からめ

からめ

小説担当むーと漫画担当みーによる創作BLを公開しています。

『黒歴史』(落ちぶれた天才×ツンデレ)

 

 例えば、悪魔というだけで美麗な外見を期待される。ペラペラに英語が喋れる事や、女性のエスコートが上手い事を求められる。これは完全な偏見で、迷惑な差別だ。

「マルセル、髪、汚ねぇ」

 バシンと頭を叩かれて、はっとして顔を上げるとチームリーダーの大河童種、大河原が怖い顔でマルセルを睨んでいた。

「アンタのツラのが汚ねぇ」

 言ってやると、眉間の皺が癖になっている気難しい男の顔面が歪んだ。

「髪、染め直すか、いっそ染めるのを止めるかしろ、見苦しい」

 指摘されて、頭に手を当てる。感触に違いなどないが、今朝、鏡を見た時に確認していたのでわかる。黒く染めた髪が伸びて来て、真ん中が金色に輝いているのだ。

「わかりました、それじゃぁ、今日の発注数、アンタに勝てたら染め代ください」

 早速、依頼が届き始めているPC画面を眺めながら、大河原に生意気な口を効いた。大河原はふんと鼻を鳴らすと、席に戻って行った。相手にしないという事か。

「ケチ」

 罵ると、黙って仕事をしろ、と怒鳴られる。

 発注依頼は、デザイナー一人あたり、一日だけで十件以上来る。生みの苦しみを1ミリもわからない奴らの無理難題を呑みながら、うんうん唸って数時間で作品を上げる生活に、マルセルは疲れて来ていた。作るエネルギーを搾り取られ、木乃伊にされて殺される。

 何とかして、またフリーに戻り、食って行けるようになりたい。

 

「マルセル、居るかー?」

 やっと三件程、依頼されたものを片付けた頃。間延びした声がした。営業部の天野だ。PCから顔を上げずに、無視していたら足音がコツコツと響きだした。恐らく勝手に、部屋に入って来て、ずかずかこちらに向かって来ている。デザイン部は管理部と透明な仕切り壁で同じフロアにあるのだが、管理部が書類棚を多く聳えさせ過ぎていて、見通しがすこぶる悪い。

 結果、雑居ビルの中に居るような、狭くて暗い部屋で仕事をするはめになっている。天野の所属する営業部のフロアみたいに、キラキラした近代的オフィスの中で仕事をしたかった。

「居ませぇん」

 PCを弄りながら、言葉で撃退出来ればどんなに良いか、と思いながら返事をすると目の前の景色が一瞬揺れた。眼鏡を取られたようだ。

「天野サン、それ返して」

 ちゃぷんと音がして、淹れたての珈琲に眼鏡が入ったのがわかった。

「笑えないんですけど」

 むしろ泣きそうなんですけど。

「出番だぜ」

 ぽん、と肩に手を置かれて反応に困る。出番なのはわかったけど、今の何。結構酷くない?今流行りのPCに疲れない眼鏡。買ったばっかりなんだけど。

「ほら立てよ」

 椅子を引かれて背を押され、強制的に立たされる。

 

 クライアントの待つ応接室に向かって、細い廊下を天野と並んで歩きながら、マルセルは堪えきれず、欠伸をした。昨日も遅くまで残って作品を仕上げていて、あまり良く寝てない。

「急だけどでかい案件だから、気合入れろよ」

 185cmの背丈を持つマルセルに対し、天野は165cm。まるで子どもが大人に指示をするようで、笑える。そんな小さな体で、何を威張っているのか。という言葉を飲み込んで、ふっと笑う。

「まー、でかい案件は嬉しいけど、君の取って来たでかい案件は正直遠慮したいねぇ、クライアントもアンタも纏めて、鬼のような要求をして来るから」

「はぁ?こういう時のための、自社デザイナーだろ、つぅかあんた仕事選べる立場?誰に食わせて貰ってると思ってんの、だから悪魔は嫌いなんだよ、権利ばっか主張して、働かない。でかい図体の割に脳みそ小せぇし、考えが浅いっつぅかさ」

 あまりの暴言に、返す言葉が浮かばない。

 お抱えのデザイナーを持っている事は、マルセルの属す『怪PR社』の強みだ。『怪PR社』が、すぐにイメージ画像や小さな広告画像を用意出来るフットワークの軽い会社で居るためには、マルセル達の存在は欠かせない。

 サンプル画像とか、その変更画像とか、急遽の出稿とか、用途は様々だが依頼はいつも乱暴で我侭なものばかりだ。それでも、素早く仕上げなければならない。

「天野サン、あのさ、そんなに俺の事嫌いなのに、どうしていつも俺に依頼してくれるんです?」

 腹が立つを通り越して、呆れてしまって、聞いてみた。俺が断れないのを良い事に、無茶な要求して、こき下ろして、何がしたいの。嫌がらせなの? 何なの。

「うちのデザイナーの中では、おまえが一番ネームバリューあるから、仕方なく、おまえ、仕事なさそうだし」

「いや、仕事は毎日山程あるけど、あと、逆に、ネームバリューがあると、ちょっとイメージと違う、と言われる事の方が多いじゃん、大体、いつもエッて顔されるじゃん、俺の名前見た途端、青ざめた人とかも居たよね。下手に有名だと、こういう時は不利なんだよ」

 最初の、あの、明らかに困った顔を見るのが、いつも俺には負担になっているのだが、天野はわかってくれない。

「おまえのデザイン、だせぇもんなぁ」

 しみじみと、酷い事を言う天野をどうしてくれよう。

「時代が合わないだけだから」

 マルセルは五十年前流行り、今は落ち目のデザイナーだ。気持ちだけは大物、と陰口を叩かれている事はわかっているが、こんな風に正面から侮辱されると心が荒む。

「……だせぇと思ってんなら頼むなよ、マジでもうふざけんな」

 立ち止まって、天野に声を荒げて、みっともなさに足が震える。

「あー、そうやってすぐガチギレする、こんぐらいの暴言流せよ、事実だし」

「っ」

 マルセルは過去、一世を風靡した自分の腕に、自信を持っていた。まだ野心も捨てていない。大型の案件でもう一度当てて、独立したいと思っている。だからこの怪PR社で、屈辱に耐えながら仕事をしている。ぐっと拳を握って、天野を睨んだ。天野はふんと鼻を鳴らし、人を見下した笑みを浮かべた。

「一流のプライドがあるんなら、一流の努力しろよ、三流」

 現在、マルセルを取り巻く現実は厳しい。大型の案件は大抵、社外のフリーデザイナーを指定される事が多く、社内デザイナーに回って来る仕事は細々してつまらないものばかり。

 たまに回して貰える大型案件といえば、天野からの急で無茶なものがほとんどで、要求レベルは高いのに、指示はほぼ丸投げ。制作時間は半日も貰えない酷い依頼が全てだった。最低五回はやり直しをさせられるし、良い物が出来ても褒められる事はない。これが牛鬼や葉場であれば、優しい言葉の一つ二つ掛けてくれ、マルセルの心を満たしてくれる。

 いや、牛鬼や葉場じゃなくても、天野以外の営業は、大体、マルセルに敬意を払い、出来上がった作品にはお世辞でも一言ぐらい耳に心地良い言葉をくれる。

 それが、天野と来たら。

「こないだの、さ」

「あ?」

 二週間前に、やった仕事を思い出して、横を歩く天野をちらりと見た。

「どうだった?」

「糞だった」

 自販機のパッケージ広告で、販促効果だけでなく、クライアントの厚意で、年末に催される街中広告コンテストにも出品して貰った、記念作である。

「糞って」

「コンテストは二次審査落ちしたし、販促効果はむしろ下がった。おまえそろそろ本気で身の振り方考えた方がいんじゃねぇの、恥ずかしいよなぁ、販促広告が売上の足引っ張るとか、消えて詫びろレベル」

 陰で、何を言っていても良い、面と向かって言わないで欲しい。デザイナーのモチベーションを上げるのも、営業の仕事なんじゃないのか、とマルセルは思う。天野に責任を感じさせるような、辞め方をするなら今だ。辞めた理由は天野の暴言、と書いた辞表を提出してやろうか。

「俺、いつもあんたに仕事頼む時、不安でいっぱいだもん、またどんな糞な案出してくんのかなーって、直さないで出しちゃう俺も俺なんだけど」

 辞めるだけじゃ駄目だ、一回殺そう。それか殴るか犯すか、殺すか。クライアントを待たせている応接室について、天野と体の距離が近づく。ふっとミントのような薫りがして、天野の細い体が眼に入る。マルセルの視線に気がついて、天野が顔を上げると、中身に似合わず可憐な顔がマルセルの目を励ました。艶やかな黒髪と雪のように白い肌。唆られる妖怪の条件は満たしている、犯して殺すか。犯して殴るか。取り敢えず犯そう。

 下がり眉に大きな上がり目は男と女の垣根を超え、愛らしい。こんな童顔で、一体どのような罪を犯したのか。天野は過去に犯罪歴がある。頭に血が上って、野蛮な事を考えていた頭が少し冷えた。昔、何があったのだろう。天野はどうして、罪を犯したのだろう。

 

「マルセル・シュオです、妖名は朱緒 丸助。武蔵国横見郡地下二層生まれ、両親とも悪魔ですが、帰化して妖名を名乗っています」

 名刺を差し出す時、敢えて流暢な日本語で生まれまで話すのは、相手の緊張を解くためだ。尖った鼻をマスクで隠し、髪を黒く染めて、和装に身を包み妖怪らしくしているが、彫りが深く目の青いマルセルの見た目は悪魔だ。

 打ち合わせに使われるのはいつも、窓の広い応接室6番。丸テーブルには四脚の椅子が備えられており、部屋の中で、クライアントとの距離が近い。

 この部屋の窓から見える景色、地下一層の街並はなかなかである。細い砂時計形のアースポールが近くにあるためだ。これは一層の天地を繋いでいる支柱で、地下四層から一気に地表まで上る事が出来る。夜はライトアップされ輝き、昼はくっきりと聳え立って、その大きさで目を楽しませてくれる。

「お上手な倭語ですな」

 クライアントは数秒固まっていたが、すぐに取り繕った笑みを浮かべた。上から目線のお言葉に、母国語だわ、と小声で毒づくと、天野に小突かれる。どうせマルセルは身だしなみにも、態度にも気を遣えない、厄介なデザイナーなのだから、わざわざクライアントに紹介しないで勝手に話を進めてくれれば良いのに、天野は一々こうした場を作る。

「はっは、これは失礼しました、そうですよねぇ、武蔵国生まれなら」

 マルセルの毒を、クライアントはしっかり拾ってしまった。しかし笑って対応してくれて良かった。これで機嫌を損ねてしまうタイプだったら、後で天野にいびり倒される。

『シュオさんはご両親とも倭語ですか?見たところ』・・・『だと思うのですが?日常語はどちらの言語をお使いになるのでしょう?』・・・『私は昔、ドイツで暮らしていた事があって』・・・、・・・『もし違っていたらすみません』

「は?」

 クライアントが急に、英語で話しかけて来たので固まると、天野が前に出た。

『彼は倭語しか話しません、見かけ倒しなんです』

 話せはしないが、多少聞き分ける事は出来る。これは祖父や祖母の家に数年に一度帰ったりする際に培った能力だが、難しい単語が入るとわからない。多くの妖怪が英語を不得意としているのと一緒で、マルセルもまた英語は不得意だった。

 それなのに、どうして妖怪達は皆、日本語を話す悪魔の可能性を、帰化した悪魔の可能性を考えず、悪魔なら英語、悪魔なら余所者、扱いに困る少数者、という見方をするのか。

「私は、大河童種の大賀左之助と申します」

 今度は倭語で、大賀がマルセルに名刺を差し出した。大賀は背が高く肩幅が広い。且つどっしりした表情や顔つき、体つきに迫力があり、マルセルは視線を下げた。妖怪は悪魔より全体的に小柄だが、巨大なものは巨大である。

 それより気になるのは、大賀の額の皿である。宝石のように細かくキラキラと光っている。牛乳瓶の紙蓋を貼り付けたような大河原のと違い、高価で美しい印象だ。と感心して眺めていたら、大賀とばちりと目が合った。しまった、と思うと同時に、また天野に小突かれた。

「いってぇ」

 思わず声が出る強さだった。

「大賀さんのお顔に見惚れるのはいいが、あんまり熱い視線を送ると気味悪がられるぞ、おまえは悪魔なんだからな」

「いやいや?」

 差別発言に、思わず首を傾げた。言っている意味がわからない、と強く主張したかったが、さすがにこの状況で、口喧嘩は出来ない。

 悪魔といえば強姦の気がある、という偏見が妖怪の間に根強く、ついさっきまで、天野を襲う事で頭がいっぱいだった自分もいるが、誤解だ。

 丁度、男が女をじろじろ見るのと同じで、悪魔が妖怪をじろじろ見ると、それはセクハラになってしまう。妖怪がその視線を気味が悪いと言えば、悪魔は反省しなければならない。

「俺は妖怪です」

 帰化しているので、戸籍上は本当に妖怪だし、と主張すると、天野は口を尖らせた。

「見た目が悪魔だ」

 天野の冷たく、バッサリした言い方に、マルセルはぐっと言葉を詰まらせた。過去、沢山の悪魔が妖怪を襲った。殺傷・強盗・強姦、五十年前までは、全てが自由にやっても良い事だったのだ。殺傷と強盗は、妖怪側の強い希望で終戦後十年で、すぐに取締を認められたが、強姦はなかなか犯罪として成立せず、襲われる妖怪の方に非があるように言われて来た。襲われるような立場にある妖怪が、少数だったのが原因だろう。悪魔の強姦を、妖怪が裁けるようになったのは、たった五年か六年程前。

 それまで、マルセルは女妖や見目の良い若衆の傍に居るだけで、危険人物扱いをされた。マルセルがその気になれば、襲われる妖怪側は泣き寝入りしかないのだから当然だが、マルセルの側にも面子や心がある。まるで理性のない、暴走したら手のつけられない、どうしようもない奴のように扱われるのが嫌だった。

 

 大賀の発注内容は、大賀の経営する『株式会社大賀酒造』のロングセラー製品「岾音」の新しいパッケージデザインだ。二ヶ月前から上映開始された映画で使用されており、急遽、渋谷のオーロラビジョンで販促CMをする事になった。背景として、製品が使用されている映画がどうやら関係者が想定していなかったヒット映画になりそうだという情報が入って来たためだ。想像以上の、大型案件である。

 マルセルは大賀との別れ際、握手した自分の手が震えたのがわかった。そのまますぐに天野とスケジュールの打ち合わせをしたが、ずっと頭の中に、ツキが向いて来た、ツキが向いて来た、という自分のうわ言のような声が響いていた。

 

「マルセル」

 帰り際に大河原に呼び止められ、何だよせっかく良い気分なのに小言か、と睨むように振り返るとぴらりと札を差し出されていた。

「何ですか?」

 夜食のお使いだろうか。

 今日みたいに良い事があった日は、早めに仕事を終わりにして、帰りにキャバクラにでも寄って楽しい時を過ごし、一日を幸福な気持ちで終えたいのに。邪魔をしないで欲しい。

「髪、染め直して来い、俺の負けだ」

「ん?」

「今日一日の発注数、おまえが勝ったら、染め代を俺が持つんだろ?」

 あ、そういえば、そんな事を朝約束させたな。返事しなかった癖に、律儀な。

「良いんですか?」

 素直に甘えておこう。札を受け取って、財布に仕舞う。大河原は少し眉間に皺を寄せて、それから壁を埋め尽くす資料棚を指差した。

「飲料パッケージデザインの、過去作記録がある、見とけ」

「俺の家にもあります」

「会社のデータのが実用的だ」

 染め代を貰っているので、たまには素直に言う事を聞くか、と棚から資料を取り出す。

「持ち出し厳禁だから、見てから帰れ」

「美容院閉まっちゃいますよ」

「知るか、軟派物が」

 あぁ、キャバクラで楽しい時間を過ごしたかったのに。

 馴染みの子は早めに行かないと他の客に取られてしまうし、その子が捕まらなければ意味がない。

 溜息を付いて、ページを捲る。

 そうだ、代わりに、深夜に可愛いバイトが入っている飲み屋の方に行こう。下がり眉で、どんぐり目の童顔青年。あれはきっと歳若いから、衆道の気はないだろうが、俺の事を憎からず思っているから、押したら落とせるかもしれないな。

 たがしかし、あの子は下がり眉が魅力的でも、どんぐり目は少し三白眼だ。もっと黒目が大きくて少しつり目だった方が可愛かった。

「マルセル」

 名を呼ばれて、顔を上げると丁度好みにぴったりの顔があった。そうか、あの居酒屋の童顔青年は、可愛くすると天野になるのか。と感動した。

「なんて可愛い顔だろう」

「は?!」

 天野はマルセルの眼前、デザイン部屋の資料閲覧スペースの机前に、身を乗り出して居た。物騒な企みなど、なかったことのように、マルセルは天野を愛しく思った。天野が運んで来てくれた案件のおかげで、マルセルは今こんなにも幸せだ。酒を奢ろう。

「君の顔が好みだと言ったんだ、噛み付きたいのを我慢している」

 吸血鬼の冗談で、こういう言い回しがあるのだが、天野には通じなかったらしい、天野の顔がみるみる青ざめて行く。気持ち悪い、と吠えられるのだろうな、と覚悟すると、行成、視界がぶれた。目の前が真っ黒になって鼻の頭が熱い。鼻血が出た事と、殴られた事に気がついて、視界のぼやけが収まると、怒りが残った。

 どうして殴られたのだろう。殴る程の事を言っただろうか。

 しかし直ぐに、寒気に襲われて怒りは飛んだ。天野の目にくっきりと憎しみが宿っていたからだ。マルセルの怒りの比ではない、天野のマルセルへの感情は、もっと深くて濃いものだ。

 ばちん、という音に、鼓膜が揺れた。

「凄い痛い」

 呟くと、声があたりに響いて、周囲からとても注目されている事に気がついた。えっと、と呟いてあたりを見回すと、デザイン部の部屋から、音という音が消えていた。仲間達が手を止めて、一斉にこちらを見ていた。レギュラーの四名と非常勤の二名で合計六名、一二個の瞳が俺と天野を捉えていた。

「え、やだ、何で?!」

 非常勤の女妖怪が短く大きな声で、暴力に反応した。

「マルセルさん、大丈夫ですか」

 後輩のレギュラーデザイナーが走って来る。同じくレギュラーの後輩が、天野を取り押さえ、ちょっとやりすぎです、と語気を強めて天野を叱った。

「覚えてたんだな、俺の事。やっぱり、おまえじゃねーか。おまえじゃねーかよぉ!!」

 ぶつぶつと何か言っている天野の声に、また本気の憎しみを感じて全身に鳥肌が立った。自分がいったい何をしたのか。恐いのは、何もしていないはずと強く出られない過去だ。

 昔話、マルセルは売れていた頃、相当モテた。

「おまえの所為で俺はッ」

 言いかけた天野が、ぽろぽろと泣き出したので、何だか可哀相になって、ごめんねと謝った。身に覚えはないのだが、何もしていないかと自分の胸に聞いてみると、本当に何もしていないのか怪しい。覚えていないだけで、もしかしたら過去、何かしてしまったうちの一人かもしれない。

 マルセルは、モテてモテて困っていた頃、言い寄って来る連中にまったくその気が起きなくなってしまっていた時期がある。だから、敢えて強姦を繰り返していた。その頃はまだ、悪魔による妖怪の強姦は罪にならなかったし、むしろ恵みというか、悪魔に手を出されて喜ばない妖怪はいない、というような風潮があった。悪魔は妖怪より優れているから、という理由からだ。自分が無理やり抱いた妖怪の大半は、泣いて悔しがっていたのに、それを抱かれた妖怪の方が幼稚で、手を出された事が、どんなに名誉ある事なのかわかっていない、というような歪んだ解釈をしていた。

 ああ、黒歴史だ。

「マルセル、一旦、医務室に行こう」

 同僚に背を持たれて、デザイン室を後にする。途中を歩くマルセルを、通行人達は不審者を見るような目で見て、すぐ視線を逸らす。

 それもその筈、医務室についてから、手鏡で顔を見ると酷かった。目の近くを殴られたせいで目の下にあざが出来、鼻から出た血は量が多かったのだろう口を万篇なく濡らしていた。拭き取ったティッシュが、赤い布のようである。ああ、もったいない。

 そして、叩かれた頬にはばっちりと赤い手形。 

「おまえさ、天野と何があったの?」

「いや、何も」

 同僚の手当を受けながら、酷い空腹を覚える。血が出過ぎた。マルセルは両親とも吸血鬼である。よって、マルセルも混ざり気のない吸血鬼だ。

「天野って、口は悪いけど、おまえのこと好きじゃん、おまえに大型の仕事やらせてやりたくて、外注指定のないクライアント狙いうちするとこあるし」

「え?」

「あいつ、天邪鬼種だろ、素直になれないんだよ。おまえの事、好きだから、……だってさ、この前」

 同僚の声が遠のく。この前、何だ。何があったのか気になる。気になるのにくらくらする。ふつと音が切れた。

 景色も真っ暗になって、肩にごつんと衝撃が走る。倒れたのかな、とぼんやり思う。そういえば、最近良く寝れていなかったし、血も取れてなかった。吸血鬼に血を吸われると自分も吸血鬼になるなんて、間違った知識が世に蔓延しているせいで、会ったばかりのデリヘル嬢や夜鷹の女は、血を分けてくれない。恋人か友人か。恋人はもう半年以上いない。友人ともそういえば会って居ない。惨めな現状を語りたくなくて、一人で過ごす事が多かった。

 

 マルセルは七十年程前、望まれない土子として生まれた。両親はそれぞれ本国に家庭を持っていた悪魔で、友人同士、酔っぱらってうっかり外の土の上で関係を持ち、出来てしまった土子だ。

 朝、マルセルの鳴き声で目が覚めて、土の中にマルセルを見つけた時、おぉ神よ、と二人して絶望したのだと、両親から笑い話で聞かされた時、ひでぇと笑いながら、何か果物の種を噛んだ時のような、驚きが胸に広がった。

 マルセルが生まれた事を、災難のように語る両親への不信感は、今も消えない。

 だからデザイナーとして名が売れ、至るところから発注依頼が来て、貴方の力を貸してくださいと大勢に必要とされた瞬間、初めて世界から存在を認められた気がした。息を吸うことを、許された気がした。両親に、勝った気がした。

 おまえら、どうする。おまえらを苦しめた、最悪の土子はおまえらよりずっと多くの妖怪や悪魔から、存在を、生まれて来たことを喜ばれる天才だったぞ。おまえら、どうする。

 

 目が覚めた時、医務室は深夜の静けさに包まれていた。腕には点滴、枕もとには同僚からの、おにぎりの差し入れがあった。

 もぞもぞとズボンのポケットを探り、スマートフォンを取り出す。青白い灯りが、真っ暗な医務室の中で、不気味にマルセルの顔を照らした。

 ラインで、同僚から状況の報告があった。

 マルセルは医務室で手当を受けている途中、気を失い、近所に住む医者に来て貰ったら栄養不足と貧血と診断され、すぐに点滴治療が必要との事で、こうして医務室に緊急入院となった。

 天野は犯罪歴があったのと、急に人格が激変して暴力騒ぎを起こしたので、恐らくクビになるだろうとの事。

 クビ。

 その二文字に、胸を撃たれたのは不思議だった。天野の事は、嫌っていた。しかし大型案件をくれるのは天野だけだった。天野がいなくなったら、自分にもう二度と、チャンスは来ない。

 いや、既にチャンスは手元にある。これを成功させれば、天野のルートがなくても良くなる。天野など知るか。

 

 ……正月の終わった1月は穏やかだ。

 成人式に急ぐ人間の若い女達を横目に、人世の路線、JR山手線に乗り込むと、車内の暖かさにほっとする。

 休みを利用して、知り合いの美容師に髪染めを頼もうと、マルセルは地上を、人世の交通手段を使い移動していた。知り合いは六義園の地下にある、妖怪デパートで働いている。六義園までは、JR山手線駒込駅からの徒歩が一番近い。

 ぴりっと頬に強めの静電気が走るような感じがして、マルセルは歯を食いしばった。

 まだ一昨日、天野に殴られた目の下が痛む。顔を顰めたその時。マルセルは目の前に、天野が居る事に気が付いた。

 天野は座席で寝ていたのだが、その上に人が座っていて気がつかなかった。妖怪は人に見えぬため、良くこうして、妖怪の座っているところに人が上から座ってしまう事がある。

 

 こんな所で、こんなタイミングで出会うなんて。何という偶然、何という間の悪さだ。文句の一つでも言ってやろうか、と思ったが、また逆上されるのも嫌だな、と萎縮する自分も居た。

 天野は熟睡しており、人に上から座られている事に気がついていない。

 妖怪の上に座ると、人は少し具合が悪くなる。天野の上に座っている人の少女は、ハンカチを口に当て、目を瞑っている。

 少女が可哀相だ。マルセルは天野を起こす事に決めた。

 少女を避けるようにして、天野の肩を掴むと、ぐいっと引っ張る。

 小さな天野は、簡単に持ち上がった。軽っ、と思わず口にして、ぱちりと目を開けた天野と正面から対峙した。

 天野はさっと青ざめて、全身を固くした。

 しかし、座席からどけたらもう天野に用などない。マルセルは立っている自分の隣に天野を下ろすと、手を離した。天野はマルセルから逃げようと急いで、電車内ですっ転ぶと、糞、と毒づいて起き上がり、振り返ってマルセルを睨みつけ、追いかけて来たら殺すと言い捨て、車両を移って行った。

 誰が追うか。

 せっかくの休みに、嫌な奴に遭ったと、目的地までむかむかして、電車に揺られた。

 上野から十分程、駒込駅に着くと、マルセルのむかむかは二倍になった。改札を出てすぐのところで、天野が何か揉めて居た。見るからに柄の悪そうな大男に絡まれている。

 絶対に、助けないぞ。

 誓って改札を出たら、天野がこちらに気がついた。その途端、大柄な男に抱きついた。男は面食らった顔をしたが、鼻の下を伸ばして、天野を抱きしめ返す。なるほど、絶対に助けられないぞ、という天野の意地だな。

 お望み通り助けないから、自分の力で何とかして見ろよ。

 マルセルは足を止めて、二人を観察した。すると、大柄な男が天野の首を掴む。いや、そこは掴むところじゃないだろ。顎を指で押さえ、深いキスを仕掛ける。天野がびくんと身を揺すり、男の肩を叩いた。

 無理やりキスをされている天野の顔に、性的な色香を感じて、マルセルは少し二人に近づいた。大柄な男はマルセルに気がつかず、天野の背を撫でたり、尻を揉んだりした。休日の天野は、ますます中性的な少年らしい井出達で、マルセルの胸を騒がせた。仕事の際は、きっちりと胸元を隠す着方をするくせに、休みの今日は着方が緩くて、鎖骨が見えてしまっている。肌が恐ろしく白い。

 キスで少し力の抜けた天野を、大柄な男がどこかに連れて行こうとする。天野が首を横に振って、抵抗すると男は天野の腹を突いた。気を失った天野を、肩に担いで、歩を進めようとする男を、マルセルはさすがに止めた。

「ちょっと待てアンタ」

 男の肩を掴み、天野の体に手を置く。男は一瞬きょとんとして、マルセルを見た。悪魔が倭語を口にするのが、信じられないという顔だ。

「今、見てたぞ、この子嫌がってただろ」

 しかしマルセルが言葉を続けると、やっと、マルセルが倭語の話せる悪魔だとわかったのか、男は凶悪な顔になった。そして、マルセルをぎっと睨んだ。

「誰だよてめぇ」

 マルセルは長身の自覚があるが、この男も相当にでかい。マルセルと同じか、それ以上だ。

「この子の知り合いで、マルセル・シュオという者だが、おたくは?」

「知り合いぃ? 何の?」

「怪PR社の、同僚です」

 男は少し顔を顰め、肩に乗せた天野の体を撫でた。

「それは、どうも、世話に」

 ぼそぼそ、と聞き取れるか取れないかの声で口篭ると、黙る。ふいに男の携帯から、着信音が鳴った。うわっ、と悲鳴を上げて携帯を耳に当てた男の顔が青ざめる。電話口には、甲高い女の声と、赤子の鳴き声。

「あぁ、あ? あー、わぁった、すぐ行く、あと二時間待て、あ? 知らねぇよてめぇの仕事なんかっ、辞めちまえ、てめぇのガキだろーが、二時間ぐらい待ってろよ」

 聞いていて気分の良い電話ではなかった。じろりと睨みつけると、男は何だよ、と唸った。

 男がスタスタと歩き出すので、仕方がなくマルセルは男に付いて行った。男は駅前の喧騒を抜けて、住宅街に入って行く。意識のない天野を、どこに連れて行く気なのか。この男は天野の何なのか。

「あの」

「ぁ゛?」

「貴方は?」

 名乗ったマルセルに対し、男は正体を明かさない。

「児玉」

 やっと名を口にしたが、名前だけでマルセルが納得するわけがないのに、頭が悪いのだろうか。

「児玉さんは、失礼ですが、彼のご友人か何かで?」

 追って質問すると、児玉はうるせぇと怒鳴った。あぁ、駄目だ、人種が違う。関わり合いになりたくない種類の人だ。どうしよう。

「おまえついてくんなよ」

「や、でも」

「俺ぁこいつと、最後に一発やって、それで別れるって決めたんだよ」

「ぃ、……っ発、って、何を」

 まさか。

「やるっていったら、なぁ」

 児玉は下卑た笑みを浮かべ、肩に乗せた天野の尻をぱんぱんと叩いた。

「だ、駄目ですよ?!」

「駄目じゃねーよ、俺ぁこいつの恋人だ」

「いや絶対嘘でしょ、今奥さんと子どもから電話掛かって来てたし」

「ごちゃごちゃうるせーな、だから最後なんだろぉが」

「は?」

「一発やって別れて、こいつとはさよならして、ちゃんと土子育てたら、またこんにちわするんだ」

「こんにちわ?」

 駄目だ、こいつ脳みそ持ってない。豆腐しか頭に詰まってない。

「んっ」

 天野の体がぴくんと揺れ、うめき声と共に、天野が目を覚ました。

 丁度、児玉が傾きかけの安アパートの、門に手を掛けたところだった。

「起きたか」

「彦一? ちょ、降ろせよ?!」

 児玉は天野の声を聞かず、安アパートの1階、天野と標識のある部屋の前に行くと、鍵、と呟いた。

「降ろせって!」

 天野が吠えると、児玉は天野を降ろし、また腹を突いた。天野は降ろされた瞬間、マルセルの姿を見ると目を見開いて、あ、と声を上げたが、すぐにまた気絶した。

 天野の体から、児玉が財布を探り出すと、中に入った鍵を取り出して部屋の戸を開ける。

「おい、ちょ、良い加減にしろよ、さっきから見てたら、勝手な事を!!」

 児玉の腕を掴み、さすがに部屋への侵入は、と、その行動を阻止したら児玉に睨まれた。

「それはこっちの台詞だろ、てめーこそ何だよ、さっきからよ」

「お、俺は天野の恋人だ、社内恋愛してたんだ、い、一年前から」

 嘘を付くのが久しぶりで、少し声が震えた。

「え?」

 児玉は蚊の鳴くような声で、驚きを顕にすると、ぽろりと鍵を落とした。

「こいつ、浮気、してやがったのかッ?!」

「おまえこそ、奥さんと子どもがいるのに天野にっ」

「馬鹿野郎、逆だ、俺は七郎と恋人同士だったのに、見ず知らずの、行きずりで済むはずだった女に、土子が出来たってんでハメられたんだ!」

「どっちにしろ浮気したおまえが悪いだろ」

「俺の浮気は癖みたいなもんだ、本気じゃない! 土子は、夜鷹に騙されて作らされたんだ! それなのにこいつは、土子を絶対に死なすなって言った、いや、逆の言葉だったけど、長い付き合いだからわかる、俺が土子を放棄するのを、こいつは許さないと決めて、だから、俺はふられた、でも、未練があって」

 児玉はそこまで言ってから、ぼろぼろと泣いた。

「俺は、別れたくないんだっ」

「知るかよ」

 マルセルは咽喉に氷が詰まったような、息苦しさを覚えた。

「とにかく、おまえは邪魔をするな」

 落とした鍵を拾って、また天野の自宅の玄関を開けようとする児玉の腕を掴む。

「いや、するね」

 児玉はマルセルの手を振り払うと、鍵を玄関の戸に挿したまま、天野の体を仰向けた。

「俺には時間がないんだ」

「?」

 仰向けの天野の服の前を開く。白い肌の上に乗った、桃色の乳首が目に入った。そこに、男の指が絡まる。乳首を摘まれて、天野が息を吐いた。児玉はその口を塞ぐと、柔らかそうな唇や舌を何度か吸い、覆い被さる。

「おい、待て」

 こんなところで何を考えているのか。他の住人が出て来たらどうするのか。困るのは天野だ。

「扉を開けろ」

 指示されて、思わず戸を開けた。児玉が天野を抱き上げて、中に入って行く。マルセルは勢いで後に続き、鍵を回収するとポケットに仕舞った。

 

 短い廊下の突き当たりに、ひと部屋しかないそこには、丸く畳まれた布団が脇に避けてあった。その上に仰向けに寝かされた天野の上に、児玉が張り付いている。天野の着物は肌蹴て、天野の細い肩の先、細い腕がだらりと畳に落ちている。気を失っている天野の体を、舐めたり噛んだり、引っ張ったりしている児玉は泣いている。

「なぁ、もうやめろよ、ふられたんだろ、おまえ」

「うるせぇっ」

 児玉の手が、天野の太腿を掴んでいる。真っ白なその内腿に、噛み付いてみたい衝動に襲われて、マルセルは目を逸らした。

「っぁ」

 小憎たらしい普段の天野と、全く結びつかない甘い声が、天野の咽喉奥から出て来て、マルセルは耳を疑った。

「っん、あ」

「七郎っ」

 児玉が天野の名を呼び、ついに天野の尻を舐め始めた。天野は気持ち悪そうに眉間に皺を寄せると、ビクビクと足を痙攣させた。

「マルセル、やめ、……っ、ぁ」

 いや、おまえを襲ってるのは俺じゃない。天野の性器は、萎えて小さいまま。天野の尻の中に、児玉が指を入れた。汗で飛んできた、天野の眠気覚ましみたいな香の薫りに当てられ、マルセルはくしゃみをした。

「っは、」

 天野の目がバチンと開き、児玉の身がびくっと震えた。

「彦一?」

 天野は不思議そうに児玉の顔を見て、それから自分の中に、児玉の指が入っている事に気がついてぶるりと身を震わせた。

「っぁ、何してっ?!」

「七郎、俺達やり直そう、土子には俺、養育費を払うよ、俺はおまえと一緒に生きたいんだよ」

 はぁ、はぁ、と慎重に息をついて、天野は快楽と戦っていた。児玉を薄目で見て、それからマルセルを見つけた。

「っぁ?!」

 きゅぅ、と驚きで穴を締めたのだろう、児玉が俺を振り返って、まだ居たのかよあんた、と呆れた声を上げた。

「彦一、指、やめろ、指っ」

「やりなおしてくれるなら、やめる、なぁ、やりなおそうっていえよ、俺、もう浮気しない、だからおまえも」

「っぁ、やめ、動かすな、っぁ、っぁ、だめ、っぁ、やめ、やだ、っぁ」

 興奮した児玉は、指を出し入れし始め、天野は眉根を寄せ喘いだ。性器が反応して、ぴんと勃ち上がっている。とろりと漏れている、あの汁はどんな味だろう。

「天野」

 声を掛けると、天野は首を振った。

「彦一、離せ、離してっ……っぁ、っぁいつが!あいつがいるっ、あいつ!やだ、恐いっ、嫌だ、離して、痛いっ」

 金切り声を上げて、天野が嫌がるので、児玉はやっと天野から指を抜いた。天野がもぞもぞと体を丸め、あっちに行け、あっちに行けよ、嫌だ、と震え声を上げるので、胸が痛んだ。同時に、確かめたいという思いが、胸に広がった。

 天野を強姦したのは、本当にマルセルだろうか。マルセルに良く似た別の悪魔ではないだろうか。あの頃、悪魔による妖怪の強姦は日常茶飯事だった。

 マルセルは勘違いで、嫌われているのではないだろうか。そうだったらいいのに。

 一歩、天野に近づく。

 天野の身がびくんと揺れ、全身にぎゅっと力が入る。

「好きだったんだ、あんたの作るもん、好きだったんだよ、だから悲しかったし、辛かったし、痛かったんだっ」

 児玉が天野の身を庇い、前に出たので指先でエネルギーを吸った。児玉からは精霊の味がした。名前から推測すると、山に響く音の精霊の一種だろう。何をしてここまで堕ちたのか。ごとん、と児玉が転がった音に、天野が顔を上げた。

「おい、今、何して?!」

「血を吸った」

「殺したのか?」

「殺した」

 本日、二度目の嘘。

「おい、ふざけんな外道、こいつは、父親なんだぞ?!」

「覚悟のない父親なんか、居ない方がましだ」

「誰だって最初は覚悟なんかねーよ、段々つけてくもんだろ、それをっ」

 天野の首元に、指を付けて、また指先からエネルギーを吸った。天野の体から、力が抜ける。

「あぁ、同じ手口、同じだ、やっぱあんたはあの時の、っ、あの時」

 天野の可愛いつり目が、涙でうるんで揺れた。ぽつん、と水滴を飛ばして、瞬きをした天野の頬を舐める。しょっぱくて冷たくて、柔らかい。ぅ、と嗚咽を上げ、天野が泣き出し、マルセルはあと少し、と頭のもやと戦った。あと少しで思い出せそうなのに。

「足を開け」

 命じると、血を吸われて一時間以内、マルセルの支配下に居る天野はゆったりと足を開いた。手は邪魔にならないよう、顔の横に自ら固定していて、素直な獲物そのもの。

 この手口は、昔良く強姦をする際に使ったが、他の吸血鬼だって同じ手を使っている。天野にトラウマを植え付けた悪魔が、マルセルとは限らない。

 天野の白い太腿に、歯を立てる。

「んぁっ?!っや、っぁ!」

 噛んでみたいと思った腿に噛み付いてみた。歯の先から血を吸う。んぅうっ、と天野のくぐもった声が上がり、それから、糞、という罵り文句と、あんぅ、くぅ、と何かを堪えたような声。

 血吸いには快楽を与える効果があるので、痛みばかりではないはずだが、天野の涙は止まらない。

「天野」

 名を呼んで、頭を撫でて、それから元気になり始めた、一物を取り出した。児玉に解された天野の尻の穴に、ぴたりと付けると、天野は命令で動かないはずの身を、ぴくぴくと細かく揺らして嫌がった。

「天野、嫌?」

 涙でぐちゃぐちゃの、天野の顔を見つめると、天野は鼻を啜った。

「入れたい、入れてもいい?」

 首だけ自由を解くと、天野は首をふるふると横に振って、ぎゅっと目を瞑った。

「天野は天邪鬼だから、駄目って事は良いって事だね」

 ぐっと腰を沈めると、勢いをつけて、思いのほかスムーズに、マルセルの一物は天野の中に収まった。

「っふ、ん、っふぅ、ぅ、ふーっ、ふーっ、ぅ、うう」

 声を出せないよう、支配した天野の口からは、苦しそうな喘ぎが漏れ、眉間に皺が寄って行った。あの天野を、犯している。

 ただの悪い妄想が、現実になってしまった恐ろしさより、満足感がマルセルを優しく包み込んだ。

「今、どんな気持ち?」

 質問してから、言葉の自由を解いた。

「最っ高! だよ、多分、明日にはまた刑務所、居るっ、俺、おまえに復讐、っぁ、動っ、やだっぁ、も、殺してやる、……こっぁ」

 天邪鬼な答えを出し、天野は喘いだ。丸まった布団の上に、腰だけ乗り上げた状態の天野に、伸し掛って突いている、この体制は思いの他、快楽を追いやすい。

 天野の泣き顔と、恨み言に興奮させられ、マルセルは知り合いとの約束を忘れた。児玉は目覚めてから、強姦された天野と、自分より遥かに強い妖怪であるマルセルを前に、逃げ出した。

 

「あいつ、ちゃんと、父親になれるかな」

 呆然とした様子で、自分に起きた事より先に、天野は児玉の心配を口にした。部屋の中には、西日が入って来ており、かび臭い畳から、異臭が立ち上がっていた。

「なれなくても良い、土子ってのは弱いけど、案外育つもんだ、俺もこんなに元気に、ちゃんと育った」

 脱げた靴下を履き直しながら、俺が言うと、天野は少し笑って、ちゃんと? どこが? と憎まれ口を叩いた。

「俺は、男同士の吸血鬼に、一夜の過ちで作られたんだ。どっちにも家庭があって、だからほとんど施設育ちだな、二人が互いに、家庭で上手くやれなくなって追い出されて来て、やっとくっついてから初めて呼び寄せられた、二人とも親父としては最低だったけど、男の先輩としては悪くなかった、だから親として信じる気持ちはゼロだけどまだ交流がある」

「ふぅん」

「俺の事殺すなら、その二人が敵になるの覚してから殺せな」

 言ってから、じわりと、胸に熱が広がった。二人の親父は、俺を望んで手に入れたわけじゃないが、今、失ったら間違いなく悲しむ。俺が生きている事を望み、俺が死んだら絶望し、復讐に燃えてくれるだろう。

「……あんたのデザイン」

「え?」

「虫唾が走る程嫌いだったけど、良く真似てた、……俺も、デザインしてた事あって」

 喋り出した天野の方を向いて、その体に、俺のつけた跡をいくつか見つけた。噛み跡からは、痛々しく血が垂れていた。

「駆け出しの頃、あんたが、嫌いで嫌いで嫌いで、後をついて回ってたら、ある日、家にあんたが来た、で、犯された」

「……」

 まぁ、言い寄って来る奴の中で、うぶそうなのを選んで手を出した事は多々あった。

「あんたには良かった、あんた一人なら良かった、あんたは仲間と来た」

 あの時は、悪魔の友達がハイエナみたいに周りを囲んでた。おこぼれに預かろうと、いつも。俺の周りに。

「一人をナイフで半殺しにした、そうしたら刑務所に送られて、その中であの、児玉に出会ったんだよ、あいつは俺の命の恩人だった」

「……」

「あの当時、あんたの名を騙った悪魔は多かったし、あんたは悪魔として凡庸な顔してたから、俺はあんたのデザイン好きだったけど、あんたの事は良く知らなくて、だから、あれはあんたのふりをした犯罪者だったのかもって」

 天野は宙を睨んで、色々と思い出しているようだった。

「信じたくなかったんだ、あんたがあんな酷いことするなんて、……だから、あんたと再会した時、あんたが俺を知らなくて、覚えてなくてほっとした、違ったんだと思った」

 天野の目から、またぽろぽろ涙が出始め、俺はふぅ、と溜息をついた。

「悪かったな、夢、壊して」

 それから腰を上げて、その日のうちに会社にひとつの反省文を提出した。

 

 天野とは恋愛関係にあり、マルセルは浮気をしてしまった。その事に怒った天野が、マルセルに暴力を働いたが、マルセルはこの暴力を甘んじて受け入れ、浮気に落とし前をつけた。

 

 同僚が、天野はクビだろうなどと言うので、こんな物語をでっち上げたのだが、天野は同僚やマルセルが思っているより、怪PR社にとって大切な社員だったらしい。マルセルの方に、天野との関係で、天野の業務に支障を来すようなら、辞表を提出して欲しいという要請が入った。

 

 

 

1:07 2014/01/14