からめ

『いやがらせ』(執着攻め×強気受け)


 体内に宿る怨霊を、コントロールする事ができなくなるのは、いつも情緒不安定な時だ。怨霊は容赦なく、既に定員数に達している体の中に入って来て、鬼李の体を膨れ上がらせる。出来たらすらりとした細身の男で居る事が望ましいと考えている鬼李の心を無視して、怨霊は鬼李を見上げる程の巨漢にしてしまう。
 
「うわ、鬼李さんまたそんな成りして」
 朝、会社のある時の鐘に続く小江戸の道を歩いていたら、後ろから聞き覚えのある低く甘い声がした。振り返ると秋晴れの青い空を背に、牛鬼が屈託のない笑みを浮かべていた。
「牛鬼ぃ、俺、具合悪いっぽい」
「見りゃわかりますよ、背ぇ高っ、いくつ?」
「センチで二百はあるかな」
「へぇ、かっけぇ」
 からっと笑って、隣を歩き出した色男を見下ろす。柔らかそうな癖のある黒髪から、艶やかに黒光りした角が覗いていた。
「牛鬼ってさぁ、肌白いよねぇ」
 つるりと房ごとにまとまった黒髪の間に、ちらりと覗く白い首や、鼻と頬の滑らかな肌の様子を見つめながら言うと、牛鬼はさっと頬を赤らめた。
「やめてください」
 下の方にある頭が少しだけ傾いて鬼李に向けられた。上目遣いに睨んできた黒い目は、アーモンド型に整い、睫毛がその縁を飾っていた。百八十センチを超え、全身に程よく筋肉のついた牛鬼を邪な目で見るのは鬼李ぐらいだろう。牛鬼は男として意識される事には慣れているが、若衆として愛でられる事には慣れていない。
「最近、鶴に辛く当たられててさぁ」
「お疲れ様です」
 鶴が鬼李に対して尖っている原因は、鬼李が疲れている鶴に強引に迫っているからなのだが、その背景には、鶴の赤鬼への横恋慕がある。嫉妬から、執拗に求めてしまっているのだ。鬼李は悪くない。
「俺、可哀相」
「はは、あんたらしい台詞だなぁ、……良ければ飲み、付き合うけど」
「宅飲みが良いなぁ、牛鬼ん家、落ち着くから」
「……」
 少し前なら、牛鬼は割と気楽に、しかし恥じらいつつ応じてくれた性交の誘い文句だが、今回は沈黙が降った。仕方がないかと溜息をついて、やっぱ外でいいや、と言いながら牛鬼の頭を撫でると、牛鬼はすいませんと小さく言って俯いた。
 昔、牛鬼が西洋に渡りたいと鬼李に相談を持ちかけて来た時、知り合いの伝を探してやって、その時から始まった関係は、こっそりと最近まで続いていた。丁度大陸に帰国の予定があったので一緒に日本を発って、その旅路で何度か交わり、だからといって互いに特別な関係を望むわけでもなく今日まで来た。
 誘うのはいつも鬼李からで、恋人がいない時は牛鬼は大体いつも応じてくれ、恋人が出来るとその誘いを撥ね付ける。最近、牛鬼がまた例のおかしな趣味によって、まだ百にも満たないみすぼらしい妖怪に夢中である事を、鬼李は知っていた。
「俺、前のあの子、何て言ったっけ、鼠男の……」
「俊輔?」
「そう、俊輔君の方が好きだったな、まだ可愛かった」
「あら太だって可愛いですし、やめてもらえませんか、人の趣味にケチつけるの。言っときますけど、あら太はとにかく性格がいいんです。頑張り屋っていうか、ひたむきでいじらしくて」
「あ、もういい」
「言わせろよ」
「いらない、いらない。興味ないもん。どうして毎回毎回、鼠男とか小豆とぎとか、小物ばっか好きになるの?」
「庇護欲をそそられて……」
 また頬を染めて、惚気る牛鬼にふぅんと冷ややかな返事をしてから、すぅー、と息を吐くと怨霊が上手く体から飛び出した。シュッと身が縮み、牛鬼と同じぐらいの目線になる。すらりとした見た目になった鬼李と、筋肉質な伊達男の牛鬼が並ぶと人目を引き、すれ違った他社の女怪達からの視線が急に痛くなった。
「そういえば牛鬼って、女の子とあんまり付き合わないよねぇ」
「二百年ぐらい前に、揉めて執着されて、刺された事があって」
「トラウマになったわけね」
 並んでみると、整った横顔は惚れ惚れする程、凛として麗しく秋の冷たい空気に映えていた。
「鬼李さん」
「んー?」
「やっぱり今日、うち来ます?」
「えっ、いいの?」
 誘いに応じてくれたのかと思い、喜んだら、牛鬼は少し照れて、ちょっと確認したい事があって、と漏らした。これは単純にその気になっていいのか迷うところだが、牛鬼の照れた顔に少し期待をしておく事にした。

 怪PR社の営業フロアは、広く、ガラスで見渡せるようになっているため、がらんとしていると、とてつもなく寂しい。昼時の営業部員は外出中か、お昼休憩かで留守がちだ。ぽつぽつと残っている部員も、それぞれ一人作業を黙々としていて、全体的に静かである。
「牛鬼さん、これ忘れてますっ!」
 きゃんきゃんとした高めの男の声に目を向けると、今まさに外出しようとしていた牛鬼の後を、牛鬼の恋人にして補佐、小豆あら太が追いかけて行くところだった。ぼさぼさと髪量だけある猫毛やひょろりとした糸眉、その様相はとにかく、ぱっとしない。
「牛鬼って、趣味悪いよねぇ」
 鶴の机に腰を掛けて、営業フロアを眺めていた鬼李の呟きに、鶴は少し考えた間を作って反論した。
「俺ぁ、あら太は可愛いと思うけどな、感じ方は人それぞれじゃねぇか?」
「んー」
「最初は、きょときょとしててちょっときもいな、って思ったけど、笑うと幼い感じがして、なんかこう……癒されるっつーのかな、あと、性格の良さがなんか滲み出てるから」
 キーボードを叩きながらよく喋れるなと感心しながら鶴の姿を観察する。指の先まで整った人形のような美の化身、鶴は鬼李の想い人だが、鬼李の恋人ではない。
「鶴って、ちょいブサに弱いよねぇ」
「あ゛?」
「ああいう地味で冴えない奴とか、赤くてむさいオッサンとかさぁ、鶴が褒める奴の見た目って、大体微妙じゃん、自分が綺麗だから、真逆のものに惹かれるって奴なの?」
「待てよ、俺ぁ、あら太をどうこうしよーって気はさらさらねぇ」
「牛鬼もそうだよね、前の鼠男と良い、今回の小豆とぎと良い、俺には理解出来ない」
「何だ、さっきから牛鬼牛鬼ってよ、復縁でもしたのか?」
「俺と牛鬼の関係は一度だって恋人同士だった事はないよ、ただのヤリ友」
「……今の俺等だな」
 鶴と恋人同士に成りたくて、やきもきしている鬼李の心を知っていての、鶴の台詞にかちんときて睨む。
 しかし鶴は睨み返してきた。
 元来、肝の座った鶴は、ちょっとやそっとの事にはびくつかない。
「鶴、いつになったらお昼食べ行くの?」
「先に行ってろよ、少し時間が掛かる」
 同じ空間に居たら、喧嘩をしてしまう自信があったのでその場を離れた。

「……待ってたのか?」
 ばつの悪そうな顔をして、鶴が少し身を引くのを鬼李は見逃さなかった。鶴は恐らく、鬼李が去ってからすぐに己も席を立った。鶴は、鬼李がフロアからいなくなるのを見計らって、昼に出たのだ。
「一緒に食べようと思ってたから」
「それなら、言えよ」
「言ったら理由つけて断られるでしょ」
 沈黙した鶴の、腕を掴む。
「おい」
 鶴の額に、じわりと汗が浮かんだ。
「医務室行こうよ」
 腹立たしい男を躾けたいと思った。拒絶されている理由が分からず、繋がる事で何とか平静を保とうとしている。
「昼からか?」
 下を向いた鶴の表情は見えない。細い首から、ふわんと鶴の薫りがした。小さな肩を撫で、背を押すと鶴は医務室と反対の方向にトボトボ歩き出した。
「着替え、持ってくる」
「そんなの怨霊に運ばせるよ」
「……」
 非常識なタイミングで求めるようになったのは、嫌がられる理由を、タイミングの所為にしたくて。本当は、もっと情緒ある手順を踏み誘いたいのだが、恐怖がそれを拒んでいる。

「鶴っ」
 医務室に入ってすぐ、名を呼んで抱きしめ耳を噛むと、鶴の身は一気に強ばった。さらに首を噛んで、和装の間に手を入れ、ぐりっと乳首を引っ張ると、ぁ、と鶴の声が上がった。
「ひ、っ……ん」
 慣らさずにいきなり菊座に行為用の座薬を入れたら、さすがの鶴も驚いたらしく、悲鳴に近い嬌声を上げた。
「痛ってぇ」
 鶴の声は涙交じりで、胸がすっとしたが頭が痛くなった。じく、と濡れて来た菊座の中に、指を強引に出入りさせながら、頬にキスをする。
 ベッドに仰向けに押し付けて、覆いかぶさって唇を奪うと、鶴は、んっと身を捩った。ぬるりと柔らかな鶴の舌は甘い。和装の前を開いて、ぴんと立ち上がった乳首を出し、親指で潰すと、指の腹に柔らかな粒の感触がして興奮した。
 鶴の体は、どこを触っても喜びをくれる。
「っぁ、く」
 白くすらりとした鶴の腿を舐め、また噛み付く。すると、鶴の身はビクンと揺れて可愛いくなり、この時だけ憎さがゼロになる。
「噛むの、やめろっ」
 熱に浮かされた鶴の声がして、やだ、と応えると糞、と可愛くない返事が来た。
「鶴」
 呼ぶと、糸の引いた口の中を見せつけながら、鶴は唇をうっすらと開いた。口づけして中に舌を入れると、ふ、う、とくぐもった声を漏らし、素直に舌を絡めて来る。
「っんん、っぅ、ん」
 菊座をこねる指の動きに鶴の背が微かに波うちはじめる。快楽に喜んでいる体が、性器から白い液を零した。はぁ、はぁ、と息を吐いて、鶴は目を瞑った。拍子にぽろりと涙が落ちる。
「鶴」
 呼ぶと、ぽろぽろと涙が増した。
「泣く程嫌?」
「昼間から、は、」
 立場のある鶴を、こんな時間から拘束して、抱くのは良くない事だと、頭ではわかっている。
「ごめんね」
 だから謝る事は出来る。しかし。
「でも鶴が悪いんだよ」
 嫌がらせをやめる事は出来ない。
「なんで、おまえは、わからないんだ?」
「わかっててやってるんだよ?」
 嫌がらせだから、嫌な顔をされるのは仕方がない。この理屈が、今の鬼李の心を支えている。
「っぁ」
 鶴の中に性器を入れると、鶴は目をさらにぎゅっと閉じ、ふぅ、と息を吐いて、ふと目を開けて鬼李を見た。
「あ、っぁ?!」
 向かい合った体制で、鶴の乳首は並んで赤く立ち上がり、性器も半勃ちで酷く性的なのに対し、鬼李は下半身を少し露出した程度だった。
「んぁ、ああっ……は、ぅ……、や」
 ぬつ、ぬつ、と音を立てて菊座を貫く鬼李の一物を、鶴は眉を寄せて受け入れ、絞った。
「鶴、可愛い、可愛いね」
「や、……ぁアッ……ぅ、ぁ……ぁっ……」
 腰の揺れに合わせて上がる鶴の嬌声に、幸せな気持ちになりながら鶴の身に、キスを落としていき、また乳首を潰す。
「鶴の乳首、ぷちっとしてて、気持ちいい……ずっと触ってたい」
「ん、や、ふぁ、……こねるの、やめ、ぅ」
 乳首を擦られるのに合わせて、きゅぅ、きゅぅと中を締める鶴に、鬼李の一物は耐え切れず達した。次いで鶴も、ぷしゅ、と性器からまた白い液を出し、ビクビクと身を震わせた。
「ふク、ぅ……っ」
 一度達しただけでは、収まらない鬼李のものに対して、鶴の性器はしぼんで、フル、フル、と揺れて赤い残像を作っている。
「ウ、……ぅ、ぐン、ぁ……っ、んあ、……やっ……ぁ、アッ」
 ずる、ずる、と今度は動きを大きくし、鶴の身全体を揺する。ギチ、ギチ、とベッドが鳴って、狭い医務室の気温がぐっと上がって行く。自分の体と、鶴の体が、みるみる熱を持って溶け合って行くような錯覚。
「んぁっ、……!」
 蕩けた薄目で喘いでいる鶴が、ふいに深く突かれた瞬間、ぎゅっと目を瞑る。その顔に興奮する。
「っぁ、……っは、ぁ、……ぁゥ、う」
 細かく震えて、何かを堪えている。次はどんな顔になるのか。見てみたくて執拗に突いていたら、鶴は眉間に皺を寄せたまま、次から次へと涙をこぼしはじめた。体力的にきついのだろう、少し顔色が悪い。それでも、気持ちよくはあるようで、性器がまたぴんと勃ち上がってきていた。
「ぅ、……も、やめ、鬼李、っぃ、ん……、しつっけぇ……っぁ」
 眉をひくひくと動かし、目元に苛立ちを潜ませて、鶴が唸る。
「っや、ぁ、ああ?!……っ」
 あと一度、ぎゅっと目を瞑る顔を見たらやめよう、と思い、それをさっさと見るために、体の大きさを変える。鬼李は体を巨漢に変え、太くなった指で鶴の額を撫でた。
「あとちょっと」
 にゅぐっ、と鬼李を咥えている鶴の入口が広がり、鬼李のサイズが変わった事を実感した鶴は、首を振って泣いた。
「っやだ、……っも、……ふぐ、ぅ、っやめ、ぅ」
「好きでしょ、でっかくて太い男根?」
「んぁ、っ」
 ぐぐ、と腰を手前に引くと、鶴は目を見開き、結合部に視線を向けた。
「や、やめろ、夜にしろ、そんなサイズ……っ」
「夜もあげるから、泣かないで」
「嫌だ、……ぅぁ、や、んん!!」
 頬を涙で濡らしながら、鶴は足を閉じようと腿に力を入れた。
「っぃ、ぅ、……っんぅっ……ヒっぅ、や、やだって、ゥ」
 ヌククと小さく進んでくる太い一物に、鶴はついに嗚咽をあげて泣きだし、首を振った。
「嫌だ、嫌、っぐ……んぅウウウ!」
 ずぶりと、鶴の柔らかい場所にそれが到達すると、鶴の腿が付け根からビクビクと跳ねた。
「っう、……っ、……ッ」
 喘ぎとは違う悲鳴に近い声を上げ、鶴が一瞬気を失うと、急に恐ろしさに心を支配される。このまま鶴が死んでしまったら、どうしよう。
 しかし鶴は目を覚まし、息を整えてからクソヤロウと毒づいた。それを待って、動いていい?と聞く。
「ぁ、……はぁ、はぁ、はぁ」
 返事はないが、落ち着いたようなので動かしはじめると鶴の身は今度は丸まって、また反り、腿に不自然な力が入ったり、びくんと上半身が動いたりと忙しくなった。
「ひ、っぅ、……ぅぐ、……アッ……ぁぐっ、……ん……っ!」
 鶴はぎゅぅっと目を瞑り、怯えた顔で、慎重に声を抑え喘いでいる。
 しかし数えると軽く二十年以上、春をひさいでいた鶴は感じやすく、快楽を拾うのがとてつもなく巧い。
「んぁ、ふ、……アッ、……っぁ、あっ」
 悲鳴に近い喘ぎが、ねっとりとした嬌声にすぐさま変化した。鶴の、ぐずぐずになった悶絶顔を、惚れ惚れと眺めながら夢心地で過去を振り返る。最初に手を出した時、鶴はまだ若く、痛みしか訴えない可哀相な青年だった。それが、受身に慣れてここまで淫猥な男に育った。
「こんなエロイ子に育っちゃって」
 口に出すと、鶴はうるさそうに目を閉じた。
 ふと、鶴に執着し、鶴を無残に甚振った絵ばかりを描いて展示した悪魔の絵かきを思い出す。そうしたくなる気持ちは、わからないでもない。鬼李に芸術の才能があったら、鶴を題材に何かを作りたいと思うだろう。
「俺、あの悪魔……ケンだっけ? 今なら気持ちわかるな、あいつが鶴にした事、許せないけど、鶴はああいう奴の心を掴んじゃう、変な色気があるよ」
「……、っぁ、や、っぁぁ、……っく、ふ」
 ごぶごぶと、中に精液が注がれるのを、鶴は目頭や目尻から涙を零し、堪えた。前はこんな表情をされなかった気がする。前は鶴の都合を優先して、鶴が嫌だと言えば聞き、鶴の感じ方に注意を払っていた。鶴が辛さを感じるような性交は、しないようにしていた。それが今は、鶴が何を考えているのか、感じているのかがわからなくなり、このような苦しげな顔をされてしまうようになった。何が変わったのか、何が駄目になったのかわからない。

 蒙古の船で渡来した鬼李に、近づいて来た時の鶴はやっと百を過ぎて、独り立ちしたばかりの精霊だった。捕らえられるまで暴れに暴れ、手が掛かったのを覚えている。しかし聡い鶴は、捕われてからは自分と鬼李の力の差を理解し項垂れてしおらしくなった。
 自分はまだ生まれたばかりで、世間を知らなかったのだと土下座した鶴は闘いにおいて、敗北したら命を取られるという場面しか知らない子どもだった。自分を苦労して百まで育ててくれた両親に、こんなすぐ死んでしまっては面目が立たない、何とか命だけはと訴える鶴の見当違いな心配が面白かった。
 鬼李は鶴を殺す気など毛頭なく、捕らえて飼う気だったのだから、ああわかったとすんなり、その願いを聞いてやった。そんな鬼李の思惑など想像もつかない鶴は有難がって、当時大妖怪然として振舞っていた鬼李に、弟分のように懐いた。
 鬼李は鶴を宦官にでもして侍らせようと考えていたのに、山育ちで宦官どころか陰間の概念も知らないうぶな鶴が愛らしくて、計画は変更に。それとなく自分の好意を諭しながら、ゆっくりと迫っていたあの頃が懐かしい。数千年の時をただ生きるのに飽きて、大陸で一つの勢力を作って遊んでいた時代。鬼李は鶴以外に楽しみが多くあった。
 国に連れ帰った鶴に、自分の治める領土の広さや、下僕の多さを自慢するのが楽しく、勢力が広がるのが楽しく、鶴の一挙手一投足に、びくびくしていなかった。

「急に盛っちゃって、ごめんね」
 付け焼刃とはわかっているが、一応の礼儀として。着替えを済ませて、ぼんやりとベッドに腰を掛けている鶴を横から覗き込み、詫びた。
 鶴の返事はなく、鶴の木目細かな肌には、窓から注がれる昼の健康的な陽の光が当たっていた。鶴は呆れと疲れを交ぜて、灰色にしたような顔で、鬼李の事を見もせずに床を睨んでいた。

 過去、部下として可愛がっていた他の弟分達、鶴より逞しくごつかった彼らを、鶴は目の敵にしていた。あの頃の鶴は、鬼李の役に立つという事に喜びを見出しており、自分は鬼李の懐刀になるのだと言っていた。実際に、田舎で拾った綺麗な小物と思っていた鶴が、格闘や諜報活動を覚えて活躍しはじめた時には惚れ直した。自分の倍もある大男を投げ飛ばしたり、敵地の様子を動物や人間を手懐け、探る事の出来た鶴は、周りから一目置かれるようになった。

「もう夜は休むといいよ、鶴……、俺、今日は牛鬼の家に行く」
 あの頃と違って、鶴は鬼李の事を信奉していない。けれど努力で強さを身につけた鶴には、牛鬼のような生まれつき才能と強運に恵まれた男は眩しくて憎らしい相手。
「あら太がいるから、牛鬼はおまえの誘いになんか応じねぇよ」
 ふん、と笑った鶴の顔には案の定、焦りが見えた。
「でも、家に呼んでくれたよ」
「じゃぁ俺も今夜は誰か家に呼ぶか」
 疲れ果てている癖に、鬼李に対抗しようとする鶴に、少し気分を良くする。まだヤキモチを妬かれる地位には居た。
「誰を呼ぶの?」
「……浩二とか」
「あぁ、あの魑魅魍魎ね、何かあったら殺しちゃうかもしれないって伝えといて」
「そのときは俺も殺せよ」
 ふいに、かっと熱の出るような怒りを思い出し、胃酸が食道にせり上がって、喉が痛んだ。そういえば鶴に最初に手を出したのは鬼李ではなく、鬼李の下僕だった。よりにもよって、可愛がっていた生え抜きの近衛達が鶴に手を付けた。そこから捻れた。
 大事な宝物を汚された怒りに我を忘れ、鬼李は慈しみ育てていた近衛達を皆殺しにした。自分の力に寄って来る者への嫌悪感。全ての下僕が、自分の懐に入って来て、大切なものに手をつける泥棒のように思えた。だから、鬼李は大陸にある自分の勢力をごっそり捨てた。
 おりしも倭国に、再び訪れて勢力を広げようとしていた頃で、鶴は人の変わったような鬼李に怯え、故郷についたと同時に鬼李の目を盗み逃げ出した。船の中で何度か抱いた鶴の体は、細いだけで色気は一切なく、甚振られ貫通させられた鶴の喘ぎ顔は、恐怖のみに彩られ痛々しかった。
 鬼李は未だ、汚された鶴が一人泣いて身を洗っていたあの場面を思い出すと怒りの渦が胸を覆い、息ができなくなる。鬼李が信じ、頼って来た近衛の手で穢された鶴はまだ無垢な清い精霊で、ただただ美しかったのに。
 鬼李でさえ、手を出せずにいた光のような存在が、地に落とされたあの絶望。鶴が、自分は妖怪になったようだと告げたのはその数日後だ。零落した精霊は妖怪になるそうだ。鬼李が手を下すまでもなく、鶴を最初に犯した男は、鶴の手で殺されていた。あの殺しが、まずかったみたいだと言って、笑った鶴に鬼李は打ちのめされた。自分が攫ってこなければ、鶴はずっと精霊でいられたのではないか。こんな事にはならなかったのではないか。生まれて初めて、自分の勝手に悔いを覚え、他人に平和を願った。
 しかし、鶴の平和を願う一方、自分以外の男の手に落ちた鶴が憎くて仕方がない。嫌がるのを押さえつけ、何度も無理に傷の癒えきっていない、その体を開いて上書きするように精を注いだ。
 
「あれっ?! 鶴さん?!」
 結局、鶴を連れて牛鬼の家に向かう事になり、出迎えた牛鬼は驚いた顔をした。牛鬼の家は、三重県桑名市の川沿いにあり、長閑な住宅街の只中にぽつんと存在していた。デザイン住宅とでも言えばいいのか、近代建築家が好むような、剥き出しの鉄筋が目立つ不思議な作りをしている。
 天井の吹き抜けで、広く見えるリビングに通されて、牛鬼を抱いた事のある黒いソファに、鶴と並んで腰を掛ける。牛鬼は渋い青草柄のティーカップとソーサーで、紅茶を運んで来ると二人の前に座った。
「びっくりしましたよ鶴さんと一緒に来るなんて、俺、最初いつもみたいに、鬼李さんに、その、誘われたのかと思って、ちょっと緊張してたのに」
 屈託なく笑って、余計な事を言う。いつもみたいに、という言葉に、鶴がむっとするのがわかり、鬼李は冷や汗を掻きながらも笑みを浮かべた。鶴が怖い、怖いけど嬉しい。何だこの状況。
「あ、どうぞ、紅茶……! こないだ飛頭さんがお裾分けしてくれて、なんか美味しいお店のらしいです、女の子って親切だよなぁ」
 飛頭ロミは鶴が誑し込んでいる良い体の女で、しかし本命はこの牛鬼だった。ピリッと鶴の体から苛立ちの電気が放たれたのを感じて、鬼李は逃げ出したくなった。
「俺ぁ、その買い物に付き合わされたぜ、……」
「あ、鶴さんと飛頭さんって付き合ってんだっけ」
 まず、牛鬼には悪意がない。だからこそ鬼李はハラハラする。ギリギリ体の関係があるようだが、飛頭は牛鬼に夢中で、鶴はしょっちゅうその恋の悩みを夜通し聞かされてうんざりしている。そんな状況を鬼李は知っているので、妬く気にもなれず、黙認している。
「そーゆんじゃねぇよ」
 鶴の声は地を這うように低い。いつもの鶴じゃない。
「ほー、ヤリ友って奴っすか?いっけねぇんだ」
「あ゛?」
 場を和ませようとして、ふざけた牛鬼に鶴が片眉を上げる。
「あの、俺、甘いもの食べたいな!なんか今日疲れちゃっててさぁ」
 鬼李は慌てて二人の間に割り込んで、甘いもの、という言葉で、何とか鶴の苛立ちを誤魔化した。
 牛鬼は、あ、と一声発して席を立つと、キッチンでカッパンと何か缶を開ける音を出した。

 テーブルに、ヨックモックの焼き菓子が加わり、鶴がそれをサクサクと平らげて行く。山神がいたら、親分其処らへんで、と声を掛けたくなる勢いである。
「お二人とも夕飯は?」
「食べて来た」
 三重に行く飛穴は川越にはなく、わざわざ品川に飛んで、それからやって来た。品川のJRから京急に乗り換える道の途中にある飛穴を利用するのだが、それには川越から品川を繋ぐ飛穴がJRの駅ホームにあるためにJR駅ナカを通る必要があった。そして、エキュート品川の楽しげな飲食店街に、鬼李と鶴は簡単に引っ掛かった。
「残念、松阪牛の美味い店が近くにあったのに」
 牛鬼は大げさにあーと溜息をついた。
「妖怪店員はちゃんと働いてるのか?」
「はい、ちょうど今日は彼がシフトに入ってる日なんで案内しようと思ってたんですけど」
 鶴は細く、気難しげな顔をしているので、あまりイメージがわかないかもしれないが、食いしん坊である。松阪牛、と聞いて少し目に輝きが走ったのを、鬼李は見逃さなかった。
「もっと早く言えよ」
 気怠げな調子で、興味無さそうに見せているが、本当はとても悔しがっているのが、鬼李には手に取るようにわかって憐れだった。今度行こうね鶴、と声を掛けてあげようかと迷っている間に、牛鬼が会話を繋いだ。
「いやぁ、さっき、ヨックモックの缶開けた時に思い出したんですよ、すみません、鬼李さん一人なら俺が何か作ればいいかと思ってて……」
 おっと爆弾投下ぁ。その話題は何か、まずい気がする。
「何だおまえ、料理できんのか?」
「え、まぁ」
 鶴は食い専、作るのはど下手くそである。一度台所に立つと、あらゆる具材を台無しにしてしまうので、江戸時代、山神にいつもこっ酷く叱られていた姿を思い出す。
 食いしん坊故に、作ってみたいなと思う事は何度かあるようで、台所を預かっていた山神に頼み込み、挑戦していた所はよく見かけた。が、いつも撃沈して異臭のする酷いものを製造していた。
「明日の朝ご飯にでも、何か作りましょうか? 鬼李さんなんか結構ツボってくれたっぽくて、この人、前に大陸でえらい人だったじゃないですか、そん時、雇ってたプロより美味いって言ってくれて」
「牛鬼!!! 牛鬼あのさぁ、俺、テレビ見たいかも!!」
「え? はぁ、いいっすけど、何て番組?」
 これ以上、鶴の牛鬼嫌いが進行するのを避けたくて、慌てた声を出すと、鶴がふっと笑い声を漏らした。
「上等だ、牛鬼、そこまで言うなら見せてみろ、てめぇの実力をよ」
「え? 何何?」
「実は俺も料理は得意なんだよ」
「ちょ!!! 嘘でしょ!!!」
 思わず叫んだのは、鶴の負けが目に見えていて、可哀相だったからだが、鶴はそれを俺が、鶴のゲテモノ料理を口にしたくないためだと思ったらしい。
「てめぇに食わせる気はねぇから安心しな」
「へー、鶴さん料理得意なんすね、せっかくだから何か作ってくださいよー、台所貸します」
 牛鬼は本当に、悪意がない。と信じたい。
「おう、悪いな」
 のしのしとキッチンに進んでいく鶴を、おろおろと見つめ、牛鬼に助けを求め、ちらりと視線をやると牛鬼は少し冷ややかな顔をしていた。
「えっ?!」
 思わず、ぎょっとして声を出すと、牛鬼は鬼李に顔を近づけ、鶴の後ろ姿をちらりと見ると呟いた。
「黒じゃんアレ」
「は?」
「アレ、鬼李さんに普通に気ぃあるじゃん、俺、心配して損した」
「何、何を見て、言ってんの?」
「はー、やってらんねぇ、当て馬とか、疲れるわぁ」
「当て馬?」
「ん、久しぶりに鬼李さんに良くして貰おうかと思ったのに、なんかガッカリっていうか、あら太に手を出す手順とか、鬼李さんのやり方見て確認する予定だったのにさぁ」
 小声で呻いて、ソファに沈み込んだ牛鬼は、不機嫌顔でどきりとする。美形の怖い顔は、とても色っぽい。
「よし、ぇぃ、膝枕してやろう」
 牛鬼が少し笑いながら、腿に頭を乗せて来て、何事かと思い、牛鬼と鶴を見比べる。鶴がさっそくフライパンから溢れんばかりの火を出しており、心配になった。
「牛鬼、ちょ、鶴が何か危なっかしい」
「ほっとけばいんじゃないかなぁ、やれるって自分で言ったんだからさ、っふ、まさかこっちで俺と鬼李さんがいちゃいちゃしてるとは思わないで、可愛いなぁ」
 膝の上で、べっと小さく舌を出した牛鬼は、色男の貫禄に溢れ眩しかった。牛鬼は悪意がないように話すのが巧いが、本当は全て、悪意で話していたのかもしれない。慌てる鬼李や、気分を害する鶴を見て、楽しんでいたのかもしれない。ぞっとしたが仕方がない。痴話喧嘩に巻き込んだのはこっちなのだから。
「ごめん牛鬼、変な思いさせちゃって」
「いやー、ほんと、追い返そうかと思ったけど、まぁいいっすよ、面白いもん見れたんで」
 にこっと笑い、牛鬼ははっきりと迷惑を訴えた。こういうところが、鶴とは根本的に合わない所以なのかもしれない。これが鶴なら、まず迷い無くこちらの心配をして来て、自分の負担などは二の次という発想で接して来るだろう。
「鶴が、沢山ヤキモチ妬いてくれて楽しかった」
「でしょうね、あれだけの反応、なかなか見せないでしょあの人、俺が頭フル回転させて色々引き出さなかったら、今頃三人で仕事の雑談して終わりでしたよ、今度何か奢ってくださいね」
 牛鬼は得意顔で、まっすぐ鬼李を見て来た。営業は心理戦。牛鬼はベテランの営業マンだ。鬼李のように、怨霊を駆使して本音を引き出すといったような特別な能力を使って商談をするわけではない。正真正銘、実力勝負で働いているトップ営業マンの手腕だった。
 鬼李は少し黙って、荒れていた最近の自分を振り返り、溜息をついた。
「俺は、鶴の事を決めつけ過ぎてたのかもね、赤鬼ばっかり見て、俺の事見てないって」
「良くわかってるじゃないですか、その通りだと思います」
 ボン、とキッチンで嫌な音が響き、牛鬼は少し顔を顰め、片付けは鬼李さんがやってくれるんですよね? と切り込んで来た。うん、と嫌々ながら返事をする。
 時刻は二十時を回り、先程付けたテレビでやっていたニュースの内容が、二巡目になった。
「多分、鶴さんの、赤鬼部長が好きだっつーのは自己暗示だ。あの人、赤鬼部長のために凄い苦労したから、……だけど、さっきの感じから見て、鬼李さんの事は鬼李さんの事で好きだと思うんだよな、ただ、鬼李さんは常に鶴さんの事好き好き言いすぎてて有り難みに欠けてるっつぅか、ちょっと突き放すぐらいすれば良いんじゃないですか?」 
「つ、突き放す??? 好きなのに敢えて突き放すの?!」
「……鬼李さんみたいに、力があって寄って来る女や若衆が多くて、駆け引きなんかする必要がなかった人にありがちなんだけど、『おまえが欲しい』だけがアプローチじゃねぇって話でさ」
 牛鬼の腕が、ぐっと首に回った。顔を急に引き寄せられ、目の前に牛鬼の整った面が迫った。
「例えば、アプローチの期待とか予感させるような行動をしておいて、気まぐれだったって体裁を取ってみたり」
 目の前で美形が、唇を動かして喋っているのを見せつけられ、ドキドキしていた鬼李の胸を、牛鬼は今度はすっと押して遠ざけた。
「?!」
「今みたいなね、期待させて置いて何でもない、っていう」
「っ……」
 ときめきを返せ、と言おうとしてゾクリと何かを感じ、顔を上げると鶴がソファに肘を乗せ、不敵に笑っていた。
「楽しそうじゃねぇか鬼李、邪魔なら帰ぇるぜ」
「鶴、ちがっ……!これは……!」
「そういえばおまえは出会ったばっかの時も、やたら屈強な野郎どもを侍らしてたよなぁ、あいつらも愛人だったのかね、……俺がどんなに頑張って努力して、あいつらに並べるようになったかなんて、想像もつかねぇだろ」
「あれは……!そもそも鶴は別枠で!近衛にっていうより、傍に侍らせる宦官にするつもりで……っ」
 ぶふぅ、と牛鬼が噴出すのと同時に、鶴の鉄拳が鬼李の頬を襲った。

 どうやら殴られて気を失っていたらしい、鬼李の頭にしくしくと牛鬼の泣き声が響いて来て、すっと目が覚めて行く。どうしたのだろう、あの強い男が泣かされるような事が、と目を開けると、テーブルに並べられた鶴の糞料理を前に、牛鬼が涙を流していた。
 慌ててまた目を閉じたが時既に遅く、鬼李、と鶴に呼ばれた。
「起きたんなら手伝ってやれ、牛鬼が可哀相だ」
 牛鬼を可哀相にしているのは誰だ、と心中で唸りつつ、のろのろと起き上がって鼻の息を留める。
 食卓に用意された水の量を確認してから、覚悟を決めて、がこがこと酷い飯をなるべくその形を見ずに咽喉に突っ込み水で胃に流し込み、舌を刺激する得体のしれない感触に耐える。鬼李さぁん、俺もう無理ですっ、と横で牛鬼が泣き声をあげた。
 目の前でしょんぼりした鶴がもそもそと失敗作を自分でも始末している。その額には脂汗が浮いていた。鬼李はとにかく無心で、がこがこと胃に豚の餌を放り込む作業に従事した。
「ごち、そ、う、さま……でした」
 呟いて、ソファに倒れこむと、ああ、死なないで鬼李さん、と牛鬼がわめく。青い顔をしているのだろう、ピタピタと頬や額の温度を確かめられ、寝たら駄目です死にます、と冗談を飛ばされる。鶴は黙って、空になった料理の皿を見ていた。

「それで、結局、ちゃんと決着付けたんでしょうね」
 牛鬼の家に二人して泊まらせて貰ってから三日後、牛鬼に呼び出された喫茶店で、鬼李は頭を抱えた。
「んん、何となく……」
「ついてねーのかよ!」
 自宅で化学兵器を製造された牛鬼の怒りは尤もだが、鶴との関係はあれから変わっていない。
 鶴は相変わらず、鬼李に対して素っ気ないし、借金取り呼ばわりをする。ただ、鬼李は鶴に対して、無茶な要求をしなくなった。
 


2016/07/12