からめ

『傷心旅行』(ぼんやりモテ男×平凡)




 俺って実は暗いのかなと一時期悩んだりもしたが、一人行動が好きという事実は今も昔も変わらず。一人は楽。一人は自由。一人でいるのが良い。一人最高。

 しかし、人にはどうやらオーラというものがあるらしく、一匹狼的な、近寄りがたいような雰囲気を持っていなければ、一人きりになることは難しい。苛められるような一人になるのは避けたいが、できたら一人で行動することを認められた、一人行動キャラになりたかった。
 残念なことに、俺はとにかく平凡な、仲間オーラの持ち主で、気を抜くとすぐに友達が横にいた。
 人気者の類では決して無い。華とかは、特に無い。単に、気楽に声を掛けられる、一緒に時間を潰す相手として最良のオーラを放っている。つまり仲間オーラ。多くの人が、話が通じそうな奴だなと感じる雰囲気を、俺は持っているらしい。
 とにかく、よく人に話し掛けられる。初対面の人に安心感を与えるという面に関して、俺の右に出る者は今のところいない。

 そういうわけで、周りに人の居る環境下で一人になるのは難しい。

 話し掛けられたのを無視してまで一人になろうとするのもアレなので、
雑談を受け付ける。受け付けたら最後、大体いつも誰かと話をしている羽目になる。話をするのは嫌いじゃないので、別にいいのだが、一人の時間が足りない。意図的に一人になろうとしなければ、一人になれない。

 最近あった辛いことを克服するためにも一人になりたくて。苦労して作った一人の時間。貴重なので誰にも邪魔されたくない、やっと得た一人時間。にも関わらず今、俺の隣には怠惰で艶っぽい猫科の色男、チェコ・トルーニが居る。

 部活に休み届けを出し、友人の誘いを断りぬいて兄のチョッカイを切り抜けて作った自由な日。日帰り一人旅に出るはずが、一泊二人旅になってしまった不思議。何が起こったのか。

 チェコはみっしりと、質の良い動物的な筋肉を体中につけた細身の兵士で、学生をやりながら訓練寮に入っている。そして今は訓練を休んで、何故か今リオネの横に居る。何故だろう。

 爽やかな朝の空気の中で、チェコの首に纏わりついている癖のある黒髪が、後ろめたくなるぐらい淫らで思わず目を背けた。

「どこに行くの?」

 どこに行こうか。行くところは沢山ある。ここは観光地だ。

 フィオーレの古い農村、有名な映画の舞台になったおかげで牧場などが公園として整備され、観光地になっているこの場所。バルディ・フィオーレ。誰だって一度は訪れているだろう。観光客のルートは大体決まっている。牧場、撮影跡地、地元商店街、簡易闘技場、美術館、ホテル。これ等を適当に選んで回る。

 冬の青々とした空を見上げながら、白く刺すような太陽の光に目を細めた。二人の立っていた高い丘は、駅を背にバルディの地を見渡せた。気持ちの良い場所だ。

「まずは牧場かなあ」

 独り言のように呟くと、うん、と簡潔な返事があった。

 朝、リオネ宅最寄の駅前で待ち伏せしていたチェコは一言、リオネが一人旅に出るって聞いて、と呟いてちゃっかりついてきた。せっかく作った一人の時間に割り込まれ、はじめは腹を立てていたのだが、チェコは横に居ても、リオネが大切にしている「一人」の空気を壊さない。それどころか、一人でいても道行く人に決まって話し掛けられるリオネの気安さを打ち消し、誰かの邪魔を排除してくれる存在となってくれた。
 チェコとなら、二人でいてもいい。一人でいるのと同じくらい楽だ。

 チェコはどこか自然に近いというか、他者の存在感を発揮しない不思議な男だった。リオネが意図せずに他者を寄せ付けてしまうのと同じで、チェコは恐らく意図せずに、他人の一人空間にそっと侵入することのできる才能を持っていた。

 例えば一人暮らしの女性が、気ままな独身生活のお供によく猫を飼うというが、猫という生き物は一人でいるのが好きな人間と相性が良いらしい。チェコはこれまでも、リオネが一人で過ごすために確保していた様々な時間に気がつくと侵入して来ていた。

 横を見てみると、いつもの景色。チェコのハッキリした顔立ち、下がり眉。最近良くチェコと一緒に居る気がする。

「あ」

 斜め掛けのショルダーを回しガイドブックを取り出した。

「これ忘れてた」
「……うん」

 チェコの返事はとにかく単調。人と話をしているというより、動物の反応を得ている感じ。
 本をチェコに渡すと、チェコは嬉しそうに口端を上げ、パラパラ捲った。牧場のところを、じっと見る。何かに注目する時の癖なのか、唇を突き出している。上唇にペンが一本は乗るだろう。大人っぽいイメージのあるチェコの幼い仕草が面白くて、突き出ているチェコの唇を、指で摘んでみた。

「唇出るの癖?アヒルになってるぞ?」

 含み笑いをしながら指摘してやると、チェコは少し驚いた顔をし、他意のない流し目で俺を捕らえた。それから、摘まれていた唇を引っ込め、唇を摘んでいた俺の指に軽いキスをし、笑った。死ぬほど良い男の表情で。

「っ」

 そうか、これが良い男か。

「おまえ……っ、よく……今のみたいな、できるよなっ?!」

 熱の集まった頬を冷ましながら、動揺を隠せずに言及した。
 凄い……。
 凄いと感心はしたけれど、常識が口を動かす。

「男相手にっ……、さ?」
「やだった?」
「その聞き方はずるい……」
「先にやったのはそっち」
「俺のは普通のボディタッチだろ?!」
「リオネじゃなかったら怒る部位だけどね、唇とか」
「怒るのおまえ?……意外」
「結構神経質」
「まじで……?」

 目を丸くして聞くと、チェコはガイドブックから目を離さず、ふふふ、と笑う。なんか今日機嫌いいな。

「リオネ」

 名を呼ぶと同時に目を合わせる反則技。獲物を見つめる猫の目。この目に何人も、射止められるのを見てきた。チェコの目は、瞬きが遅いのだ。そのせいで形の良い三白眼をいつも目蓋が少しだけ塞いでいるように見え、る。それが妙な迫力を作り、性的な引力になっていた。

「……な、何?」

 名を呼ばれてから、二秒しか経っていないのに間が持たない。

「俺のことどう思ってる?」

 どう?

 チェコは、チェコを愛する女達の影響もあり俺の中で完全に男性の代表、男という性のイメージだ。男として、敵わない男とでも言おうか。同性としての、嫉ましさを通り越して何だか、凄いというか、かっこいいというか。俺はそうはなれないけど、おまえが「そう」ある様子は素敵だと思える。男の色気を湯気のように、もうもうと体から出している感じ。

「色男だなって思ってるけど」
「そういう質問じゃねーよ」
「えっ」
「だから、あの、……俺のこと好きになってくれたりする可能性はあるの?ないの?」
「あー」

 そっちか。と心の中で舌打つ。
 一ヶ月前、俺は長年の片想い相手、エリック・ヴェレノに振られていて、
深い落ち込みが二週続き、二日学校を休み、五キロ痩せた。食欲はまだ戻らない。減り続ける体重とエリックに恋した日々の思い出が相変わらず俺を苦しめている。

「ごめん」

 チェコは淡白に謝った。

「リオネが大変な時に、自分の気になることしか聞けない奴でごめん」
「いや、いいよ、普通気になるだろ、……ごめん、早めに答えだす」
「……うん」

 俺はその場にしゃがみ、話の弾みでぶり返した失恋の痛みを噛み締めた。もうエリックのことを、想ってはいけない。そんなの嫌だ。抑えても湧き出るエリックの様々な表情や発言。行動背景、持ち物、遠目に見た姿などなど。蘇っては痛みになり、襲って来る。

「リオネ」

 胸が冷温火傷しそうだ。背を摩られて宥めてもらっている。人間と猫から、病人と付き添い人に。チェコは俺の背を摩りながら、俺の前にしゃがんだ。

「忘れるためでもいいよ、俺はエリックと違ってリオネのこと好きだから、悲しめたりしない」
「忘れるためとかおまえに悪いよ」
「変なとこ真面目なんだよな、大丈夫だって俺は……、リオネに構ってもらえるだけで嬉しいから、俺、慰みの浮気相手とかよくやってたからさ、辛いの助けるの得意なんだ」

 チェコの艶っぽい顔が、良く見えないと思ったら視界が涙でぼやけていた。足元をすり抜けるような木枯らしが吹いた。リオネの身体を覆うように、リオネを温めているチェコの体温がとてもありがたく、愛しかった。


2016/6/21