からめ

『お任せします、要さん』(マイペースエリート×庶民派苦労人)

 妖怪タウン、地下四層にある要家の大家族十七人が住まう長屋に、朝一番の怒号。

「安栗ーっ、こんの親不孝もんがーッ!」

 また安栗である。親父がキレているから、早く止めねーと、と飛び起きた要を、目眩を伴う頭痛が襲った。酒なんてもう二度と飲まねー。飲んだ翌日の定番の誓いを心中で立てる。顔を上げると六畳程の要の私室には、昨日の飲み相手である親友石壁とその部下がでんと座していた。昨日の夕方、悩みがある、と相談を受けて呼び出されてから三時間飲み続け、終電を逃した二人を要家に泊めたのだ。二人は揃って既に身支度を整え、要家の揉め事にそわそわしていた。

「あ、浩二! やっと起きたか!」

 石壁が眉を下げて、ぐいっと身を近づけて来たので、むさい、と腕で制止の合図をした。

 ぬり壁種である石壁の体格たるや、身長がゆうに二百cmを超え、肩や腕、腰は鎧を付けたように分厚い。その石壁の部下もまた同じぐらいあって、二人のお陰で要の部屋は今、相当狭くなっている。

「また安栗ちゃん、怒られてるみたいだ」

 石壁が心配そうな顔で、騒ぎの様子を報告して来たが、要家では日常茶飯事である。

「ぁぁ、悪い、喧しくて……、ちょっと、一旦、あの騒ぎ止めて来るな」

 お互いに、昨夜は相当飲んだはずだが、石壁とその部下はぴくりとも二日酔いの気配がない。二層に多く群れているぬり壁種は妖力が強く、生き残りやすい中堅の妖怪だ。臓器も丈夫なら骨も太く体も全体的に固くて大きい。

「手伝うか?」

「いや、おまえが出て来たら親父ビビらしちまうから」

 要は少し、苦い顔になって石壁の申し出を断った。要の父親は、二百年以上生きているため、この四層に住まう妖怪達には大妖怪として名が知れている。それが、幼い頃要にはとても誇らしかった。しかし、二層出身のぬり壁種である巨大な石壁と対峙したら、貧相で妖力もそんなに強くない要の父親は、きっと気後れして情けなく困った顔で要を見るだろう。

 それは最近の、父親の様子から想像した反応で、実際にそういう反応になるかどうかは不明だ。しかし、そんな父親の姿を見てしまうのが怖くて、先回りした。それというのも、要の恋人である滝神に対して父親は兎に角、弱腰で情けない。初めは気にならなかったが、段々腹が立って来た。親父は一応要家の主で、大妖怪なんだからもっとしゃんとしろよ、と言ってやりたい衝動に駆られ、そこで初めて、自分が父親に対して強い期待を持って居た事に気がついた。何があっても一番強い存在で居てくれる事を望んでいたのだ。この父親に対する失望は、要のこれからに暗い影を落とした。

「だって、俺だって、もし仮に千年とか生きても、おまえと会ったらビビるぜ」

 千年先の事は、正直わからないが、そんなような気がする。長く生きたところで、小物は小物。

「何言ってるんだ、百にも満たない癖に」

「……」

 この先苦労して百、二百と歳を重ねる事さえ出来るかどうかわからない、頼りない自分に嫌気が差す。せめて苦労して長生きをしたら、他者に尊敬されるような大妖怪になりたいが、生まれ種というのはどんなに生きても覆す事が出来ない。この憂鬱。

「おまえ、垢嘗の星なんだろ」

「は?!」

 四層から一層に働きに出ていける垢嘗は多くない。会社のほとんどが三層出身者の中、四層から十年ぶりぐらいに採用された要は、四層の住人からは、垢嘗の星と呼ばれている。

「親父さんも、浩二には頭上がらねぇみてぇだし、もっと元気出せよ、……相談に乗って貰っておいて何だが、おまえも、最近なんか悩んでるだろ」

「っ、え、……、……」

 そうかな、と口の中でぼやくと同時に、また父親の怒号、ばっかもん、というベタベタな叱り文句が耳に入った。

「まぁ、行って来いよ」

 石壁に促されて、急いで居間に走る。

 襖と障子と岩の三種の壁に囲まれた、ごつごつした居間に到着すると、その中心で、正座させられたすぐ下の妹、安栗が項垂れていた。安栗の前に居る父親は、顔を真っ赤にして怒っている。この床の間には、有名な画家や彫刻家の作品の代わりに、昔、要が描いて賞を取った日本画の掛け軸と、安栗が作って同じく賞を取った彫刻、それぞれ地上の美術展に出品される迄に至った一家自慢の作品達が飾られていた。その、彫刻の方、安栗が作った『雪女』という題の作品が割れている。

 ははぁ、と要は当たりを付けた。

「父さん、ちょっと落ち着けよ、俺のとこ、お客来てんだぞ?」

 部屋の中央で、胡座する父と正座する安栗の間に入る。

「彫刻が壊れちゃってるけど、もしかしてあれが原因で怒ってるのか?」

 父親はぎろりと要を睨むと、ふん、と鼻を鳴らした。やはり、あれか。

「安栗ならきっと元通りに出来るよ」

「元通りになんかしないけど!」

 せっかくのフォローに、噛み付いて来た妹に、片眉を上げる。

「あ゛?! 何言ってんだよ?せっかく地上の美術展で飾って貰えたような凄いもん」

「あんなものあるから……! うちの皆も地上を有り難がっちゃうんだよ!! 地上が何だって言うの?!」

「はぁ?!」

 今度は安栗に、ぎろりと睨まれる。要は頭が痛くなって来た。二日酔いの状態で、面倒な事に巻き込まれるもんじゃない。

「あたし、地上なんてだいっきらい!地上なんか行きたくない!だからもう勉強もやんない、大学も行かない!!」

 もしかして、勉強が嫌になったのだろうか。安栗は頭が良く、要よりも良い大学、地上の大学に入れそうな程なのだが。

「安栗・・・、おまえ、・・・何か、あったか?」

 恐る恐る聞くと、安栗はぶわ、と目に涙を溜めた。妹とはいえ、女に泣かれる事が苦手である要としては、おおいに焦ってしまう景色であり、瞬間、うっと息を呑んで絶句してしまったが、反射的に妹の肩をきゅぅと抱いた。過去、女に涙された時に編み出したなぐさめ技である。

「おいおい、どしたどした? 泣くな、なぁ? 兄ちゃんが聞いてやるから、ちょっとあっち行こう?」

 安栗がこくと頷いたのを確認し、父親に目配せをすると、父親は納得した顔を向けた。

 父親の許しを得て、安栗の部屋に向かう。

「あたし、地上なんか行きたくないもん!!」

 部屋に行く途中にも、また呟く。

「おまえ、地上の良いとこ知んねーから」

「行きたくないもん!!」

 さぁ、困った。完全にこれは、勉強やりたくないのこじつけだ。

 要も昔行っていた塾であるからわかるのだが、今、安栗の通うその塾「青空アカデミー」通称青アカは相当なスパルタ塾なのである。「地上に行けるのは、ほんのひと握りの妖怪だけだぞ」を連呼して、地上は最高だ、地上にいる妖怪は選ばれし妖怪だ、地上に行くことで、選ばれし妖怪の仲間入りができるぞと選民意識を煽り、きつい勉強指導をする。

 来る日も来る日も勉強の日々に嫌気が差し、地上なんて別に行きたくないし! という思考に陥ってしまう気持ちは、良くわかる。

「安栗、じゃぁおまえ、地上のこと、どんなとこが嫌だとか、言えるのか? 嫌って言える程、知ってるのか?」

 だからと言って、勉強をやめると、安栗は二層か三層、下手をすると四層で短い一生を終える妖怪に終わる。妖怪として生まれて来たからには、長生きする事を考えて、一層か地上で働くべきだ。積極的に肝を摂取して、大妖怪になろうとするべきだ。

「知らないし、知りたくないもん」

 またぽろぽろと涙を流し、首を横に振る安栗の頭を撫でる。

「よく知らない所を、嫌いって言ったって説得力ねぇよ、……なぁ、今日、暇か? 塾なかったよな? 兄ちゃんと地上行ってみねぇ? 地上の事、兄ちゃんが教えてやるからさ、知ってから嫌いって言えよ、そしたら親父もおふくろも納得するから」

「え……?」

 まだ朝の九時だ。どこにだって連れて行ける。

「でも、あたし、勉強が……、宿題……、一杯……」

「いいよ、夜帰ってからやろ、兄ちゃんが教えてやればすぐ片付くだろ」

「うん、でも」

「俺の気が変わらないうちに返事。行くのか行かねーのか」

「行く!! ……あっ、化粧!!」

「オシャレも」

「うん!」

「急げ」

 うん、と勢い良く返事し、ぴんと背を伸ばして、嬉しそうに掛けて行く妹の背は、まだまだ少女らしく細い。

 地上嫌いじゃなかったのか? と思わず突っ込んでしまいそうになる。

『もしもーし』

 妹が長い廊下の向こうに去ったのを確認してから、慌てて連絡を入れた先は、一層の友達、野平だった。性格柄、気安く話をしてくれるが、野平は二百以上の歳を経た大妖怪である。実はいつも少し緊張して話しかけている。

『あっれー? 要さんどしたの?』

 しかし野平は暢気な間延び声で、要の急な連絡に応じてくれた。

『野平さん、朝早くすみません、起こしちゃいました?』

『ううん、大丈夫だよー?』

『あ、あの、今日暇っすか?』

 大妖怪に、朝一で急なお誘いを入れる。すまなさに少し声が小さくなる。

『え? 何、暇暇ー、超暇だよー、遊ぶ?』

『えっと、まぁー、その、夢の国行きませんか?』

『ぶは!!』

『ちょっと妹に、地上の良いとこ教えたくて』

『いいよいいよ、他に誰か誘う?』

『女の人誰か、お願いします、妹のロールモデルになるような人が良いです』

『オッケー』

『助かりました、宜しくお願いします』

 実はそんなに地上に詳しくない要としては、夢の国も一度しか行った事がないので、遊び慣れしていそうな野平の助けは必須だった。昔彼女に強請られて連れて行かされたものの、楽しみ方については、まったく熟知していない。

 

「これから地上?」

 部屋に残っていた石壁も、試しに誘ってみたが、渋い顔をされた。

「もっと早く言って貰えれば付き合えたが、今日は午後から仕事があってなぁ」

 そういえば昨日、言っていた気がする。

「あー、だよなぁー、わりーわりー、じゃぁ、また飲もうな」

 石壁はおぅと返事をし、片手を上げると、部下と一緒にふっと消えた。

 ぬり壁種の中でも長生きで妖力の強い石壁は、こうして簡単に妖力を使う。妖力を使う事はつまり、寿命を削るのに等しい行為なのだが、この先を生きていく事に何の不安もない者は、こうして気軽に妖力を使う。簡単にそれを使える者を、要は格好良く思う。

 石壁達を早々と追い出すような形になり、申し訳なく思いつつ、要は急いで地上行きの服に着替え、髪の寝癖をワックスで治した。タンスから柔らかいタオルを取り出すと、男用の化粧水を掛けて顔を拭う。昔は水道水で洗顔していたのだが、付き合っていた彼女にそれでは肌が荒れると躾けられた。習慣とは怖いもので、女受けする香水まで流れでつける。今は男と付き合っているのだから、必要ないと思うのに、体臭が人の鼻についたら嫌だという一丁前の羞恥心が働くのだ。

 玄関に出ると、安栗はピカピカにオシャレをした様子で立っていて、満面の笑みを浮かべてしまった。

「やべぇ、糞可愛い」

「うるさいし」

「妹が居て良かったぁ~」

 軽口を叩きながら、靴を履きだすと、父親と母親が、奥から出てきた。

「どこ行くの?」

「地上」

 母親の問いに応えると、父親が咳をして疑問を主張する。

「安栗なぁ、勉強疲れしてるから、ちょっと気晴らしさせて来るわ」

 適当な事を言ったが、こういう時、両親の信頼がある事は強い。二人の目は暗に、おまえに任すと言っていた。

「えー、安栗姉、浩二兄ちゃんとデート?」

 両親と一緒に様子を見に来た兄弟たちの一人が声を上げた。

「ずるいんだけど」

「あたしも行くー!」

 口々に不満の声が上がり、安栗が煩いと一喝する。

 この流れは面倒な流れだな、と判断して靴を履くと直ぐに、それじゃ、と声を上げて家を走り出た。残された兄弟たちが一斉にギャァギャァ喚き出すのを背に、ぐんぐんとエレベーターホールまで足を急かす。

 安栗は運動神経が良いので、難なく付いて来た。

 朝方や夕方のまま、時の止まったように、オレンジ色の景色が続く四層の空気がふわふわして身に纏わりつく。 要の数歩後を必死に走ってついて来る安栗が、急に訳もなく笑い出し、つられて要もにやにやする。

 商店街に入ると、馴染みの店員達が、安栗のオシャレをからかった。「お、安栗ちゃん可愛いね!」「安栗ちゃんデート?」「オシャレしてる安栗ちゃんにはきゅうり一本おまけするよー? 食べてけば?」。気の強い安栗が、うるさい、だの。違う、だの。要らないよもう、だのと返事をするのを、要は愉快に見守った。「浩二、妹と結婚は出来ないぞーっ」と叫んだ魚屋の言葉には、顔を真っ赤にして俯いた安栗を、心底可愛いと思う。

 

「わー、妹ちゃん可愛いねーっ」

 舞浜の駅についてすぐ、イクスピアリの飲食店内で合流した野平は上機嫌だった。野平の他には、一本と飛頭、滝神が居た。何故一本!! 何故滝神!! 飛頭さんだけ誘ってくれたら良かったのに。と要は心中で叫んだが、恐らく気遣いの出来る野平が、滝神に気を回して声を掛けたのだろう。その際一本を介したため、一本も来た、という流れだろうか。

「滝神、さん……」

 思わず苦い顔になってしまったのは、滝神が要の恋人であるため。妹の安栗も、それを知っており、少しぶすっとして、要を睨んだ。安栗は滝神を、あまり快く思っていない。

「お兄ちゃん、安栗と二人じゃつまんなかった?」

 電車の中で、夢の国に詳しい野平を呼んだ旨を伝えた際、吐かれた台詞を思い出す。

 そこに、さらに滝神が居たのでは、今日の日を安栗と共に過ごして、地上の良さを教えるという目的が果たせるかどうかわからない。

「安栗さん」

 滝神がさっと席を立って、どうぞ奥に座ってください、と促したが安栗は動かない。そして、大丈夫ですときっぱり断って要の後ろにそっと隠れた。

「そろそろお昼だし、行く?」

 野平が空気を読み、次の行動を取ったので、集団は店を出て夢の国に向かった。夢の国を意識したイクスピアリの内装を、しげしげと眺めながら歩く妹が、やっと機嫌を取り戻したのがわかり、要は密かにほっとした。

「妹ちゃん髪の毛、それ、自分でやってるの?」

 毛先が少し巻いてある妹の髪型に、飛頭が反応した。可愛いねぇと一言添えて、飛頭は妖艶に笑った。生まれて初めて出会う、まさに良い女過ぎる良い女である飛頭に妹はあんぐりと口を開けて頷いた。飛頭は休日のハリウット女優のような、カジュアルなのに品のある格好で、さらりとした長い髪を耳に掛けつつ、安栗の横に並んだ。

「なんか、こう、いけない気分になるな、あの組み合わせ」

 要の横で、一本が子どもらしくない台詞を吐きぎょっとしたが、一本が数百歳の大妖怪であった事を思い出して気持ちを落ち着かせる。

「美女と少女、良いですよね」

 野平が続き、要はううんと声を上げた。

「俺は美女一択ですけどね」

 少女の方、妹だし、と続け、わはは、と笑うと滝神とぴたりと視線が合う。

「僕は要さん一択ですが」

 滝神は恥じもせず、真っ直ぐな目で言い切り、要を赤面させた。

 

 心の弾む音楽に包まれながら、夢の国、ゲートを潜ると、よく整えられた植木がメルヘンな空間を作り上げていた。それから建物の一つ一つの細かな装飾が、若い女心をぎゅぅっと掴んだようだ。安栗はきゃぁーと声を上げて写真撮って良い? お兄ちゃんこの景色写真撮って良い? と連呼した。好きにしろーと優しい気持ちになりながら許可を出すと、安栗は上機嫌でパシャパシャとやり出した。

 飛頭が、一緒に撮って貰おうよ、と誘い、野平にカメラを渡すと安栗と一緒に夢の国前で写真に収まってくれ、それを見ていた一本が、俺もそこ入る! と割り込んで行った。

 お兄ちゃんも、と言われ、やだよと一蹴しても、安栗は機嫌を損ねなかった。

 

 入ってすぐに現れたショッピングゾーンの一つで、お兄ちゃんこれ付けて! と割り振られたのはアヒルのキャラクターが描かれた帽子である。一方で、一本が一つ目のモンスターキャラクターの目玉付き帽子を被ったのを見て、野平と要はツボに入って笑った。

 

 アトラクションに目移りし、園内の仕掛けにきゃぁきゃぁし、実年齢は数百だが、見た目は十二、三歳の少年である一本をお姉さんらしく気遣い、園内でキャラクターを見かけるたびに声を掛けてやり、一緒にはしゃぎ、と安栗は非常に夢の国を楽しんでいるように見えた。

 要は単純に、これで安栗も気晴らしが出来たかな、と安心して、無意識に滝神の背中に触った。滝神が優しく振り返って、肩を撫でてくれたのが嬉しくて思わず体をぶつけてふざけた。

「どうしたんですか?要さん?」

「いや、その、楽しいっすね」

 にっかと笑いかけると、滝神は目を細め、口を開けた。何か言おうとして辞めると、とん、と体をぶつけ返して来た。

 そこで、元気出ましたか、と低く囁かれ、は? と呆けた声を出すと、滝神は薄く笑って話題を流した。

 

 宇宙空間を疾走するようなジェットコースターや、滝の上から落ちるアトラクション、蜂蜜のツボに入って回るアトラクションを終えた所で、ふと石壁の事を思い出した。丁度おやつ休憩で、滝神と並んでベンチに座り、想定外の沈黙が続いたため、昨日聞かされた石壁の悩みが蘇ったのだ。目の端で、飛頭とはしゃぐ安栗が見えて微笑ましい気持ちになりながら、今度は友人の悩みに意識を向けた。

 

 石壁は現在、警護員の職にあり、難しい現場を任されている。

 要人警護……簡単に言うとお偉いさんを守る役だ。これまで、優秀な成績を残し、表彰される事もあった石壁だが、昨日は「もう限界だ、この先やって行ける気がしない」と弱気な声を上げていた。五年の契約を結んだ大切な太客と馬が合わず、しょっちゅう揉めてしまう事に悩んでいるという。その太客に付く者を、他に代わって貰ったらどうかと提案したが、渋い顔をして、それじゃぁ逃げだと口にする。要が何とか出来るような事ではないのだが、無二の親友であるため、心配である。

「滝神さん」

「はい」

「土星大地って知ってますか?」

 その太客の名を、滝神にぶつけてみた。本当は守秘義務があり、外部に漏らしてはいけない情報を要が相手だからと教えてくれた石壁の事を考え、詳細は伏せた。大地について要の知る事は、大金の動く裁判を請け負う弁護士で、非常に頭が切れ優秀だという情報のみ。

「うちの顧問弁護士ですね」

「は?!」

 頓狂な声を上げてしまった要に、滝神は心配そうな顔をした。

「何かありましたか?」

「いや、あの、何かっていうか」

 言葉を濁すと、滝神は頷いて、困った顔で前を向いた。

「彼は江戸時代、やくざの親分として有名な男で、精霊の癖にそれはそれは残忍な商売をしていました」

 何とまぁ、悪い噂だろう。

「そ、そんな奴が弁護士に?」

「まぁ、強いですよ、彼は。元々よく口の回る男でしたから、天職だったんでしょう、ああ、貴方と仲良しの鶴さんとは、犬猿の中ですので、良ければ彼に詳細を聞くと良いですよ、鶴さんのシマに、彼の根城があったのも、彼らが不仲になる要因だったのでしょうね」

 今日、電話を掛ける相手として、野平と迷った鶴の事を思い出す。鶴は非常に面倒見が良く、きっと今朝、誘いを掛けたら応じてくれただろう。避けたのは、鶴に、要が思い悩んでいる事を察知されていたせいだった。

「最近、あまり一緒に居る所を見かけませんが」

「うっ……」

 ぽつりと指摘されて汗を掻いた。どうして知っているのだろう。

「僕は大変嫉妬深いので、貴方がどんな人と仲良くしているか、割と把握しています」

「……そうですか」

 石壁の事で、悩んでいた頭に、急に自分の問題が浮上し、混乱して滝神から顔を背ける。

「鶴さんには、貴方がもやもやと思い悩んでいる事が、バレているから避けているんでしょう? 貴方は自分の問題については、細心の注意を払い、悟られないようにする、ずるい人です」

「っ……」

 ずるいという負の言葉を厳しい響きで吐かれ、それが心を預けきっている滝神の口から出てきた事に、泣きそうになった。が、そこは成人男性である。こらえた。

「……お父さんが僕にへりくだるのが嫌で、悩んでいるそうですね」

「あ、……はい」

 ずばり、と気持ちを言い当てられて、思わず肯定してしまった。

「お父さんを尊敬していて、自分がお父さんのように育って行くのを長生きの糧にしていたのに、僕にへりくだるお父さんを見て、将来に不安が出来てしまった……。自分も、お父さんみたいに、長生きしたって大妖怪には、へりくだる運命にあると」

「……はい」

 まさに。まさにその通りだと、咽喉が痛くなるのを堪えながら頷くと、滝神にふわりと頭を撫でられた。

「それは、貴方の思い込みです。僕は今日、鶴さんから伝言を預かっていましてね。貴方は、自分より遥かに妖力の強い妖怪……恐らく小野森鬼李の事ですね。彼が鶴さんに襲い掛かるのを見て、助けに飛んで行った。『咄嗟の行動は、その者の本質をあらわす……、長く生きていようが、まだ若かろうが、俺は今現在、おまえを尊敬出来る立派な妖怪だと思ってる、脅威に屈せず立ち向かえるイイ男だ』と、鶴さんはおっしゃってました。『だから安心して長寿になれ』と」

 こないだ、鶴の身辺を探るために鶴と飲んだ。そこで、鶴は要の悩みを察知したのだろう。恐ろしい洞察力だ。

「僕は、鶴さんにこの伝言を託されてはじめて貴方の悩みに気が付いた、もっと早く気が付きたかった、悔しくて、しばらく鶴さんを憎たらしく思っていました。しかし、貴方にこうして伝えられる役目を得られたのでよしとしましょう」

 それから、滝神は急に、要を強く抱きしめた。暖かさに心が溶かされ、すべてどうでもよくなる。悩みという悩みをふきとばす、体温の力。数秒、ぼんやりしてから、やっとここがどこなのか思い出した。

「ってうぉおい、ここ、外だよ、滝神さん!!」

 慌てて周囲を見回すと、楽しそうな飛頭と安栗のにやにや顔、野平と一本の冷ややかな視線が雁首を揃えていた。

「何だよ、おまえら!! 言いたい事あるなら言えよ!!! カッ……っ、カップルがいちゃついて何が悪いんだよぉ!!」

「やだ、お兄ちゃん、逆切れカッコ悪い」

「赤くなっちゃって可愛いんだからぁ」

 安栗の笑い声と飛頭のからかい声。

「ところでお兄ちゃん、あたし、ホーンテッドマンション行きたい!!」

「お、おう、そうだな、……行こう、……うん」

 むにゃむにゃと返事をしながら、頬の熱を必死に冷ます。

「……ねぇ安栗ちゃん、良かったら、あたし達二人で回らない? お兄ちゃん、忙しそうだから」

 含みのある飛頭の提案に、安栗が、あ、そうですね! そうしましょう?! と期待に弾んだ声を上げた。要の頬はますます熱を持ち、耳にまで及んだ。

「安栗、おまえ、俺と滝神さんに反対だったんじゃ……」

 問いかけに、安栗はむぅと口を結ぶと、諦めたように笑った。その事はもういいの、と言って大人っぽく笑う、妹の顔にどきりとする。こんな大人の女のような表情が出来るようになったのか、と感じ入っていると、飛頭が腕を組んだ。

「あたしが貴方達の馴れ初めや純愛や悲喜交々、言い聞かせてあげたら納得してくれたの」

 腕組で強調された乳につい目を奪われそうになるのを、必死に耐えて、なんかすみませんねと返事をした。

 いいのよ、朝飯前よこんな事、むしろ楽しかったわ恋バナ、と応じた飛頭に、ふと疑問を覚える。

「いや、ちょっと待って、飛頭さんって、……えっ?! 何で知ってるんですか?!」

「女怪の噂好き根性を舐めちゃいけないわ、何故か男同士のは広がり易いのよねぇ、牛鬼さんと小豆君とか、ほんとがっかりした」

「え?! 牛鬼さんって、あの牛鬼さん?!」

「そうよ、あたし狙ってたのに酷いわ、しかも小豆君とか似合わないし、……未だ知らないふりしてモーション掛けてるけどね!」

 ばっちん、とウインクした飛頭に恐ろしさを覚えながら、滝神は安栗を見た。

 飛頭を憧れの眼差しで眺めている。

「安栗、おまえ、飛頭さんに迷惑掛けないか?」

「掛けない!」

 きっぱりと言い切る安栗に、要はううんと悩んだ。別行動になれば、滝神ともっとしっかり接触しても、からかわれない。というか、いっそトイレに入ってがっつりイチャつく事も出来る。しかし今日は安栗のために設定した日であり、安栗の様子を見ていたい。安栗がきちんと気晴らし出来るよう、気を遣いたい。

「だけど安栗……」

 兄ちゃんはおまえと一緒に居たいな、という殺し文句を言おうとして「お兄ちゃん、あたしね」と遮られる。

「ん?」

「実はね、同じ塾で彼氏が居て……」

「ハッ?!」

 水鉄砲を顔にぶちかまされ、起こされたような声が出た。は? 彼氏? 安栗に? はぁ?!

「年上なんだけど、三層の大学進む事が決まってて、その彼と結婚する予定だったから、あたしだけ一層とか、地上にある良い大学入って、地上に就職してもなって、思ってたの」

「え、、、え?! ちょっと待て!」

「彼氏より頭良いっていうの、何か、彼に嫌われる要因になりそうで、気が進まなかったんだけどさ、今日、飛頭さんに会って目が覚めた」

「……ぉう」

「男は彼だけじゃないって事!!!」

 鼻息荒く、何を言い出すのかこの妹は。

「お兄ちゃんマジ羨ましいんだけど、飛頭さんの会社の男凄いイケメンばっかじゃない?! なんでこんなとこ出入りしてるの?! お兄ちゃんマジ羨ましいんだけど!!! あたし一刻も早くここ入社して天野さんか狐さんか牛鬼さんか鶴さんと結婚するっ!! 青鬼さんも捨てがたい!」

「いやぁ、この子良い趣味してるよ浩二君! あたしと趣味結構かぶるの!」

 飛頭が写真を見せたのだろう、面食いが丸分かりの人選に、要は恥ずかしくなって思わず妹の頭をペシンと叩いた。

「ば、ばっかもん!!!」

 親父の口調、そのままに罵ると、妹がべぇと舌を出した。

「七ちゃんは性格悪くて、狐っちはチャラいから、うーん、永ちゃんか青鬼さんが狙い目かなぁ、牛鬼さんはあたしのだし」

 七ちゃんとは天野七郎の名から呼んでいるのだろう、永ちゃんとは鶴の事で、要も酔うと永ちゃんと呼ぶが、飛頭の呼び方にはどこか艶がある。しかし、鶴も青鬼も相当に長寿で妖力の強い大妖怪である。安栗が相手にされるわけがない。

「やめて飛頭さん、妹に変な夢持たせないで、……鶴さんや青鬼さんが安栗なんかになびくかよ」

「何言ってんの、安栗ちゃん超可愛いよ? ねぇ?」

 飛頭に褒められて、安栗はもじもじした。

「安栗、のぼせんなよ、おまえなんか中の上だ、相手になんねぇ」

「永ちゃんは良いよぉ、セックスが巧いよぉ、陰間だったからさぁ、こっちのいいとこわかってんの……!青鬼さんは、あたし相手して貰った事ないから分かんないけど、なんか大切にしてくれそうだよねー?」

 たった今、熱い言葉で要を励ましてくれた鶴の女事情が露見して慌てる。セックスが巧いとか想像付くけど知りたくねぇよ。とまた心中で叫んであたふたする要の代わりに、滝神がしっ、と口に指を当てて飛頭を窘めた。

「飛頭さん、こんな真昼間から、お下品な言葉を口にしてはいけません」

「やだ滝神さん、お下品って! セックスぐらい今時中学生だって話題にしてますよ、でもホントはもっと早くから教えた方がいんじゃないかって、あたし感じてますけど。興味持って知ろうとしてからじゃ遅いの。興味ない頃から知らせといて、しかるべき時期を待ってやるものだって覚えこまさないと! わかる? 暴走する時期じゃ、何言っても変な方向に取るし……」

「飛頭さん、論点をすり替えないで」

「とにかく、あたし達女二人で仲良く回りたいの、ねぇ、安栗ちゃん?」

「はい!!」

 さっきから、安栗の返事は妙に勢いが良い。完全に、尊敬の対象が要から飛頭に移っている。兄として少し寂しい気もするが、今回、結果的に、彼氏に嫌われたくない、という気持ちから発生していた安栗の地上嫌いを、飛頭は治してくれたのである。安心して、要は安栗を飛頭に託した。

 

「滝神さん、……背中、もっと摩って、気持ち良い」

 そして、滝神と二人、トイレでイチャつくに至った要である。キスをしてぎゅぅと抱き合って、密着して体温を感じた後は、互いの腿や背中を摩り、それっぽい空気を感じ合う。

「要さんのしたい事って、いつも新鮮です」

 放っておくと老夫婦の交わりしか要求して来ない滝神に対し、要は若者らしい衝動的な接触を求めた。

「ぁっ……」

 しかし、一度行動に移ると滝神の方が諸々、上手である。ずぼっ、とトイレットペーパーの塊をパンツの中に押し込まれたかと思えば、耳を思い切り舌で嬲られた。表面を舐められ、耳たぶの下を吸われ、耳の穴に舌を入れられたところで達した要は汗だくになっていた。パンツに押し込まれたトイレットペーパーが、粗相を受け止めてくれていたので下着は汚れなかったが、何だこれ、と思わず呟いていた。

 耳だけで、達するなど想像していなかった。

「良かったですか?」

 爽やかに聞かれて、はい、という返事しか出てこず、要は放心した。

 一体、何をやっているのだろう。妹を元気づけようとして、ここまで来たのに。いや、結果、妹は元気になったのだが。

 

 ばっかもん、と今度は自分に父親の雷が降って来た。その隣には滝神と飛頭。後ろに野平と一本も居た。あの後、夢の国で遊んだ面子でご飯を食べようという流れになり、東京駅で惣菜を買って赤坂見附の地下にある野平の家に集合したのだ。

 そこで、飛頭が買っていた天使のワインと呼ばれる天使パッケージの甘い白ワインを安栗がジュースと間違えて飲み続け、潰れてしまったのである。安栗が眠ってしまったために、野平の家に兄弟で泊まる旨を口にしたら、父親が嫁入り前の娘を泊めさせられないとごね、仕方がないので正直に経緯を離すと、烈火のごとく怒り狂って乗り込んで来たのである。

 よって、大妖怪達と要が、揃って父親の前に正座である。

「妹の飲み物をちゃんと見てなかったうちの浩二が一番大馬鹿もんだが、百超えの大妖怪が四体も居て何てざまですか、あんたがたには遠い昔かもしれないが、若い妖怪は弱いんです、軽い気持ちで接しないでください」

 父親の言う事に、すみません、と大妖怪達がしょんぼりと応じる。休日を要と安栗のために費やしてくれた大妖怪達に、非常に申し訳ない気持ちで一杯だが、しかし、娘のためであれば、相手がどんな大物であろうと物怖じしない父親の姿に、要は嬉しさを隠せずに居たのだった。