からめ

『つちのこ』(不妊に悩む妖怪カップル、堅物×健気)

 今日の朝も産声を聞くことなく、気まずい思いで寝床を出た。
 大河童種の大賀九郎は、冷えた朝の寝室で服を身につけながら、大きな溜息を吐いた。白い息がシャツのボタンをかける自分の手に掛かる。
 どうして、と口の中で作った声を飲み込む。
「今日も出来んかったなぁ」
 後ろから、連れ合いの川男種、川魚和平の小さな呟きが聞こえ、九郎はいよいよ居た堪れなくなり寝室を後にした。

 二百年の時をかけ、川男種の川魚和平を口説き落とし婚姻したは良いものの、祝言を上げてから五年。まだ子に恵まれていなかった。焦るには早いとは思うが、悩みは年々深まっていく。 
 種の違う男女、または同性同士の妖怪は土から子を成し、土から出来た子をつちこ、つちのこという。この土子を授かるためには『宝箱』と呼ばれる土を詰めた箱の上に夫婦で眠る必要があった。
 二人の妖力が混ざりあい、土子が出来ると土から産声が聞こえて来る。
 九郎と和平はこの五年、宝箱の上で眠り続けている。

「いってらぁ」
 いってらっしゃい、を縮めて玄関の柱に寄りかかり、見送ってくれる和平の顔は穏やかだが、落ち込んでいるのは確かだった。
 昨晩は随分しつこく抱いたのだが、駄目だった。
 土子、出来るといいなぁと眠る前に呟いた和平の疲れた声を思い出す。妖怪と妖怪の間に子が生まれる原理は、妖力が混ざり合った現場に土があるという条件のみだ。これが揃えば、ただの土の上で強姦が起こっただけで子が出来る。滅多にない事ではあるが、下手をすると土の上で相性の良い妖怪が二匹寄り添って眠っていただけで子が出来る。何が良い悪いではなく、妖力が混ざり、それに土が反応するかどうか。
 しかし、溺れる者は藁にもすがる。九郎と和平は、特別な良い土を取り寄せて、その中に互いの体の一部を混ぜ合わせ、反応をしやすい土作りをきちんと行い、土を詰める『宝箱』だって職人に特注で作らせた。
 性交も頻繁に行っている。
 これだけやって、子に恵まれないのは何故なのか、どちらかに愛が足りない所為だろうか。互いに想い合っている事も、子作りにはプラスに働くとどこかで聞いた事がある。外堀を固め過ぎて、あとは内側、相手の心を疑うという局面に来てしまっていた。

「おはよう」
 住処である上野の、不忍池地下一層から地上に出て、人の世の交通網、東京メトロ銀座線を使い会社に向かう。毎朝、車両で顔を合わせる営業部の野平紀彦に声を掛けると、野平はアアと人好きのする笑みを浮かべ、おはようございますと応じた。
 浅草の雷門にある飛穴を目指し、三駅。野平は赤坂見附から乗って来ており、いつも車両の中程に立っていた。混雑した社内では、知り合いと出くわしても挨拶を交わすのみになる。人だけじゃなく、妖怪も乗り込んでいる社内の空気に、毎朝の事だが息苦しさを覚える。
「もう年末だな」
 電車内、駅構内、街中の広告は師走の行事をあらゆる角度から盛り立てていた。地下鉄を降り、雷門に向かう道すがら、隣を歩く野平に向かい当たり障りのない事で声を掛けると、今年も早かったですねぇと当たり障りのない返事があった。
「昨年も早かった」
「はは」
「来年も、再来年も、きっとあっという間に終わる」
「一瞬でしょうね」
 あとまた五年経っても、九郎と和平の間に土子の恵みがなかったら。次の年は必ず、次の年は。と意気込みながらもう五年。
「焦るなぁ……」
 ぽろりと漏らした言葉に、野平はこちらをちらりと見た。
「お子さん?」
 さすが、察しが良い。
「努力はしているんだが……」
「こればっかりはご縁ですからね」
 誰もがその一言で片付けてしまう九郎の悩み、その一歩先の言葉が欲しくて、九郎は沈黙した。何と愚痴れば良いのか。どんな言葉を掛けて欲しいのか。結局、他人にはどうする事も出来ない問題だ。
 ふと、野平が空を見た。
「良い天気ですね」
 野平につられて上を向いたら、頭に、こーんと何かすっきりするものが通った。
「えぇ」
 冬のはっきりした青空が、ただただそこにあった。
「色々試して駄目なんでしたっけ」
「やれる事はやったと思う、一通り」
 何か、新しい答えを得られるような気がして、何時の間にか胸がどきどきしていた。
「話を聞いていて、前からひとつ心配してたんですけど、九郎さんも連れ合いの方も、疲れちゃってませんか?」
 野平はもう上を向いてはおらず、真っ直ぐ前を見て話をしていた。
「休憩してもばちなんか当たりませんから、一旦宝箱の上から降りて、普通にお休みする生活でもしてみたらいかがでしょう」
「それは……」
「結婚した二人が必ず土子を育てなきゃいけないっていう決まりがあるわけでもなし、物理的な努力をし過ぎて、今度は精神的な面というか、お互いの気持ちとか、疑い始めちゃったら良くないですから」
 まったくその通り。
「野平、おまえ」
 凄いな、と言おうとして雷門に着いてしまった。

 午前中は皆、情報の収集で席を外している。営業から降りてきた仕事のまとめ、リサーチ書類や上がって来た情報を分析した上で、提案書類の作成を行うのが九郎の所属する企画部である。
 企画と名はつくが、実際は書類作成部であるため、部内は基本的にシンとしている。
「おはようございます」
 朝の会議の時間になり、営業部から牛鬼が一番にやって来た。営業が取って来た仕事に必要な書類の作成、提案に必要な情報の共有を行うための会議が毎朝開かれている。おはよう、おはようございまぁす、と営業の人間が次々と入って来て、部内が急に活気づく。目に見える物を売る会社では、企画者や生産者が幅を利かすが、目に見えない物を売る会社では営業が幅を利かす。九郎が経験で知った会社の傾向に沿い、広告やイベントといった目に見えない物を売る、この『怪PR社』では営業部が一番の花形職種だ。
 営業部から、最近流されて来たばかりの部下、天狗種の玉天狗が、面白くなさそうに席を立つのが見えて不安を覚える。玉天狗は営業の内部事情を知っている分、営業の言う事を鵜呑みにしない。
 無駄な仕事をさせられなくて済むようになり、助かったという声もあるが、営業が求める情報や書類の作成に、いちいち反論する玉天狗がいると、会議が時間内に終わらず、話がまとまらない。
 利益を出す動きは、時間との闘いである。仕事を取って来るのは営業であり、仕事がなければ利益は出ないし、会社のためにならない。自分たちの仕事量が無駄に増えるのは避けたいが、あまりそれをやり過ぎると営業の足を引っ張る。
 企画から出た事のない九郎ではあるが、相手の状況を判断するだけの経験は積んで来ている。玉天狗には何時かのタイミングで忠告しなければならない。
「今日もお集まり頂いてありがとうございます。まずは進捗報告から入ります」
 ブラインドを半分まで下ろした窓から、朝の光が差し込む中会議室で、大型のイベント案件に向けた情報共有会議が始まった。九郎は企画部の新聞・雑誌広告チーム、チームリーダーをしている。
 営業部の取って来た大きなイベントの広告を、新聞・雑誌広告で出すか交通広告で出すかで荒れ、やっと先週、交通広告チームからもぎ取った仕事であり、やり甲斐のありそうな大型案件だった。
 玉天狗には、この案件についての会議では一切口を開くなと言ってある。幸い、担当の営業マンは元玉天狗の部下である第二営業部の牛鬼だ。玉天狗の我侭に免疫があり、簡単に気分を害したり、冷酷に仕事を打ち切ったりしない。少し不満そうな顔をしていた玉天狗が、九郎の言い付けを破り何か言っても、後で九郎がフォローを入れれば何とかなる。
「あ、それと今回、営業部の本部長が姫鬼さんから赤鬼さんになりまして、ちょっと方針転換というか、大型の案件会議には定期的に赤鬼さんが同席する事になりました」
 ヒヤリと背に汗が滲む。強面の鬼種、赤鬼は常から怒り狂っているような赤ら顔で、性格も短気でワンマン。こうと決めたら頑として動かないところがある。赤鬼が同席する日には、玉天狗には理由をつけて席を外していて貰おうか、などと考えていたら会議室に赤鬼が入って来た。
 何っ、という声が思わず口から出そうになり、きゅっと唇を引き結んだ。代わりに数人の女性社員が小さく、え、と呟いたり、嘘、という声を上げた。
 赤鬼はぎらついた眼光で会議室内を舐めるように見回すと、営業本部長の赤鬼だ、宜しく頼む、と地の底から響くような恐ろしげな声で簡単な挨拶をし、牛鬼の横に座った。
 その日の会議は、生きた心地がせず、分かり易い牛鬼の進捗報告も頭に入って来なかった。何も言うなよと始終玉天狗を睨んでいたために、禄に質問や提案も出来ず、午後の仕事も進みが悪かった。
 玉天狗を早く何とかしないと、計画半ばで切られる事もあり得る。昔、赤鬼がまだ第一営業部の一営業マンだった頃、九郎は今の玉天狗と同じように、余計な仕事は押し付けてくれるなと強い口調で赤鬼とぶつかった事がある。結果、赤鬼は計画の三分の一が進んでいた状態で、新聞・雑誌広告チームを見限った。しかも、新しく組んだネット広告チームで目覚しい業績を作り、ネット広告チームを三名だけの弱小チームから今後力を入れていくべき新鋭チームへと格上げさせ、自分も部長職に就任した。
 大型の案件をやり損ねた新聞・雑誌広告チームは、ただでさえ右肩下がりの成績をさらにがくんと下げる事になり予算を削られてしまった。

「元気ないねぇ」
 上から声を掛けられ、見上げると和平の柔らかい笑みがあった。和平は自宅で翻訳書類の仕事をしている。朝、仕事に行き、夜に帰って来る九郎と違い、和平の仕事にはハッキリした区切りがない。机に向かって書類を書いている時はハッキリと仕事中とわかるが、翻訳する対象の洋書を読んでいる時の和平は、仕事中なのか休憩中なのか判別しにくい。そんな和平に触りたい時、九郎は一応一声、今、仕事中?と声を掛ける。今日は悩み中、というどちらとも取れない返事を貰ったが、甘えたい気分だったため、風呂から出て乾かしたばかりの頭を、和平の太腿にさっさと乗せ、目を瞑った。
 仕事中だから、と追っ払われるのを畏れ、声を掛けずにいたら、頭を撫でられた。額にある河童種の皿は、犬の鼻のように常に湿っている状態が健康的なのだが、今日は乾いていたようだ。皿の乾きを見て、和平は心配そうな顔をした。
「顔でも洗って来たら?」
 顔を洗えば、額に水が掛かる。
 皿の乾いた河童が、自分に元気をつけるためにやる事は、顔を洗う事である。九郎は風呂から出たばかりであり、顔は洗ったばかりであり、水が皿に定着しなかったのは、気持ちが沈んでいたからだ。
「洗ってもどうせ湿らない」
「じゃぁ、濡れ布巾でも被せようか?」
 額の皿に、濡れた布巾を被せるという方法は、弱っている河童には一番利く体力回復の方法だ。
 しかし、それをお願いすると和平の腿は逃げて行く。一時でもこの腿と離れたくないという気持ちから、いらん、とぶっきらぼうに返事をしていた。
「弱ったら額に布巾を乗せるって、人間みたいだよねぇ、河童って」
 逆だ。人間が熱を出した時に額に布巾を乗せるのを見て、何を河童の真似事をしているのかと思った九郎にしてみたら、まったく逆転の発想である。
「そうだな」
 しかし、敢えて反論をするのもどうかと思い応じると、和平はくつくつと笑った。
「逆だ、って言いたげな顔してるねぇ」
「事実逆だ」
「うんうん、人間が河童の真似をしたんだよねぇ」
 和平はいつも、九郎が呑み込んだ言葉を探し出し、受け止めてくれる。それが嬉しくて心地よくて、和平のいる空間が常に傍に欲しくて和平に婚姻を迫った。
 和平との土子が欲しかったわけじゃない、和平を傍に置ける理由が欲しくて婚姻を迫ったのだ。
「俺達さぁ、お別れしようか」
 それなのに、どうしてこんな言葉を吐かれたのか。
「どうして」
「土子も、出来ないし」
 土子を作ろうなど、言わなければ良かった。誤解を生んでいる。
「土子なんかいらん」
 吠えるように叫ぶと額の皿に水が沁みた。少し痛いのは塩辛かったせい。和平の涙である。
「もう無理だ、俺ねぇ、あんたといるのが苦しくなっちまったんだ」
「和平……」
 起き上がろうとしたが体が動かない。どうしてだ、悪いところは全部治す、だから俺を捨ててくれるなと和平の肩を揺さぶってやりたいが、恐怖で息さえも止めてしまっている自分がいた。
「あんたがそばに居るだけで幸せって最初は思ってたんだけど、段々、……その、欲しくなって来て、土子……、そしたらどうしても手に入らない今の状況が、……辛くなって来ちまって」
 二兎を追うものは一兎をも得ず、とは良く言ったものだ。和平の辛い涙を吸った皿がじくじくと痛い。九郎は和平が居れば、これからもそれで良いと思っているが、和平は違うのである。
「欲しいものがさぁ、手に入んない状態ってのは、存外辛いんだねぇ」
 石になって、和平を見つめている九郎の頬や、肩を撫でながら和平は言葉を続けた。泣きながらである。愛しい和平に涙を零させている、という事実。和平の涙が落ちて来て、額や目の下に当たる度、九郎の胸は斧で叩かれたような衝撃で押し潰れ、ぺしゃんこになる。
 土子などと言い出さなければ、目一杯外堀を固めなければ、どこかに逃げ道を作っていれば、何か違っただろうか。例えば土はそこらへんの土にしておけば、土が悪いんだと土のせいに出来た。
 いや、そうしたらすぐにその土を良い土に変えるだろう。結局、あらゆる努力をしてしまう程、二人は土子が欲しかった。
「和平……」
 掠れた声が出た。
「俺が嫌いになったのか」
「違うよぉ、そんなわけないじゃないか、嫌いになれたら苦労しない、嫌いじゃないから困ってるんだ、あんたとの間の土子が、欲しくて欲しくて仕方がない程、あんたが好きだから辛いんだ」
 ぎゅっと目を瞑って、涙声を出す和平を、やっと起き上がって正面から抱きしめた。
「嫌いじゃないなら考えてくれ、俺を苦しめないでくれ、俺はおまえと別れたら不幸になる、頼むから傍に居てくれ、もう宝箱の上で寝るのはよそう、期待を裏切られ続けるのはやめにして、安らかに過ごそう、俺達には休息が必要だ」
 自分本意過ぎる説得だった。和平からの返事はなく、不安がぐんぐんと体の内側を埋め尽くす。欲しいものとは、和平が欲しいものは、本当に九郎との間の土子だろうか。そもそも和平は土子にどんな期待をしているのだろう。
「土子が出来たら、いつも家にいるおまえにばかり苦労をかける事になるし、安定させ損ねて死なせてしまったら俺達はもっと辛い思いをする」
「あんたは俺にばかり苦労させるような事はしない、あんたの事を信じているし、安定させ損ねて死なせるなんて、そんな事は絶対にないよう注意するよ、仕事は一回ストップして、土子につききりになったって良いんだ」
「おまえ、……そこまで」
 言ってしまってから、しまったと思う。何か悪い事を言ったつもりはない、ただ思いのほか和平が土子を欲しがっていた事に驚いただけだが、直感的に、今の言葉が失言だったと悟り唾を飲んだ。
「やっぱり、あんたの気持ちが入ってなかったんだな」
 和平の声は低かった。
「可笑しいと思ってたんだ、俺がこんなに欲しいと思ってるのに、あんたは俺と気持ちよくなれりゃ良くて、俺との間に土子が欲しいなんて、あんまり考えてなかったんだ、そうだろ」
 そんなわけないだろう、と言いたかったが、今は何を言っても無駄だろう。しかし、腹が立つ。
「少し頭を冷やせ」
 抱きしめていた和平を突き放すと、九郎は風呂から上がってから着込んだ寝巻きを脱いで、分厚い冬着の和装を身に付け、家を出た。
 愛しい和平からなじられる事に耐えられなくなったのと、和平の言葉によって生まれた怒りが思いの他強く、何かの間違いで、もし、和平に暴力を振るってしまったら嫌なので、和平から離れようと思ったのだ。
 少し頭を冷やせという命令は、実は自分に向けて言い放った事だった。

 地上に出ると夜の上野、不忍池ほとりは人間の恋人達で溢れている。足元に絡まる木枯らしに、転ばされるような気持ちになりつつ、街に出た。アメ横の居酒屋、その隅に腰を下ろすと妖怪店員がお通しを持って来た。
「鬼ころしを……、それと、」
 酒を頼み、それからメニューの中から適当な、つまみになりそうなものを指差して、これをと注文して懐に財布を確認する。
「うっ!」
 財布がない。
「待て、財布がない、今のはなしだ、出直す」
「良いですよ旦那、常連さんが元気ないのをほっといちゃ店が廃る、今日はつけときます」
 店員がにっこりと微笑んで、親切を言うのに涙が出そうになった。
「うちの旨いもんで、心を取り戻してくださいね」
「……俺はそんなに沈んで見えるか?」
「お皿がからからで白くなってますよ」
 何、そんな恥ずかしい状態に? と思わず皿に手を当てると、少しは湿った感触があり、店員にからかわれたのだとわかった。
「おい」
 ばつが悪くなり、叱った声を出すと店員はククク、と声を上げて足取り軽く去って行った。
「九郎さん」
 その店員の向こうから、聞き覚えのある声がして、顔を上げると和平が、息を切らしてそこに居た。
「財布忘れてったろう」
 九郎が恥をかかぬよう、走って追って来てくれたのだ。
「和平」
「あんたは俺がいねぇと、どうしようもねぇな」
 実はつけでどうにかなりそうだったのだという言葉を飲み込む。
「助かった、今、注文してからねぇのに気がついて」
「うん」
 和平はにっこりと笑った。それから、九郎の向かいに座ると先程の店員にこの人と同じの、と声を掛け、息を整える。
「あのさ」
 和平は段々と、落ち着き始めた息を吐き出しながら、声を掛けて来た。何を言われるのかと少し身を堅くしていると、和平は苦笑した。
「さっきは悪かったよ、酷い事言った」
「いや、俺も、言葉が足りず……」
「その事はもう良いんだ。ぜんぶ俺の八つ当たりだったんだから、それで、ちっと頭冷やして気がついたよ、九郎さん、俺はね、寂しいだけだったんだよ、あんたの事を前より好きになったせいで、あんたと一緒にいる時間がもっと欲しくなった。だからあんたの血を引く土子をいつも傍に置ける環境が欲しかった。……あんたを失っちゃこの寂しさはもっと増す」
「……和平」
「それでさ、お願いがあるんだけど、俺、午前中は川越で仕事する事にしたよ、作業場借りてさ、それで昼飯を一緒に食って貰う」
「昼飯……」
「会える時間をちっと増やして貰う、そしたら、大丈夫んなる気がする」
「そうか」
「でさ、あんたが疲れてなければ、宝箱の上で励むのは、まだ続けとこうよ、だって、もしかしてって事はあるかもしれないだろ、確率の問題だ、いちいち期待しなけりゃ疲れないよ、な?」
 いいだろ、と軽やかに甘えた声を出す和平の頬を触る。涙の痕を拭うと、ぱちぱちと瞬きをして、和平は少し照れた顔になり、やたらと可愛かった。柳まゆの下にある、短くて細かい睫毛に縁どられた猫目が色っぽい。見つめていると引き込まれる。
「食べたら帰ってしよう」
「昨日したろ」
 週一ぐらいに、と決めていた性交についての取り決めに歯向かうと、和平は赤くなって反論した。

 土子の事で悩むのは一旦辞めよう。和平と過ごす時間を、大切にしよう。そして、玉天狗に悩まされている仕事の件については、家庭の件でお世話になった野平に、一度相談でもしてみよう。察する察してもらう、という動きにばかり、自分はこれまで頼りきりだった。こちらで思っていた事と、違う事を考えているのが他人である。

 明日、また朝の通勤で野平と出会うのが待ち遠しくなった。


2013/12/01