『無味無臭』(ぼんやりモテ男×平凡)
フィオーレ所有の岩山の切れ間を風がビュウビュウと走り抜けていた。
どこもかしこも泥と灰の色をした走行訓練場。夜間訓練のラストは、ここを終着点にする走行訓練といつも決まっていた。岩肌にはり付いて乱れた呼吸に振り回されている者、帰り支度を始める者、闘技場に個人的な練習をしにいこうと約束を取り付けている者。
チェコ・トルーニは兵士らしい巨大な身を岩肌に立たせ、風にいじられている癖のある猫毛をゴツゴツとした手で押さえた。眠そう、と人から指摘されがちな目を細め星空を見上げる。
ふとして、ある友人の顔が浮かんだ。
中等部で同じクラスに居て、学力の近さから仲良くなった。学園は学力別にクラスを編制するので、テストの点が近ければ近い程、教室移動などで顔見知りになる。
高等部は案の定同じクラスになった。学園からクラス名簿を含む案内書類をもらいに行った時、名簿の中に名前を見つけて、嬉しくてその帰り自転車を早漕ぎして事故に遭いかけた。
リオネ・シュトールという男は、薄茶の髪と目が柔らかな印象をつくる、好青年と言えば好青年かもしれない。癖の無い性格と顔で文武の力量も中の上、人に不快さを感じさせる要素はゼロだが、ある人間がある人間に感じる近さだとか気が合うだとか、気になるだとかの属性というか、磁石力、その者にとっての「誰か」を引き寄せる力が弱い。個性の欠如と断言してしまうと乱暴な、無難という言葉があまりにも似合う、無味無臭の男なのだ。
だから誰とでも仲が良い一方で、特別な誰か……一番仲が良いという人間が出来ない。無味無臭の空気みたいな奴だ。チェコは、このリオネの一番仲の良い人間にあわよくば自分がなれないかと思っていた。
そう思いながら、チェコは中学時代リオネを同グループの遠くから眺めていた。チェコは彼女と二人の行動が多い上、同性にあまり好かれるタイプではなかった。チェコにとってリオネは盾のような存在で、リオネを通じて、男社会と繋がっていた。
普段付き合いが悪いくせに、気になる集まりにはリオネが親友を作らない所につけこんで、リオネの親友のふりをして参加した。人の良いリオネはチェコにグループのイロハを一々教えながらチェコがその集まりで楽しめるよう世話をやいてくれた。
色欲の強いチェコにとって、男の付き合い程、面倒なものはない。しかしたまに男同士の冗談が飛び交う明るい場所に存在したくなることがある。
「どうした?ぼんやり突っ立って?」
ふいに声を掛けられて、振り向くとゴドー・ジェキンスが居た。将来の上司だが今は歳の近い先輩。
ゴドーは黒い髪と黒い目を持つ肩のしっかりした大男で、いつもこの人には絶対に適わないと思わせる人間的な巨大さがあり、後輩の尊敬を集めていた。
「帰らないのか?」
見るとあたりには、もう誰も残っていなかった。ゴドーはチェコの、よく「何を考えているのかわからない」と言われる顔を見て首を傾げた。
何を考えているのかわからなかったのだろう。
「何か、あるのか?」
大雑把な質問に、対する答えはイエス。何かある。自分でも良くわからないもやもやがある。
「エリック・ヴェレノは、結局、リオネをどうしたいんでしょう?」
「さぁ、……あいつの考えてる事は、俺にはわからん」
「リオネが……可哀想です」
「……そうだな、あいつもエリックに相当やられてるからな」
平凡を地で行くリオネ・シュトール……チェコの大好きな優しい友は現在エリック・ヴェレノという、美貌の男に惑わされていた。
はぁ、と溜息をひとつ。
寂しいのだな、と自覚した。リオネをエリックに取られてしまった。エリックにやたらと反感を覚えるのはそのためか。
「エリックが嫌いなのか?」
「や、嫌いというか……前にも話しましたけどリオネが可哀想で」
「あぁ……」
「ほら、エリック・ヴェレノにはもう……ゴドーさんっていう立派な相手がいるじゃないっすか、それなのにあいつ尽くしちゃってるっつぅか。
あんま、気ぃ合ってないのにエリック周辺でなんかごちゃごちゃ、こないだも、う、うんこの落書き見せて来たんすよね……うんことか喜ぶタイプじゃなかったのに……なんか、……そういうの、なんかモアーッとしちゃって。……エリック周辺の、カルロとかダダとかあそこらへんの笑い、あいつとはちょっと違うんですよ。面白いけど、それはあいつらだから面白いんであって俺等はもっと……もっと静かだし、なんか……あんなの違うっつーか。俺と喋ってる時は……あ、まだ結構あいつ普通に俺のとこ来るんですよね、やっぱあいつらのとこだと疲れるみたいで……、で、やっぱ俺と居る時はもっとこう素なんすよ、だるいのをだるいまんまにしとくみたいな、無理にアホなこと言ったりしねーし、うんことか落書きしてみせたりしないんすよ。それが俺等なんすよ」
「でも見せてきたんだろ」
「……見せてきました……、しかもその後言ったんです「うんこ」って、……笑っちゃったんすけど、笑った後こうモアーッて、何だ今の、って、……何か、……らしくねーなって、もう……こう、モヤモヤして、うぜーんすよ」
ゴドーは下を向きながら、耳だけこちらに傾けていた。腹の中にあったものをいざ吐き出してみると、恥ずかしいぐらいリオネへの執着が言葉の端々に現れていて呆れた。
「うんこ」
ゴドーが呟いて、地面を見るとうんこが描かれていた。
「っ」
思わず噴出して口を抑える。
「おまえも好きじゃねーか」
「男は大概好きだと思います」
「俺は普通だな」
「俺も普通ですけど」
「……乱入したらどうだ」
「は?」
「カルロ君やダダ君が反対してもリオネは受け入れてくれるんじゃないか、リオネと一緒に居たいなら、おまえもあのグループに入れば良い」
「……邪魔じゃないすか」
「邪魔?」
「あいつは、ほら、エリック・ヴェレノに近づきたいわけだから」
「おまえ、さっき自分で言ったこと忘れたのか?エリックには俺が居るからリオネは脈のない相手に尽くしてるって、それが可哀想なんだろ?だったら止めてやれ」
「……ああ」
「俺のためにも」
「なるほど」
「リオネは好青年だからな」
「確かに、あいつと女取り合うのは嫌っすね」
「女じゃないが」
「尚更タチ悪いっすよ、あいつ同性ウケいいから」
「近頃学校の話をやたら楽しそうにするから心配だったんだ、楽しいのはいいが、楽しそうすぎると不安になる」
「ゴドーさんも根回しとかするんすね」
「するつもりじゃなかったが、せっかくだからな……まぁ、何だ、頼んだ」
「頼まれました」
ゴドーの頼みなら、とチェコの心は踊った。理由があれば動きやすい。
翌日の教室で、エリックグループは静かだった。金髪碧眼、美貌のエリック・ヴェレノを囲むのは陽気なそばかす男カルロ、毒舌太っちょのダダ、平凡な好青年リオネ。みんな揃って沈黙している。
チェコがリオネに声を掛けて、グループに一瞬入って来るのはいつものことなのだが出て行かない。
カルロがチェコに遠慮をして喋らず、ダダが苛々しエリックがリオネをちらちらする。
「チェコ?」
リオネに全てが託された。リオネがチェコに伺いを立ててきた。ここが正念場だ。
「仲間……入れて」
「……ん?」
「はぁ?!」
ダダが大声を出し、カルロが盛大に困り顔を作った。
「何かお前ら、いつも面白そーにしてるじゃん、彼女と別れてから孤独でさ」
「チェコも孤独とか感じんだ」
カルロの声はどこか上滑り。
「リオネも居るし」
「じゃリオネと二人で居ろよ、俺おまえ苦手なんだよ」
「克服して」
ダダの主張に、緩く噛み付く。
「俺、チェコ居てもいいよ」
まさかのエリックの助け舟。カルロがダダを伺った。カルロの顔は困り顔から、好奇心に輝く顔になっていた。
「まじかよ」
ダダがうんざり声を出し、チェコはこの闘いの勝利を確信した。
「ダダはさ、エリックの時も結構あからさまに嫌いとか言ってたんだよな、でもカルロがエリックかまってる間になんだかんだほだされてったから、おまえもカルロと仲良くしてたらいんじゃないのかな、ていうか、寂しいなら、しばらく俺一緒いようか」
昼休み、購買に向かう廊下でリオネは相変わらずの優しさを発揮してきた。
「チェコはさ、どうせまた彼女できて付き合い悪くなると思うし、そうなったらこっちが寂しい感じになるだろ、俺そういう空気苦手で……ってか、エリックがおまえに影響されて彼女作ろうとか考えたら厄介だし!なんて腹黒いこと考えてたりもするんだけど、どう?」
「や、それは、セフレ作ったからたぶんしばらく、大丈夫」
「……えー?」
「俺が彼女つくんの性欲でだし、これからは友情優先でやってく気だから、……おまえと一緒にいたい」
「え、ってか、セフレって誰?!あの、もしかして?!」
「わかるだろ」
過去に3回、告白を受けていたが面倒くさそうな性格が嫌いで断っていた女友達の顔を、リオネと一緒に思い浮かべる。リオネはチェコの事を何でも知っている。
「わかるけど、それどうなんだよ?!俺そういうの微妙かも!なんか好きじゃねぇわ」
「おまえほんと好青年な」
昼の廊下は賑やかで明るい。軽口のつもりでだった言葉に、リオネは返事をしなかった。黙ってしまったリオネの心が怖い。嫌われたのだろうか……。その考えにヒヤリと足の裏が冷えて、地面から浮いたような心地になった。
買い物を済ませてもまだ無言のままの帰り道。こんなに嫌われることに怯えたのは初めてだ。
「ごめん」
食堂と校舎の渡り路、コンクリートの日陰道。渡り路を囲む木々が音を吸い込むのか人通りの割に静かな道で、咄嗟に謝った。
「あの、なんか俺、悪かったよな?ちょっと不真面目だったかも、なんか、言われて気づいた。やめるから、不真面目なこと、……」
気に入らないなら、なおすから。嫌いになったりしないで欲しい。
「いいよ別に、おまえの好きにしろよ」
「そういう突き放した言い方すんなよ」
「突き放した言い方?」
「なんか不安になるから」
前を向いていて、ふいにこちらを向いたリオネは笑っていた。
「チェコってさ、なんか俺に懐いてるけど、なんで?」
懐いてるなんて、思われていたのか。
「おまえに構われるのが心地よかったから、かな」
「俺、そんなにおまえに構ってたっけ」
「構ってたよ、構うなら責任持って永久に構えよ」
「リオネ」
ゴドーの声がして、チェコとリオネは自然と背筋を正した。
「お、チェコも一緒か。悪いけど今からバスケ部集合掛けてくれ、おまえ学年部長だろ?」
「はい」
「このメモの内容で連絡網」
「はい、あ、えっと」
買った昼食と財布と、ハンドタオルを手にしたリオネが慌てだしたのでハンドタオルと荷物を預かる。
「さんきゅ」
リオネは礼を言いながら、ゴドーからメモを受け取った。
「頼んだぞ」
ゴドーは素早く去っていき、リオネはメモを見つめた。
「先輩の字、相変わらずだな」
メモには、でかくて力強い文字が躍っていた。荷物は教室に着いてから返そう。考えた矢先に、リオネはやんわりと荷物の受け取りをしようとして手を伸ばしてきた。
「いや、いいよ教室で」
「や、悪いから」
メモを尻ポケットに突っ込んで、受け取り準備万端。
「はっくし」
妙なタイミングでクシャミが出た。鼻水もバッチリ出た。
「うわ鼻水、タオルだけ今度でいいわ、使えよ」
言われて、鼻にタオルを当てた。ほんのりと蜂蜜の薫りがした。
「ん?」
鼻を拭いてからリオネの肩を嗅いだ。同じにおい。
「なんか、蜂蜜?っぽいにおいしね?」
「うち、母親蜂蜜狂だから」
「無臭じゃなかったんだな、おまえ」
「え、くさい?」
「くさくはない」
無味でもないのかもしれないが、それは噛んでみないとわからない。
2016/2/22