい癖に、テッドを傍に置くためにせっせとその部屋をテッド用に整理したルキノが愛しくて、テッドはそこに収まった。あれがまずかった。

 

 同棲なんかするから。寝食を共にし、愛着がわいてしまったのだ。まさかこんな……。

 一度の浮気も許せないような心を己が抱えるなんて。

 

「テッド、待て、おまえが嫌ならこんな誘いは断るぞ?」

 後ろでルキノが甘言を吐いているが、ルキノの意思の問題ではない。テッドの心の変化の問題なのだ。

 これは、非常にまずい事態である。

 思ったより深く、ルキノにハマっていた。これは、関係が終わる時、シャレにならない痛みを伴う。

 テッドは急いで、ルキノと共に暮らすヴェレノとフィオーレの丁度、間、ヴィスコンティの家領にある古屋に帰った。急いで荷物をまとめ、実家に帰宅の一報を入れる。

 ルキノとはしばらく、距離を置こう。

 気持ちが落ち着くまで遠ざけよう。幸い、ルキノはもう両職をバランス良くこなせるようになって、取り巻きの中には家事を手伝いに来られるような、暇のある者も居る。例えばあのテリーなどは、テッドの後輩で良く気の利く良い男だ。見た目は地味だがひっそりとした色気がある。欲求不満になったルキノが、テリーに手を付けるのはとても自然な事のような気がした。テリーの方も、ルキノに心酔して取り巻きをしているぐらいだから、求められれば応じてくれる。

 男性経験の有無は不明だが、テッドだって始めは女しか受け付けないと思っていた所を男に目覚めさせられたのだから、どうにでもなるだろう。

 そう思って、いざ古屋を後にしようとキャリーケースにまとめた荷物を手に、玄関を出た所でルキノとその武闘派子分のジジ、テリーに出くわした。

「どこに行く気だテッド、血迷ったのか?」

 ルキノの声は怒りに満ちており、ジジがテリーと視線を合わせてコクンと頷くのが目の端に映った。やばい、捕まってひどい目に合う。

 当然、逃亡の道を選ぶ。

 するりと古屋の内側に引っ込むと鍵を掛け、反対側にある大窓に走る。古屋は住宅地から少しだけ離れた丘の上にあり、広い窓を飛び越えると目の前は小さな崖だ。

 一人分の細い通り道が、剥き出しの崖に縄を巻いたような手すりだけを頼りに彫られており、そこを駆け下りる。危ない行為だが、緊急事態。運動神経は良い方で、怪我なくこなせる自信があった。

 滑るように道を下るテッドを追って、テリーとジジもそこを早足に降りて来た。

 ごしゃっと何か嫌な音がして、振り返るとテリーが足を滑らせていた。ジジが咄嗟にその手を掴んだが、テリーの身体の九割は道の下、つまり小さな崖に垂直に落ちるのを待つ、ブラブラと揺れた状態になり、誰かの助けが必要になっていた。

「おい、待ってろ、頑張れ!!兵士呼んでくっから!」

 怒鳴って、走って数分の民家に駆け込むと緊急連絡を入れて貰い、家主に交渉をしてベッドを一緒に運んで貰う手筈を整えた。

 ベッドは大人二人には重く、のろのろとしか進めない。

 頭の中に、何度も建物四階分の高さのある崖の上、ジジとテリーの手が汗で滑り、テリーが落下する映像が流れ、くらくらした。テッドがバカな気を起こして、あんな危険な道を逃げようとしなければ。

 悔いても始まらないが、ベッドは手に食い込むばかりで、ちっともテリーを助けに急いでくれる様子がない。こんな速度では、間に合わない。

「おぉい、誰か手伝ってくれ、ルキノさんのお友達が死にかけてるんだぁ」

 助けを求めた家主が、移動しながら通行人に声を掛ける。

 ルキノの一族が所有する土地の市民として、人々はわらわらと集まって来た。

「大変な事態ね、なぁに、それを運ぶのを手伝えば良いの?」

「丘の方だな」

「ははぁ、誰か足を踏み外したな」

「ルキノさんのお父上にはいつもお世話になっているからな」

「あたしはルキノさんにも面倒見て貰ってるわ、研究センターの体制が色々変わったでしょう?

 あれで通院が楽になったのよー」

「ん?!」

 しかし着いてみると、崖にテリーの姿はなく、崖の下にジジが膝をついて青い顔をしているのが見え、まさか、とテッドは最悪の事態を想定した。

「大変、もしかして?!……間に合わなかった?!」

 市民の一人が、辛い現実を口にして、テッドは足から力が抜けるのを感じた。

「ああ、何という事だ、どうか根の神のご加護を」

 家主の呟きに、市民たちが同調する。

「神よ」

「お助けください」

 皆、口々に己の信じるものに頼る台詞を吐き、足を止める。

 テッドは居ても立ってもいられず、崖下に走った。

「センターに連絡入れてください」

 叫びながら足を前に前に出す。

 その足が、止まったのは崖の下に倒れているのが赤い髪の男であったため。ジジの後ろで、テリーが泣いているのが見え、ルキノが何かしらの手段で、テリーを救ったのがわかった。

 テリーを救い、自分は……。

「あぁ、ダメだ、怖い、……絶対に嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ」

 心の中の呟きが、口をついて出た。

 とても近づけない。その恐ろしい事実が、横たわっているその場所に身体を持って行く事が出来ない。

「無理だ、無理だ、無理っ」

 ポロポロ涙が出て、浮気ごときに打ちのめされていた数時間前の自分を呪う。あの時、ルキノは生きていたのに。

 生きていてくれている、それだけで十分だったのに。

「ぁ、テッドさん!!」

 テリーに呼ばれて、びくっと身体が揺れ、現場に背を向けた。とても耐えられない。

「ちょ?!ウソでしょ、なんでこの状況で逃げられんだよ?!待って!!ルキノさんが、……ルキノさんが」

 耳に手を当て、テリーの声が聞こえないようにして、崖を背に走り出す。

 

 ルキノは早くから世間に才を認められ、その上家柄にも恵まれた。人は皆ルキノを運の良い男だとみなし、ルキノの努力から目をそらす。しかしテッドはこれまでルキノほど懸命に生きている者に出会った事がなかった。

 小さな頃から、人より器用に出来ることが多く何でも無難に「こなす」ことで生きてきたテッドにとって、ルキノは奇妙な偉人だった。世間を驚かす天賦の才を持ちながら、感覚は人とズレており、日常に必要な細々した雑事が、恐ろしく不器用。

 しかし己に与えられた才の分を見極め、その力を高めるため努力を惜しまず、己の持つ全て、才も親の金も、運も手繰り寄せ、全力で人生に挑戦する。

 欲望に忠実で、他人の痛みを理解しない、利己的な一面も持ち合わせていたが、目一杯、行けるところまで行こうとする男。常に己に目標を立て、成長しようとするルキノの生き方は眩しかった。テッドにだけこっそりと弱みを見せ、外では若さで舐められぬよう、毅然として振る舞う。そんなルキノが誇らしく愛しかった。

「テッド」

 ルキノの声が、耳の奥に蘇る。

「テッド、止まれ、……俺から逃げられると思うな、止まれ」

 すぐ後ろから聞こえるような、確かな響きを持って、テッドを包んだ。

「いい加減にしないとこの場で犯すぞ、人でなしめ」

 止まれと言われている気がして、足を止める。

 ルキノの霊が、別れを言いに来たのだろうか。

「ルキノ……」

 振り返ると、果たしてそこに、ルキノは居た。

「おまえは、どこまで逃げれば気が済む?!俺が死んだんだぞ?!駆け寄るとか泣くとか喚くとか、少しは」

「おまえと生き別れなんて無理だ、俺も死ぬ」

 ルキノが言葉を失ったのは、テッドの顔があまりにボロボロだったせい。

 目元も頬も、鼻も真っ赤にして、涙と鼻水と、口からは涎だ。

「酷いな、……いつもの、……『やりちん』が台無しだ」

「この場面でその単語出すなよ、バカ、……俺は、おまえだけ、おまえの、……俺も多分、一生を、いつでも棒にして良いんだ、おまえがいなきゃ生きてられないからっ……」

「テッド」

 恐る恐る、近づいて手を伸ばすと触る事が出来た。

 触った途端、ぎゅぅっと抱きしめられ土の香りがした。

 死ぬと、人は土の香りになるのかとぼんやり思う。

 いつもルキノから薫る、密林の熱気に似た野生の匂いが恋しくて涙が出た。このルキノは、確かにルキノだが、テッドと同じ時を生き、これからも横を歩いてくれる生者のルキノではない。この寂しさに、どんな名をつければいいのか。

「愛いことを、言うな、気が狂う」

「俺、おまえが居ないとダメなんだよ」

「……ダメになるのは俺の方だ、その台詞、そっくりそのまま返すぞ」

「ふ」

「だから俺の元から、去ろうとしたおまえには仕置きをせねばならん」

「もう、されてるだろ」

「……逃げた事を後悔させてやる」

「もうしてる」

「テッド」

 家に帰ろう、と再び囁かれ、頷く。

 

 そこには、テリーもジジも居らず、時空が歪んだような色をした逢魔が時の空があった。丘の上の古屋まで、二人で連なり登る。陽は沈み切り、空間の八割は暗いのに、うっすらとまだ明るいような不気味な道を、死んだルキノと進んで行き、古屋に付くなり、息を塞ぐ様なキスをされた。

 ぬるぬると二つの舌が擦れ合う、その感触を楽しんでいると、ぎゅっと腰を抱かれ、古屋の寝室に誘われる。寝室は今朝、寝坊をしてぐしゃぐしゃにして出たままの姿で、無防備に散らかっていた。

「おまえの腕が痺れたり痛むのは可哀相だからな、毛布に縛り付けよう」

「縛……?」

「明日は休みだ、監禁プレイをする」

「プ、レ……?なんで、こんな、……わ、別れの時にそんな、……マニアックな……?」

「別れるつもりなどない、俺から逃れられると思うのか、本当に監禁してやろうか……?」

「ん、別に、その、逃げる気なんか、……もう無いけど、もっと、……あの、フツーの……」

 もそもそと主張するテッドを無視して、ルキノはあっという間、テッドを毛布に縛り付けた。縄の変わりに黒いガムテープで巻かれたテッドの姿を、そっと写真に収める。

「ルキノ……?これ、楽しいか?」

「楽しい」

 縛りつけられたテッドが、ベッドに転がる様子は一言で表せば背徳的。そこには蜘蛛の巣に掛かった昆虫のような憐れさがあり、切なく色っぽかった。

「変態だな……」

 照れくさそうに、呟いたテッドの頬と耳を撫で、耳の中に指を入れて擽るともぞもぞと縛られた身体が動く。

「……さて」

 初心者の縛ったぐるぐる巻きに、ハムのように体を絞られて身動きの取れないテッドに伸し掛かり、ルキノは目を細めた。

「俺には時間がない、あと二時間で行かないと……」

「二時間?!……って、そんな、マジか、……そしたらやっぱり、ちゃんと正常位で……!!」

 目を潤ませて、正常位を訴えるテッドの頭を撫でる。

「縛っているのは上半身だけだ」

 足が開くのだから、問題ないだろう。ルキノの言い分に、テッドは口を尖らせた。

「ぉ、ぉれが、ルキノに抱きつきてぇんだってぃぅ……」

 小声だが、はっきりと聞こえたその要望に、ルキノは頭の中が真っ白になった。

「今日のおまえは何なんだ?」

 天変地異に見舞われた農民のように、困惑した顔でテッドに問うと、テッドはいじけた顔をしてそっぽを向く。いつもはそれで終わりになる会話だったが、今日は、ぽそりと言葉が聞こえた。

 たまには俺にもぎゅっとさせろよ。

 むくれ半分、泣き声半分、焦っているような様子に胸が締め付けられた。

「可愛すぎる」

 震えた声に、興奮が混ざる。

「なぁ、触りてぇ」

 喚くテッドの性器に手を当て、手の平にころりと当たる二つのものを転がす。

「ルキノ、……っ……ほどけよ」

「ほどいたら逃げるだろう?」

「逃げ、ねぇよ、……むしろ追う?」

「何を」

「おまえの事……」

「……俺はおまえの元から逃げたりしないぞ」

「ふ」

 形の出来上がった竿を二つの指でするりと挟み、上下に擦る。

「ぁ、……ぁっ、……ぁ」

 テッドの口から、声が漏れるのを心地よく聞きながら、覆いかぶさって耳の穴に舌を入れる。同時に、尻の穴にそっと指を入れる。

「うぁ、あ、……ん、っは……」

「テッド、……可愛いな、おまえは本当に可愛い」

 丹念にほぐしてから、尻の穴に今度は性器を挿れる。

「ぅぁはっ……?!あ、ぁぁ、……しが、み、つけねーの、ケッコー、不安っ、かも」

「不安?」

「おまえの肩とか背中、触れないと、俺、おまえに触られてるとこ……、ルキノの事、感じられるとこケツん中と乳首と、耳ん中だけだ」

「っ……」

 切なげに呟かれてルキノは急な射精感に襲われた。テッドの快楽を煽ろうとゆっくり腰を動かしていたのに果ててしまって、気まり悪そうに、はぁはぁと息をして、テッドと目を合わせた。

「あれ?言葉責めで感じちゃった?」

 テッドは涼しい顔で、憎たらしい事を言うと、くっと笑った。それから、また涙ぐんだ。

「このまま、は、やだ、……から、……ほどけよ」

 ただならぬ様子に、従うとテッドはルキノの身体にぎゅっと抱きつき、号泣した。

 

 

 この後、ルキノが死んでいない事を知ったテッドの一人恥ずか死に大会が開かれたのは言う迄も無い。

 

 

 

 

 

2015/04/26

 ルキノに掛かると、テッドもおバカに。おかしい……彼はこんなバカキャラじゃなかったんだけれども。

 tpでいる時のテッドは素で、ルキノといる時のテッドはペース崩されて一杯一杯って感じでしょうか。

 

<救出劇 おまけ>

 アウレリウス兵士の訓練を受けているルキノはその技術を駆使してテリーを助けた後、自分も低い位置で滑って土塗れになって転がり、気絶したのが真相(ドジ)。