からめ

からめ

小説担当むーと漫画担当みーによる創作BLを公開しています。

『鬼の餌』(孤高のエリート部下×万年教育係上司)

 『怪PR社』では、管理部の女子社員が中心になって男性社員に向け、バレンタインデーのチョコレートを送る。そのため、ホワイトデーには、今度は管理部の男性社員が中心になり、女子社員に向けて、お返しの贈り物をするのである。

 毎年、贈り物の選定をしていたのは、管理部で一番女性に縁のある男、弥助だった。それが今年は弥助の補佐となった柄黒にこの仕事が回って来た。

 

「初めての仕事で大変だろう?」

 柄黒は当然、現在恋人に近い関係で結ばれている田保に買い出しの手伝いを頼みに来たのだが、田保の居る営業部には厄介な男が居た事を忘れていた。

「よし、柄黒、俺が手伝ってやろう」

「要りません青鬼さん、お引き取りください」

 上機嫌の青鬼に捕まってしまった。

 田保の居る第三営業部に行くには、青鬼の居る第二営業部の前を通らなければならない事を忘れていたのだ。田保の連絡先は知っているのだから、呼び出せば良かったのに、失敗した。

「何だ、つれない奴だな」

 深い青色の小洒落た羽織で、また、その整った顔と鬼の貫禄で周囲の視線を集めながら、横を歩く青鬼を無視して第三営業部に向かう。そこで、本日の午後から休暇を取って、明日の休みを使い、田保と一本、弥助はスノボとスキーをやりに越後に向かったと聞かされた。

 『怪PR社』は水曜と土曜を休みに設定している会社である。火曜の本日は休日前。柄黒はホワイトデーの買い出しを、明日の休日に設定して田保を誘おうと考えていたのに。あてが外れて気落ちした。

 また、田保と出掛ける予定があったのに、その事を柄黒に気取られぬよう上手く立ち回っていた弥助と一本の上司二体が憎らしくなった。柄黒が田保に懐いている事を知っていて、どうしてこのレジャー情報を二体は柄黒に黙っていたのか。

「では柄黒、明日は私とデートだな」

 田保の事を聞いた第三営業部の元同期が、気の毒そうに柄黒と青鬼を見比べた。

「貴方は、また何か企んでるんですか?」

 柄黒がギロリと青鬼を睨むと、青鬼は少し残念そうに眉を下げた。

「企んではいない、おまえと仲良くなって、うちに引き抜こうと思っているだけだ」

「それを企んでるって言うんですよ!俺は弥助さんの後を継ぐって決まったでしょう?」

 苛々と青鬼を詰ると、青鬼はこちらを馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「ふん、弥助の移動までは月日がある。まだおまえに弥助の仕事はこなせないし、滝神は本音で言うと弥助を手放したくないだろう、そもそも今回の話は弥助の我侭だしな、だから、おまえが心を変え、人事が考えを改める可能性だってゼロではない。後を継ぐ人間がいなくなれば、弥助も簡単に移動などできん」

 柄黒の気持ちを無視し、ずけずけと講釈をたれる青鬼に、ハァ、そうですか、と柄黒はついに力の抜けた顔で相槌を打った。それから、己の部署に戻るため、営業部の廊下をエレベーターホールに向かい歩き出した。

 明日の事を考えると長い溜息が出る。

 百歩譲って田保が捕まらなかった事は受け入れよう。しかしせっかくの休日に青鬼と一日中顔を合わせるなんて。用事が済んだら解散、なんて柄黒の望みを叶えてくれる青鬼ではない。きっと夜遅くまでの飲みになる。想像して、柄黒はうんざりと首を横に振った。

 廊下の向こうからは、丁度何かの会議を終えた鶴とその右腕、山神が並んでやって来るところだった。一歩後ろにはかつて李帝と崇められ、帝国の長をやっていた鬼李。鬼李の脇を賑やかな第一営業部のエース達が固めていた。

 時刻は午後八時。皆、明日の休みに向けて、晴れやかな顔でいる。

「なぁなぁ鬼李ちゃん、頼むぜ、ちょっと顔出してくれるだけで良んだよ」

「鬼李が来るってなると女子の質上がるんだよぉ、持ち帰るのは俺らに任せてくれればイイから!」

 鬼李が恐ろしい大妖怪である事を、知らないわけではないだろうに、胆力のある奴らだ、と第一営業部のエース達を眺めながら、柄黒は集団とすれ違った。

 そこで、はっとして振り返り、鬼李に声を掛けた。

「李帝、ちょっとお願いがあるのですが」

 鬼李が過去に治めていた帝国に、何度か住んだ事のある柄黒は、鬼李を呼ぶ時、つい、帝名で呼んでしまう。

「ここで李帝はないでしょ君、何か用?」

 鬼李は顔を顰めたが、足を止めてくれた。

「あの、まだ時間戻しは出来ますでしょうか?」

「出来るけど」

 時間戻しとは、鬼李の実に帝王らしい凄技の一つ。簡単に言うと、個人の時間を戻してしまうのである。魂を数時間分抜いて、抜いた分の魂が保有する記憶を無にする。つまり、時間戻しとは、凡ゆる困った出来事を、個人の記憶のレベルであれば無かった事に出来る力だ。

「お願いです、この青鬼部長の記憶を、十五分削ってください!」

 鬼李は悪霊を身体に飼う妖怪で、魂を妖力で操作する事が出来る。人の魂だけでなく、物の怪の魂も操作出来るのが、鬼李の恐ろしい所だった。妖怪は歳を取るに連れて魂の量を増やしていく。その原理を活用した画期的な技である「時間戻し」は、帝国では主に戦争から帰還し、PTSDを発症した者を癒すのに使われていた。

「あれは、余り簡単に使って良い技じゃないよ」

 鬼李は顔を顰めたが、柄黒は譲らなかった。

「たった十五分ですよ?!」

 その時、鬼李の目が、柄黒の後ろ、鶴の耳元に何事かを囁く青鬼と、かぁ、と頬を染める鶴の姿を捕らえた。

「李帝?」

 しん、と黙った鬼李の顔は何か思案げだ。据わった目の怪しい光は、まるで愚か者に罰を下す残酷な神のそれであった。

「時間戻しね、お安い御用だよ?」

「えっ」

 急に手の平を返した鬼李に不審を覚え、柄黒が眉間に皺を寄せるのと同時、ブワ、と一瞬青鬼の全身から、風が流れた。

「ん?青ノ旦那?」

 鶴がいち早く、青鬼の異変に気がついて青鬼を下から覗き込む。鶴がそんな事をしたら、普段の青鬼ならときめいて、すぐに口説きに掛かっただろう。青鬼は鶴を無視し、能面のような顔でキョロキョロと周囲を見回した。嫌な予感がして、鬼李を見ると、鬼李は無情な目で柄黒を見返した。

「大丈夫だよ、明日の午後には戻るように抜いたから」

「な、何分、抜いたんですか?魂……」

「一五〇〇年分」

「そんなに!!俺は十五分って!!」

 確信犯の顔をして、鬼李は少し眉を下げて首を傾げた。

「ああ、間違えちゃった、可哀相に青鬼、右も左もわからない世界で困ってるね、まぁ、でも……あいつは本気で鶴を落とそうとしてる所があるから、いつかお灸を据えないと、って思ってたから丁度良いか?」

 営業部の廊下には、今や人だかりが出来ており、急に雰囲気の変わった青鬼の周りを第一営業部の数人が囲んでいた。推定百歳。普段、嗜みとして隠しているようだが、内側に持つ妖力というのは何となく伝わるもので、いつもの青鬼から漂う、千歳を超えた大妖怪の雰囲気はない。見た目には変わらないが、青鬼からは一五〇〇年分の魂が確かに抜けている。青鬼を取り巻く空気が、確実にいつもと違っている。青鬼を囲む人垣からは、え、これ、鬼李さんにやられたの?、やっぱ鬼李さん怖っ、戻してやれよ鬼李、また鬼李の悪ふざけか、など軽口が飛び交った。

 青鬼は無表情に、己を取り巻く顔の数や、己の着物、建物の造りなどを眺めている。

「鬼李、青ノ旦那を戻せ、おまえ時間戻し使ったろ?」

 事態を悟った鶴が鬼李を注意したが、鬼李はそれを無視した。鬼李の横に居た第一営業部のエース達は、にやにやして鶴と鬼李を見比べている。第一営業部のエース二体は、鶴よりもどちらかと言うと鬼李に懐いていると聞いた、あの噂は本当のようだ。

「しょうがねぇ、山神」

 つい、と視線で、鶴が山神に指示を出した。鶴の指示を受けて、山神はすっと一歩引くと、本部長の机がある営業部応接室に向かった。赤鬼を呼びに行くようだ。

 柄黒は額に、熱い汗が滲むのを感じた。鬼李が恐ろしい力の持ち主である事をわかっていたのに、気安く頼みごとをしてしまった己を恥じる。気が遠くなる思いで、営業部の広い窓に視線をやると、こういう時に限って、夜景が美しかった。『怪PR社』のすぐ近くにはアースポールと呼ばれる地上に続く地下の柱があるのだが、この柱が夜はライトアップされるのだ。夜空を彩る光の柱が、本日は鶯色と檸檬色に、ゆったりと揺らめき、輝いている。

 窓から視線を戻すと、柄黒がきっかけを作り、起こってしまった事件の様子が、まだ解決の糸口なく横たわっていた。青鬼を取り囲む第一営業部の面々と、第二営業部の数人。野次馬は確実に増えていた。

 鶴は腕組をして、鬼李を睨みつけているが、鬼李は知らん顔だ。

 一方で、百歳の青鬼は事態が分からないなりに、状況を悟って大人しくしていた。一五〇〇年前の世間知しかない者が、行成このような白い床と透明な壁に囲まれた近代オフィスの中に連れて来られたら、パニックでも起こしそうなものだが、青鬼は始終無言である。一五〇〇年分の記憶喪失なんて、体験している方はきっと、とんでもないストレスを感じているだろうに。

「取り敢えずな、お前ら、野次馬を辞めにしてさっさと帰ぇれ、あんまりジロジロ見ちゃ可哀相だろう」

 『可哀相』の言葉が効いたのか、好き勝手な囁きを交わしながら面白そうに事態を見守っていた人だかりが、わらわらと散って行く。誰の目が見ても、千を越える大妖怪が百歳そこらに縮められて、右も左も分からずに固まっている姿は気の毒に映ったのだ。

「おまえも、後は俺と大将に任せて帰れ」

「いえ、元は俺の軽口が原因ですから!青鬼さんが戻れるまでお世話します!」

 強い声で、己の責任を口にすると、鶴は少し笑みを浮かべ、そうか、と応じた。

「鶴っ!」

 そこで赤鬼が本部長室から走って来ると、青鬼はひゅっと身を浮かし、数メートル下がった。

「大将、助かった・・・、一五〇〇年は逆光しちまってるらしいんだが、俺ぁ鎌倉以前の言葉ぁ知らねぇから・・・」

「まぁ待て、俺だって、暫く発音していない、通じるかわからん、試しては見るが……えー、あー、そうだな、一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里」

 原文の発音なのかもしれない、聞きなれない音の混ざった言葉で、赤鬼は聖徳太子の十七条の憲法を口にした。最近、実在したかどうかを疑問視されている聖徳太子だが、この憲法は有名だ。一五〇〇年前の青鬼が、人の言葉を身に付けようとしたなら、この文言を一度は読んでいる。

「……然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。」

 赤鬼の想定通り、青鬼は文章の続きを口にし、赤鬼を見た。

「通じた、みたいだな……」

 赤鬼がほっとした声で呟くと、鶴がはぁーと息を吐いた。

 これまで、青鬼は現代語がわからず、黙っていたのだろう。赤鬼に言葉が通じた途端、早口で何かを話し始めた。途端に、赤鬼が狼狽し、恐らく、もっとゆっくり話せというような事を言った。

 

 こうして休日、青鬼と通訳の赤鬼という組み合わせの、ごつい鬼二体が新宿東南口の待ち合わせ場所にやって来た。恋仲だという噂の二体が揃って同じ方角から到着したので、昨日はどちらかの家に泊まったのかもしれない、という邪推をしてしまい、柄黒は早くも帰りたくなった。田保の事は好きだし、本能的に触れたくなるが、具体的な肉体関係を想像するところまで、柄黒に男色の趣味はない。

 自分達の事でも何となく嫌な感じがするのに、他人の事になると尚、目を背けたくなる。

 誰と誰が好き合っている、やったやらないの噂を、好んで行う者達が居るが、柄黒はそういった輩を軽蔑している。理解出来ない。

「悪いな柄黒、うちの青がこんなんなっちまって」

 今日の午後に青鬼の記憶が戻るなら、記憶がなくなる前に青鬼がやろうとしていた事をやらせてやるのが良いと鶴が判断をしたため、柄黒は予定通り、ホワイトデーの買い出しに青鬼を連れ出した。

「キョうノひは宜しく頼む」

 家で仕込まれて来たらしい、青鬼が現代語で声を掛けて来た。

「良く出来たじゃねぇか、青」

 赤鬼の滑らかな現代語が、聞き取れなかったらしい青鬼は戸惑った顔をしたが、褒められた事だけはわかったようで微笑んだ。

「っ」

 澄んだ湖に波紋の広がるような、静かで美しい笑みだった。赤鬼が黒目を小さくして黙ったので、見惚れたのだな、と柄黒は推測した。

 

 駅から地下通路を通って到着した伊勢丹の地下は混み合っていた。年配者が多いと思いきや、中には近場の大学生のカップルや修学旅行中の中高生、仕事で移動中に立ち寄ったサラリーマン客なども居る。目当ては一つ二千円前後で、趣味と味の良い洋菓子だ。これまで弥助が請け負っていた仕事である分、期待値が高いのが悩み処だが、弥助程のセンスがなくとも、無難に喜んで貰えるような何かを見つけ出したい。青鬼がいつもの青鬼であったら、きっとこれまでの豊富な女性経験から有益な助言をしてくれただろう。

 隅まで綺麗に磨かれ、淡い照明と高級感漂うデザインが購買意欲を掻き立てる地下のフロアを一杯に埋めている販売スペースは、数十種類のブランドが立ち並んでいるにも関わらず、絶妙な配置センスでさっぱりと整備されている。白っぽくライトアップされたガラスケースの中の洋菓子たちを睨みながら、柄黒は唸った。

 どれも良く見える。何を買うのが正解なのか、さっぱりわからない。

 

「ああ、迷惑を掛けたな」

 そこで、ぽつん、と滑らかな現代語で、青鬼が言葉を漏らした。

 悪夢の終わりが突然に来た。

 悩んでいた柄黒の目の前、フルーツポンチなどを売る店の前で、試食カップを受け取った青鬼に、千歳を超えた大妖怪の風格があった。

「戻ったのか青・・・!」

 同じく試食を勧められていた赤鬼が、声を上げると、青鬼はふっと笑い、それから顔を顰めた。

「青と呼ぶな赤いノ、貴様、無垢な俺に何て事を……、まぁ色々と世話を焼いてくれた事には例を言うが」

 やはり昨日、何かあったのだ。今朝同じ方向からやって来た二体への、柄黒の邪推は当たっていた。

「とんだ姿を見せてしまった、驚いただろう」

 正気を取り戻した青鬼が、照れくさそうに柄黒に微笑み掛けて来て、柄黒は心の底から、千歳の青鬼の帰還を喜んだ。

「普段より扱い易かったですよ」

 しかし、そこは柄黒である。憎まれ口を叩くと、ははは、と高らかに笑われた。

「こんな事になったついでだ、話をするよりも良い案を思いついた」

「?」

「実は今日、おまえの手伝いを買って出たのには、おまえと仲良くなるという目的の他に一つ、おまえと田保の仲を応援したいというのもあってな、俺の昔の話を少し、聞いて貰おうと思っていたんだが、せっかくだ、いっそ体験して貰おうと思う」

「ハ?!」

「小野森、おまえには『時間戻し』の他、『時間渡し』という技もあるのだろう?」

 急にこの場に居ないはずの者の名を呼んだ青鬼の視線の先、地下フロアの隅に鬼李と鶴、野平と牛鬼が居た。

「使えるけど、君、記憶を失うのを欠片も怖がらないね、つまらない」

 まるで初めから一緒に行動をしていたかのような自然な会話運びだった。

「貴方達は?!」

 突然のメンバー出現に、思わず、慌てた声を上げた柄黒と、ずっと付いて来てたぞ、としれっとした口ぶりで解説した赤鬼が対照的である。

 鶴は不機嫌顔で、階段付近の広いスペースに置いてある椅子に座っており、鬼李はその横の壁に背を預けていた。

 牛鬼は鬼李の前でスマフォを弄っており、野平は牛鬼の隣で、笑顔でこちらに手を振っていた。

「野次馬でついて来ちゃった、青鬼さん戻って良かったねぇ」

「思いの他、早く元に戻ったね」

 野平の軽薄な声に続いて、鬼李の意地悪い声。

「おまえは毎度毎度、人騒がせなんだよ、やる事が!」

 鶴は苛立ちを顕に、舌打った。

「だって、赤鬼がなかなか青鬼を床に誘えないって嘆いてたから」

「あ゛?!」

「柄黒が青鬼に時間戻し掛けてくれって言って来た時思いついたの、赤鬼と青鬼って千年ぐらい前は、ラブラブだったらしいじゃん?それで、イタッ」

 鬼李の弁解に、鶴の不機嫌顔はいよいよ濃くなり、ついには鬼李を蹴った。

「やり方が回りくどい!!」

「だって、思いついちゃったんだもん、あと、お灸据えようっていうのは本気で思ってたし!!」

「その発想がまず、おまえ何様かって話でな!!」

 そこで、喧嘩を始めた鬼李と鶴を横目に、じゃぁ俺、個人的にホワイトデーのお返し買いに行くから、と野平が抜け、俺も、と牛鬼が野平に続いた。趣味の良さそうな二人が、どんなものを選ぶのか気になったが、後で教えて貰えばいいかと踏みとどまる。あまり親しくない柄黒について来られても落ち着かないだろう。

「ところで鬼李、先程の話だが、良ければこの柄黒に、俺の記憶の一部を一瞬渡したいのだ」

「は?!」

 一秒前、二人について行かなかった事を柄黒は早くも後悔した。

「時間渡しで、それが可能だと聞いているのだが」

「可能だよ、どの辺り?」

 ちょっと待て。

「一五五十年前だ」

「ふぅん?今回戻った付近だね?」

 青鬼は一体、何を考えているのだろう。

 柄黒の戸惑いに気がつくと、青鬼はまたふっと笑った。百歳の青鬼の、澄んだ笑いとは違う、苦味を含んだ、熟成した笑いである。

「思い出したのだ、あの頃の、私の赤鬼への直向きな好意を、……あの感覚が、少しでも彼の役に立つと良いなと」

 青鬼の言葉に、おまえ!と赤鬼が照れた声を上げた。良い年して照れんなよオッサン、と鶴が揶揄った。

 青鬼の記憶。何か、柄黒の役に立つかもしれない、と青鬼が判断したその記憶。

「すみません李帝、度々お手数お掛けしますが、私も青鬼さんの記憶、気になります」

 普段なら丁重にお断りする申し出だが、つい先程、青鬼が口にした、柄黒と田保の仲を応援したい、という青鬼の気持ちが嬉しかったのもあり、柄黒は青鬼の記憶に興味を持った。

「飲み込まれないように気をつけられる?」

 鬼李はおっとりした帝王の顔で、柄黒に伺いを立てて来た。

「はい」

 返事をした数秒後、フツッと外界の画が目の前から消えた。胸の中に冷たくて質量のあるものが飛び込んできた。

 青鬼の記憶は、実感を伴って柄黒を襲った。

 

 ハァスーハァスーと息を吸って吐き出す音。どこまでも続く草原の道。逃げる人間の後ろ姿、身体は重く空気が刺さるように肌に染みて、青鬼が無理をして実体化しているのがわかった。足がもつれ、転ぶと実体化が解けて、人間が走り去る後ろ姿が見えた。今日も逃げられた。もう駄目だ。消える。

 手足に目を向けると、己の身体が透けているのがわかる。青鬼はフラフラと森へ帰ると、森の入口に蹲った。目の回るような空腹に、涙が出た。消えたくないのと、狩りの下手な己の不幸に対する涙で、それを森の陰に潜む、他の鬼たちが笑っていた。

 その森はどうやら鬼種の巣窟で、狩りの巧い下手で住める場所を決められているらしかった。青鬼は森の入口、それも道沿いに身体を横たえると、空腹の足しにと周囲の草を食った。夕刻で、森に戻る他の鬼たちが、人の足や、丸ごとを手にして通り過ぎるのを、じっと睨む。

 この夜が最後かもしれない。明日の朝には、己は消えているかもしれないと、ぼんやり感じながら、いや、まだ大丈夫だ、やれると無理に明るく考えてみたりして、……しばらくの間、寝転がっていた青鬼の耳に、サクサクと草原を掻き分けて、何かがこちらに来る音が聞こえた。月灯りも傾いた深夜。青鬼は飛び起きて、その何かを見ると、赤い顔をした鬼。赤鬼だった。青鬼は青くない鬼を、生まれて初めて見た。同時に、赤鬼の顔の作りがすっきりしているのを気に入った。純粋な鬼は、醜いのが多い。赤鬼もきっと、何かと混ざっている。

 森に済む青黒い鬼達は皆、女怪だろうが、小鼻の大きい、緑ががった青面で、大変醜くかったのだ。母親に白蛇が混ざっていた青鬼は、白青い顔色と花のように整った綺麗な顔をしており、だから狩りが下手なのだと馬鹿にされたが、己の見目が麗しい事に満足していた。同時に、見目の良い者に惹かれる性質だった。

 あの赤い鬼と仲良くなりたい。きっとあの鬼は、青鬼と同類だ。青鬼を理解してくれるだろう。

 赤い鬼と仲良くする妄想に胸を膨らませながら、段々と近づいて来る赤鬼を凝視していた。

 すると、赤鬼の腕に怪我がある事がわかった。その爛れ具合から見て、怪我は恐らく人の呪いによるものだろう。

 人の呪いは、流行病と同じように嫌われており、その者の傍に居ると呪いが移る、という妖怪世界の常識があったのだ。見たところ赤鬼は青鬼の五十は年上で、ギラギラした顔や厳つい全身の迫力などを見ると、相当腕が立ちそうだった。だが怪我が深い。このまま森の、他の鬼に見つかったら殺される。青鬼は急いで怪我を隠す大きな草を取りに走り、こちらにやって来る赤鬼が、森に入る前に声を掛け、その呪われた腕を草で覆った。近くで見ると赤鬼は、このまま放っておくと死にそうな程弱っていた。

 その日、青鬼は森の中核に居る兄役の鬼を頼った。怪我をした赤鬼を宜しく頼みたいのだと言うと、その鬼は赤鬼の世話を引き受ける代わりに、いつものように青鬼との性交を所望した。青鬼はこの兄役と、餌を分けて貰うために良く性交しており、兄役がそれを求める事に慣れていたので、簡単にその条件を呑んだ。獣のように両手足をついて、兄役の一物を尻に受けて喘ぐ青鬼を、赤鬼は口を開けて眺めていた。驚きと嫌悪、それから興奮。赤鬼が兄役と同じ事をしたいなら、させてやっても良いと思った。思った途端、赤鬼とそれをする己を想像して、いつもは鈍い痛みと、気持ちの悪さだけで終わるそれが、やたら気持ちよく心地良いものになった。

 赤鬼を兄役に預けてから数時間、青鬼は赤鬼が、この森に居着いてくれる事を強く願った。あの兄役ならきっと赤鬼の怪我を癒してくれる。しかし翌日になって青鬼は、兄役が赤鬼に食い殺された事を知った。恐ろしい男を、匿ってしまった。お世話になった兄役を、死に至らしめてしまった。青鬼は責任を感じて森を出て、兄役を殺して森を去った赤鬼を殺すため、赤鬼の後を追った。

 

 それから百年、赤鬼を追ううちに逞しく成長し、胆を得て妖力を増し大妖怪として周囲から扱われ始めた頃、青鬼は赤鬼と再会した。当時、赤鬼と青鬼は都を騒がす大妖怪として、それぞれ名を馳せていたが、青鬼は正面から赤鬼と対立する道を選んだ。赤鬼の方には、青鬼の機嫌を取るような動きもあり、歩み寄りが見えたが、青鬼は頑として赤鬼を目の敵にしていた。赤鬼にしてみれば、好いた相手が、己ではない者の仇討ちで、己を恨んでいるという辛い状況であり、柄黒は赤鬼に同情した。青鬼は赤鬼に気があるのに。あの兄役に、青鬼は恋情など抱いていなかった。性交をする代わりに優しくしてくれる相手であり、それ以下でも以上でもなかった。

 

 その日、ついに赤鬼が、青鬼に心を痛めている事を告白した。青鬼があの兄役を慕っていると感じれば感じる程辛い事。青鬼と仲良くなりたい事を言い、赤鬼は青鬼に正面から、言葉でぶつかった。

 結果、青鬼は落ちたのである。二体の初夜はそれまでの啀み合いの歴史もあって、やたら盛り上がり、柄黒はその場面をさっさと飛ばしたい衝動に駆られた。

 こんなシーンを見せられてもなぁ、と苦笑していると、青鬼がぽつんと赤鬼に告げた。

 きっかけをくれてありがとう、私は意地を張っていた。

 

 ニュアンスを汲み取ると、そんなような意味で、柄黒は少し、はっとした。田保は柄黒を憎からず思っている。それは感じ取れるのだが、その先に進めるかどうかで遠慮をして、柄黒はいつも踏みとどまっていた。その、遠慮だと思っていた感情は、実は恐怖ではないのか。青鬼に言葉をぶつけた赤鬼は、勇気を振り絞ってきっかけをつくった。青鬼が意地を張るのを辞められるよう、誘った。柄黒も赤鬼のような思い切りを、発揮するべきではないのか。

 

 ありがとうございました、いらっしゃいませぇ、またお越し下さい、いらっしゃいませぇ、店員の高い声が方々で混ざった雑音が耳に入り、青鬼の記憶が、柄黒から抜け出た。

「最後の濃厚なラブシーンは、必要だったでしょうか?」

 柄黒の言葉に、青鬼は少し照れて、不可抗力だと言うと腕を組んだ。

「俺の伝えたい事は、わかったか?」

「敵同士でも打ち解け合えた俺達凄い、という事でしょうか」

「違う、一歩を踏み出すのは大変だが大切だという事だ」

 そんな簡単な事、口で言ってくれれば良いんですよと言いかけて、果たしてそうだろうか、と思う。己が恨まれている自覚がある中で、一歩を踏み出した赤鬼の勇気に、柄黒は少なからず感動していた。

 俺も、田保さんに言うべき事を言わないと、という気持ちが心の中にあるのは、青鬼の記憶にあった出来事を見たから。

 

「何だ? 何の記憶を見せたんだ?! 俺達の事か?! それ、俺の許可も取るべきじゃねぇのか?!」

 赤鬼が慌てて、青鬼と柄黒のやり取りに混ざって来たが、もう後の祭りである。数秒の出来事だったが、記憶というのは一瞬でインポートされるものであって、もう柄黒の頭には、赤鬼と青鬼の馴れ初めが記録されている。

「田保に男色の趣味はない、踏み込み方など知らんだろう、おまえがリードしてやれ」

「はい」

 赤鬼が青鬼に踏み込んだ時の、青鬼の緊張と衝撃を思い出す。意地を張る心が砕け、ただ赤鬼の存在に喜び、赤鬼を全身全霊で歓迎した青鬼の心。赤鬼は青鬼を、言葉一つで幸せにしたのだ。

 

 外していたらそれまでだ。もし、田保さんが俺の覚悟一つで幸せになってくれるのなら。俺の言葉が、田保さんを喜ばせる事が出来るのなら。田保に拒絶されたら、傷つくのは己のみで、田保に害が及ぶわけではない。ならば柄黒は田保に気持ちを打ち明けるべきだ。

 居ても立っても居られずに、柄黒はまた電話を掛けた。

 

『おー、柄黒ー、どしたー?』

 今度は、田保の間の抜けた声が耳を包んだ。独特の間延びに心地良さを感じて目を瞑る。

「田保さん、スキー、どうでしたか?」

『え? スキー? ……あっ、そうか』

 ……あっ、そうか??

「何ですか? 嘘だったんですか? あの情報?」

『いやっ、そのぅ、あれだ、……おまえ今電話平気か?』

 周囲を見ると、柄黒の電話に、その場の全員が集中していた。今の電話で、次に会う日取りを決め、そこで告白をしたい。と考えているが、この視線の重圧がある場所で、田保との長電話は何となく避けたい。顔もにやけてしまうし。短めに終わらせよう。皆が待っているし。

「少しなら大丈夫ですよ」

『少しか、弱ったな、……えっとぉ、そっか、時間ねーのか、わかった、んじゃ、とっとと言うけど、……俺なぁ、おまえと肉体関係ありの恋人同士になりてーんだけどどうだ、おまえさえよけりゃ、って何か、電話で言うような事じゃねぇんだが、……お付き合いして欲しい、それで、ホワイトデーにな、もし、その、おまえがまぁ、俺を少しでもアリだなぁーって気持ちがあんなら、ホテル取って会おうぜっていうな、今日、色々下見してみたんだが、初心者の男二人に良いとこ、なんか人気あるみたいで、部屋埋まっちまいそうなんだよな、だから、もう予約してぇんだけど良い?』

 あ。

 もう。

 何。

 この人。

 ガクンと力が抜けて床に膝を付いた柄黒を、青鬼が驚いて支えた。そして、鶴が座って居た椅子を譲ってくれたので、よろよろとそこに座る。ああ、もう、何だ、この人。

「お願いします」

『ん?それは、予約して良いって事か?』

「はい、どうぞ、宜しく、お願いします……信一さん」

『おぉ、さんきゅー、愛してるぜ毅』

 プツ。

 

 電話の切れる音が、こんなに大きく耳に響いたのは初めてだった。

 

 それ程、耳に神経を集中させていたのだ。柄黒はへたりと、椅子の背に寄りかかった。額には玉の汗。

「柄黒、大丈夫か?」

 青鬼の気遣いに、ふるふると首を横に振る。

「すまん、俺がけしかけたから」

「何だよおい、玉砕、なのか?!」

 青鬼と鶴の、心配そうな様子に対し、赤鬼と鬼李は胡散臭そうな目をしていたのが印象的だった。

「逆に、告白されたんじゃないの?」

 鬼李の指摘に、柄黒がこくこく、と頷くと、おいまじか、と鶴が即座に驚きの声を上げた。

「やるな、田保」

 青鬼が関心し、赤鬼は大あくびをした。

「つまり田保は、スキーに行ったんじゃなくて、仲良しの友達に付き添って貰って、男同士で入れるホテル探しをしてたんだね」

「ふ、今時、男同士を断るホテルなど少数だろうに」

「男色の気がないから、心配だったんじゃない?」

 鬼李と青鬼のやり取りを、耳で聞きながら、柄黒はぼんやり振り返った。いつから、田保と柄黒は、両想いになれて居たのだろう。いつから、ホテルを取るまでに、田保は先に進みたい気持ちになっていたのだろう。どうして、気づいてやれなかったのだろう。

「田保の親父もあれで、結構女誑しだからな、チッ、好かねぇ」

 鶴の呟きに、柄黒は当たり前の事を思い出した。

 田保も、男なのである。

「青鬼さん、田保さんはその、どちらを? 男役と女役のどちらをするおつもりなんでしょうか?」

 柄黒はまだ、具体的にイメージ出来ていないが、田保の方はどんな風に思っているのだろう。

「さてな」

 青鬼は涼しい顔で、爽やかに笑った。

 ああ、これは、ホワイトデー迄にまた青鬼に話を聞いて貰う必要がある。もし、柄黒が第二営業部に入ったら、こういう相談を、常日頃から、気軽に出来るようになるのか。

 などと、一瞬、柄黒の心に誘惑の陰が射した。

 

 

2014/03/10