からめ

『畑のミカタ』(甘党の親分+親分大好き子分)

 以津真(いづま)種の以津真 弥助(いづま やすけ)は、先日、管理部から営業部に異動した。周囲には反対され、上司からも渋い顔をされた異動だったが、無理を言って通して貰った。

 異動してみると十年ぶりについた営業の仕事は楽しかった。人事の仕事にもやりがいはあるが、やりがいを感じられる頻度が違う。
 まず弥助の扱うイベント商品は早ければひと月で結果が出る。そして数字でしっかりと成果がわかり、やることをやれば八割方成功し感謝される。多少の事故や衝突は起こるが予測して動けば対処出来るし、困難を解決したという達成感を味わえる。
 対して、弥助がこれまでやってきた人事の仕事は、他者を一定の距離を取って観察し、昇格や降格を決めるもので。仕事は成し遂げても含みが残り、その成果がわかるのには年単位の時が要る。
 成功するのは十人に一人で、後は不満を漏らされる事の方が多かった。
 内部の揉め事に巻き込まれずに済むと求人担当者になってみても、やはり上手くいく者は少なく、悪くすると苦労して招いた者から騙されたなどと罵られる。
 江戸の時代に世話を受けた岡引の親分、鶴(つる)を助けるつもりで営業部に戻った弥助だったが、本当は自分が管理部から逃げたかっただけなのかもしれない。
 強引に自分の後を次がせた管理部の後輩、柄黒(がらくろ)の愚痴を聞きながら、ふとそんな事を思う。柄黒は最近、他社から引き抜いたばかりの制作部チーフ須根(すね)のフォローで精神を削られていた。
 小江戸のはずれにあるレトロなカフェバー。そこで、弥助と柄黒は飲んでいた。小江戸の和風な街並みを殺さぬ、趣ある古い洋館の中にその店はあった。昼はカフェ、夜はバーとして機能しており川越の地ビール、何かの大会で金賞を取ったCOEDOを五種類も生で飲める。黄金色の照明がカウンターを照らす以外は、ほとんど闇色の店内が色合い良く、西洋画のような空間を楽しめた。
 かれこれ四時間。隣は二度も入れ替わったが、柄黒の嘆きは尽きることを知らない。それだけ鬱憤が溜まっていたのだろうが、そろそろ場所を変えるべきかと弥助は思案していた。
「大体ね、うちの条件を気に入って、あの人がうちを選んだんですよ? それを俺が強引に連れて来たみたいな甘えた言い方をするから頭に来るんですっ」
 そう唸りながら、手元のカプレーゼからモッツァレラチーズを避け、トマトだけを掘り出して口に運んだ柄黒に可愛さを覚えて笑みが溢れた。二百と少ししか生きていない弥助に対して、柄黒は齢五百の大台を越えている。可愛いなどと感じるのは失礼かも知れないが、弥助は悪戯心に任せて指摘した。すると、柄黒はしまったという顔をして頬を染めた。それから、弥助の友人にして柄黒の恋人である田保には黙っていてくれるように言った。弥助は顔を顰めると、誰がそんな不粋な真似するかよと呆れた。
 見渡すと店内には、弥助や柄黒と同じ二人連れの妖怪サラリーマン客が多く席を占めている。観光客らしき人間客が放つ明るい空気と対照的な、苦労の滲む暗い空気を醸す妖怪客達が少しだけ煩わしい。弥助は柄黒を促し店を出て、その日は結局、自宅に柄黒を招き朝まで柄黒の愚痴を聞いた。

 それから数ヶ月、梅雨が明けると弥助は第一営業部のNo.2になっていた。
 国家を財布に持つ案件を引っ張って来る元一国の王、小野森 鬼李(おのもり きり)を除き、弥助に勝てる第一営業部のメンバーは一人も居ない。第二営業部の牛鬼や鵺にはまだ届かないにしても、なかなかの成長スピードだと、自分で自分を褒めてやりたい。鶴の治める第一営業部の成績にも大分貢献し、当初の目的を果たせたのと、順調に事が進む楽しさと。
 油断するには充分なタイミング。
 大口の取引先から発注予定の案件を逃した。
その乖離は円にすると約二億。一人で埋められる数字では無かった。鶴が責任を取らされ降格処分を受けると、第一営業部の長は鬼李が務める事になった。鶴を助けようとして、鶴の首を絞めた。
 三日、食事が喉を通らなかったが四日目には何とか気持ちを切り換えた。
 これから弥助が取り組まなければならないのは、己が空けた穴の修復。常時求められる予算数字を守りつつ、マイナス補填のため案件を増やして稼働する。第二営業部から牛鬼を招き、大型イベントを複数スタートさせ、巻き返しを図る。
 当然、その取り組みによって弥助と牛鬼の仕事量は倍になり、二人の残業は深夜まで続いた。
 ある日、時の鐘地下から出る妖怪メトロの終電を逃し、午前零時のタクシーで川越駅の飛び穴に向かった時の事。道中、隣で熟睡する牛鬼の寝顔を盗み見ると、スッキリと整った顔に形の良い目鼻が付いた男前であった。綺麗な四角の額から延びた崖のような鼻は小鼻が小さく筋が通っていて、滑らかな頬やがっしりした力強い顎が男らしい。
 ふと眠る牛鬼の向こう、外の闇で濁った窓にみすぼらしく痩せた己の顔が映った。凄みのある三白眼でギロリと睨んで来る元やくざ者の口許が、ざまぁねぇなと呟いて歪む。
 普通に生きているだけで他者を救える牛鬼の、存在としての素晴らしさ。見た目にも美しく、いかにも神々に愛されている。
 それに比べ、大切に思う恩人さえ満足に救えない自分の、助けようとしてとどめを刺してしまったその害悪ぶりに嫌気が差す。
「弥助さん」
「……ん、」
 そこで、疲れで掠れた牛鬼の声が耳に響き、瞬きすると、隣に寝ていた牛鬼のハッキリして大きな目がうすく開かれていた。
「あんた管理部戻れよ」
「何?」
「営業、向いてねぇ」
「何だよ藪から棒に」
 今回、大穴を空けた事もあり言い返し辛いが、弥助は営業として、自分で言うのも何だがそれなりの成果を出している。向いてない事はないと思うのだが。
「腑に落ちてねぇ顔だな」
 タクシーが目的地に着くのと同時に、牛鬼は弥助を正面から見て、弥助の胸のうちを言い当てると、さらに続けた。
「あんたの営業は甘い、……焼畑農業みたいだ」
 意味を聞く程、弥助は愚かではなかった。何か牛鬼から見て至らない点があるのだろう。まずは牛鬼のやり方と己のやり方の違いをヒントに悪いと思われる点を見つけ、改める。
 それを改める事が出来なければ、弥助は営業部のお荷物。
 牛鬼の言葉は、弥助の心を深く抉った。

 かぁー、いけ好かねぇなぁと拳を握り締めた鶴に弥助は眉を下げた。所沢にある弥助の自宅は人世の住宅地に紛れてひっそりと建っている。甘味を手作りし、鶴を招待した休日の午後。こざっぱりとした和洋折衷の一軒家、二階で餡蜜と抹茶ババロアを前に親分子分が親交を深めていた。
 鶴は弥助の尻拭いに降格させられたのだが、逆に気が楽になったと弥助を許し、こうして悩み相談にまで乗ってくれている情け深い親分である。
「確かに販売力のある奴は時として焼畑やっちまうけど、言い方ってもんがあらァな?」
 弥助の側に立って腹を立ててくれる鶴に有り難みを感じつつ、鶴の口からも出て来た焼畑という言葉に、いまいちピンと来ない。弥助は鶴に教えを請おうと口を開き、しかし思い止まった。これは、単純な仕事の確認事項ではない。己の頭で考えて答えを出すべき問題なのだろう。
 辞書で引けば焼畑農業とは、耕耘・施肥を行わず、作物の栽培後に農地を焼き、一定期間放置して地力を回復させる農業と出る。それが営業にどう繋がるのか。弥助なりの解釈で、何通りかは思い浮かべられたが牛鬼に営業を辞めろと言わせる程の事には繋がらなかった。
 例えば一年に一度しかイベントを開催しない顧客は放置して次の発注を待つし、要求が多過ぎて満足してくれない顧客についても放置して他でも上手く行かない事をわからせる。
「何にせよ、至らない点があるンです、よォく考えて改善します」
「まァ頑張れ」
 バシッ、と肩を叩かれて気合いが入る。所沢の平和な空を、ヘリコプターがバリバリと音を立てて通過していた。今度こそ鶴に恩を返す。決意すると心が軽くなった。
「これ、お土産に」
 餡蜜と抹茶ババロアは、痛風の気がある鶴の身を管理する山神(やまかみ)に注意され、事前に山神の許しを得た小量しか出す事が出来なかったが、甘いもの好きの鶴に饅頭を土産として持たせるのまでを禁止されてはいなかった。
 見送りに付いて行った所沢の駅で、エスカレーターを登りながら包みを渡すと、鶴はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「越後屋、そちも悪よのう?」
「いえいえ、お代官様程では」
 ベタな冗談で場を和やかしながら、鶴は嬉しそうに口許を綻ばせ、大事に包みを懐に仕舞った。弥助と鶴、二人だけでの行動は思えば江戸時代以来である。鶴の周りにはいつも赤鬼や山神、鬼李が居て、中々独り占め出来る機会がなかった。
 何となく、楽しい気持ちになって来て、弥助は鶴と一緒に改札を通った。
「おいスケベ、家までの見送りは必要ねぇぞ」
「誰が親分相手に下心なんか持ちますか、飲みにお誘いしようと思ってンです、有楽町なら親分ン家の眼と鼻の先ですよね」
 鶴は鬼李と共に銀座地下の高級地に屋敷を持っている。元は鶴一人で所有していたのだが、固定資産税を払えなくなり、鬼李に買い取って貰ったのだという。
「……、しゃーねぇなぁ、ちょっと付き合ってやるかぁ」
 鶴は言いながら、楽しげだった。
 そして有楽町駅に着くとすぐ、駅前の果物屋で食べ歩き用の莓を買った。
「観光客ですか?」
地元民らしからぬ鶴の行動に皮肉を溶びせると鶴は勝ち誇った顔をして目を細めた。
「果糖を摂取する喜び!」
言いながら、得意げに赤い粒を犬歯で串から引き抜く。
「今日は山神さん居ないですもんね」
痛風を患っている鶴は口にできる食物を、女房役の部下に厳しく監視されている。
「あ? バカ野郎、山神が居ても居なくても俺ぁ果糖を摂取するぞバカ野郎、この野郎バカ野郎」
「たけしですか」
他人の観察が得意な鶴の物真似は上手く、弥助はクツクツと息を漏らしながら指摘した。妖怪の著名人だけでなく、人間の著名人も頭に入れているらしい。
鶴は、弥助の江戸時代からの上司で、職人が丹精を込めて作った美しい人形のような井手達をしている。果実を食む形の良い唇も、駅前の広場で催されているイベントの良し悪しを厳しく観察している涼やかな目元も、つい見入ってしまう迫力を備えていた。
男色の気がある男や、面食いの女達が鶴に注ぐ憧れの目が心地好い。どうだ、俺の親分の器量は。これで頭も面倒見も良いんだぜ。是非関わりたかろう。俺は既に子分としてお側にいるがな。
得意な気持ちで鶴の横を歩く時間、弥助は悩み事を忘れて悦に浸った。
それから、さて、どこに親分を案内しようかと頭を働かせる。鶴はこれまで赤鬼の趣味に付き合い、大衆居酒屋にばかり出没していたが、小豆や天野、野平と出掛けて行く時は、子洒落たカフェやレストラン、女性に人気のあるスタイリッシュな和食屋に入る。
ここから近くて、美味しくて鶴の趣味に合う店はどこだろうと考えて弥助はすぐにいくつかの店を思い付いた。管理部に居た時、他社の人間を引き抜く際は相手の好みに合わせ、あらゆるジャンルの高級店を調べたので、この界隈だけでそれなりのレベルの店を二十軒は案内出来る。
過去、趣味のブログでそうした店の情報をまとめて遊んでいた所、リサーチ会社から是非調査スタッフになってくれとスカウトされたぐらいである。
「この辺りだと、何があるんだ?」
弥助の得意分野を知る鶴の、率直な問いに弥助は笑みを深めた。
「中華でオススメのお店がありますけど、親分好みの凝ったスイーツを出す店となると東銀座まで歩きます。有名なパティシエがいるフレンチで……」
「歩くぞ」
速さを競うクイズに答えるような鶴の返事に、ニヤリとしてからハイと応じる。銀座から東銀座迄は大通りに高級店が建ち並び目に楽しい。鶴と二人、ブティックや画廊などを冷やかしながら歩く。江戸の時代、日本橋を意気揚々と見回った頃を思い出す。鶴は江戸の外れ、高輪を治める親分であったから、日本橋には疎く、弥助の案内を面白がってくれた。
そんな昔を懐かしみながら、隣の鶴を見る。鶴は弥助の案内する店を楽しみにしているようで、機嫌よく鼻唄を歌っていた。
そこに突然、鬼季から強制力のある誘いが入った。< 二人ともお休み中に悪いんだけど、ちょっと良いかな >
今は称助と鶴の上長にあたる鬼季は、かつてー国の長を務めていた大妖怪である。妖カを大量に消費するため、便利ではあるが一般的にあまり使われることのない念を飛ばす連絡手段で、平然と声を掛けて来る超人だ。
 責任感が強いのか職人気質なのか、鬼李は己の置かれた立場でこなせる仕事を精一杯こなす男で、部長職の仕事をフルにやれる範囲の限界までやっていた。結果として、第一営業部の成績はまるで独立した会社としてやって行けそうな程システム化され、売上もこれ迄の会社全体のものに並ぶ勢いである。
 赤鬼や鶴の治めていた時代を、遊んでいたのかと疑ってしまいそうになる程、その結果は歴然としていた。鶴は鬼李のマネージャーとして充分な働きをしていたが、どうしても前の部長として比べられる事が多い。
 表には出さないが、内心苦しく感じている事だろうと弥助は慮っていた。

さて、鬼李からの念に応えるべく、鶴はスマートフォンを出すと鬼季の呼び掛けに応じた。
『どうした?』< これから妖務省の大臣と食事するんだけど来られる? >
『これから?!』< うん、突発的に空いた時間を知らせて貰ったからね >
妖務省といえば人の統べる倭国……『日本』の行政機関のひとつである。何か重要度の高い話をするのだろう。鶴と弥助は顔を見合わせ、直ぐに鬼季の指定した店に向かった。
場所は妖務省側に指定された築地にある料亭で、店はこの会食のために貸し切られていた。東銀座から歩ける距離だったが、鶴はタクシーを使った。
「さすが、集合が早いね鶴」
丁度店の前でスーツ姿の鬼李と合流した。
「お前が愚図り出さねぇか心配でな」
「うん、あと少しで泣くところだった」
顔を合わせた途端、鬼李と鶴は軽口を叩きあって再会を喜んだ。四六時中一緒に居るくせに、呆れた仲の良さである。
暗い照明の店内では、三人の人間が既に席に着いて待っていた。
上座で涼しげな一重をじっと闇に向けている男が霊感持ちで、後の二人はあまり見える性質ではないらしい。可哀想に霊感の無い二人はキョロキョロと不安そうに辺りを見回していた。
妖務省で出世をするのは、強い霊感の持ち主が殆どのため、大抵の職員は感度を高める訓練をするという。
この訓練の一つに、妖怪や守護霊など、目に見えない存在と何度も接触するというものがあり、今日は鬼李がその接触に協力をするという形で、この会食が設定されたそうだ。
「久し振りだね、政右衛門」
声を掛けるのと同時に、鬼李は妖力を使った。
薄い闇色の空間に、ボッと火が灯るように妖怪三体の姿が浮き出た。途端、霊感の無い二人から大量の肝が溢れ出て、血が広がるようにザァッと床を滑った。妖怪世界では、肝の価値は絶大である。この場に溢れた肝だけで、円にして数百万。ここまで大量の肝が流れる光景を、弥助ははじめて見た。
「わっ?! わぁぁぁ! うわぁぁぁ!」
人間の一人が喚いて立ち上がると、政右衛門と呼ばれた上司が顔を顰め、睨んだ。立ち上がった人間は良く見るとまだ二十代前半だろうか、あどけない丸い目が愛らしかった。睨まれた若い人間が生唾を飲んでまた着席すると、鬼李は面白そうに口角を上げて弥助と鶴の姿を見せる事をやめた。
「刺激が強すぎたかな?」
鬼李は若い人間に優しく声を掛けたが、若い人間は下を向いて震えているばかりである。
「いえ、お恥ずかしい、この通り軟弱で」
代わりに応えた政右衛門が、苛立ちを僅かに頬の震えに顕した。
霊感の無い二人からは、先程からザラザラと肝が出続けている。一握りぐらいなら猫ババをしてもバレないのではと弥助は思わず企んだ。
「妖怪に何か恐ろしい思い出でもあるのかな?」
「へっ……?! ぁ…っ?!」
鬼李が負けじと若い人間に声を掛けると、若い人間は虚を衝かれたような声を上げてまた椅子から腰を上げた。
「少し落ち着け」
政右衛門は一声、部下を注意すると、今は普通の人間には見えないはずの鶴や弥助の座る場所、それから鬼李に残念そうな笑みを向け、丁寧に頭を下げた。
「不躾で申し訳ございません、彼は幼少時、憑依犯罪に捲き込まれた事がありまして……、友人を亡くしているんです」
「……それはまた、お辛い経験をされたようで」
「はい、……幸い、彼は産土神に保護をされて事なきを得たのですが」
悪霊による犯罪は規制のラインが難しい。鬼李に支配された魂達のように、害を出さぬ例もある。一概に取り締まれない。
まず、人の恐怖感情から産出される『肝』は、妖怪世界の食物兼エネルギー源である。野生の悪霊が生産する肝は国の年間予算のうち二割を占めている現実もあり、手を出し辛い分野なのである。
「あの、」
若い人間がやっと口を開いた。
「わ、私はその、そもそもの……妖法に疑問を覚えています。ひ、人は妖怪の作物ではありません。どうして、妖怪が人の肝を獲る事を、法が許しているのでしょうか」
「よせ」
政右衛門の制止に、若い人間が黙る。少しの沈黙の後、鬼李がまた面白そうに含みのある笑みを浮かべた。
「君は私達妖怪の、滅びを望んでいるのかな?」
「えっ?!」
「君達が植物や君達より弱い動物を刻むように、私達妖怪も君達の思念エネルギーをほんの少し分けて貰う、それを禁じられては私達妖怪は滅びてしまうよ? 君は私達妖怪が生きている事に疑問を覚えているということ?」
「あ、わ、私はそんなつもりでは、……その、今の妖法はあまりにも、人間を馬鹿にしているので、それを」
鬼李が意図的に過激な言葉を使い、分かりやすい牽制をするのには訳がある。恐らく、あの話を出すのだろうと話の流れから弥助と鶴は察した。
近頃、人の世で流行っている追跡型ネット広告についてである。リターゲティングと呼ばれるこの広告は、ここ最近、妖怪世界で物議を醸している。
平たく言うと効率的な肝の収穫に役立つ画期的な技術として広告産業の枠を超え、注目されているのだ。しかし、この広告は個人を追跡する性質を持つため、憑依法に引っ掛かる恐れがある。
「なるほど、君はつまり、もっと人間の意思を尊重して欲しいと言いたいんだね」
「あ、まぁ、……ハイ」
にっこりと笑う鬼李と、罠に掛かった若者の怯え。
「じゃぁ、妖怪や幽霊、不思議な現象に興味を持っていて、積極的にこちらに関わろうとしている人間からなら肝を取っても良い?」
言いながら、鬼李はまるでホワイトボードにパワーポイント資料を映すように、全員の頭上にイメージ映像を結んだ。
心霊サイトやオカルトサイトを巡回する人間、テレビの心霊特集後にネット検索を掛ける人間、占いサイトに日参している人間の姿が浮かび上がる。
「これらの肝を量産する貴重な人種への接触を強化出来れば、妖怪世界は大きく変わる。地下に住む貧困層も肝を摂取出来るようになり、今、社会問題になっている絶滅種の増加を食い止められるようになるんだ」
「地下? 絶滅……種?」
人間の若者が首を傾げるのを、政右衛門が苦々しく見守った。妖務省の人間であれば、押さえておくべき知識なのだろう。しかし、鬼李は丁寧な説明を続けた。
「妖怪には、生まれつき寿命が長い大妖怪と、生まれてから三年程で消えてしまうような、可哀想な短命の妖怪がいて、後者の種族は今、どんどん種の絶滅によって姿を消しているんだよ」
頭上のイメージ映像が、地層のイラストをメインに図解したものに変わった。イラストの地表部分に、文字で大妖怪と説明された天狗のイラスト、地下一層には裕福な妖怪と説明された塗壁や河童のイラスト、二層、三層には普通の妖怪と紹介された小豆洗いや一つ目のイラスト、最後に四層、五層のあたりに弱い妖怪と紹介された豆腐小僧や垢嘗などが描かれている。
「イラストはイメージだけど、現在、垢嘗種なんかの無害な妖怪を中心に、消滅に向かってる種族が絶えなくてね」
イメージが突然、昭和らしい白黒の世界を映し、花見を楽しむ人間達に混ざって、踊っている手足のひょろ長い妖怪が映り。
「例えば、去年消滅したこの枝転がしって妖怪はね、こういう花見の席で、人が桜を持ち帰りたいと思ったら桜の小枝を折って落とす妖怪。びっくりした人間は、ラッキーと思うと同時に枝の折れ跡が不自然と気づいて不気味がる。その時に出す肝で生きていたんだけど、近頃は春に地表に上がるだけの体力も尽きて消滅した。桜の木には迷惑なんだけど、人間には結構、愛されていたのにね」
政右衛門が残念そうに頷き、若い人間も口を開けて眉根を寄せた。
「今の時代、霊感のある人間の数が減り、妖怪は生き延びにくくなった。無害な妖怪にとっては特に辛い状況だね。……弱いものから消えていくというのは、自然の摂理かもしれないけど、せっかく生まれた命だし、守りたい」
「はい……」
思わずといった様子で、若い人間が相槌を打った。
「それに、法に従って健全に暮らす妖怪の数が増えれば、人間に対する悪霊の犯罪も減らせるんだよ、人間の目には悪霊は見えないけど妖怪の目には見えるからね。妖怪側に、邪悪な霊を見掛けたらすぐに産土神に通報する姿勢を徹底して貰う」
「……、そんな事、妖怪が、してくれるんですか?」
「妖怪は人間の出す肝がないと生きていけないから、人間の事は大切に思ってるよ、肝を貰うために驚かすけど、命を奪うような時代錯誤、犯罪者ぐらいしかやらない」
「な、なるほど……」
「例えば、今の犯罪未遂事件の要因内訳から推察しても地上に住む妖怪の数が今の二倍になっただけで、悪霊による犯罪は18%も減少する」
三人の頭上に、悪霊犯罪の件数やその犯罪内容、未遂件数、未遂となった理由の割合グラフ等が並んだ。
「ほんとだ、……妖怪による通報、って、結構数多いんですね」
若い人間はすっかり、鬼李の言葉に頷いており、政右衛門もまた、真剣な顔をして鬼李の言い分に同調しているようだった。
「もし、何かできることがあれば……」
ここで初めて、それまで黙っていた中年の人間が口を開き、身を乗り出した。
「失礼ですが、政右衛門の代わりに、伺わせてください。どうしたら貴方の考えるような形に、今の状況を近づけられますか。
監視の役割をこなす妖怪が増えることで、犯罪を防げるというのは、とても有益なご意見です。我々は、年々増える悪霊の犯罪に、大いに頭を悩ませておりまして。
どうしたら、貴方に協力できるのでしょう?」
この瞬間、政右衛門と鬼李が心で手を取り合ったのがわかった。この食事会の狙いは政右衛門ではない。この中年男だ。
政右衛門は妖務省のトップだが、ワンマンではない。部下のうち、キーマンの理解を得なければ進められない事柄もあるのだろう。
恐らく、鬼李と政右衛門は既に本懐一致しており、政右衛門の側の内部調整を鬼李が手伝ったのだ。これは、よく牛鬼が行っているプレゼン代行。
あぁ、そういうことか。
弥助は口の中で呟いた。
薄暗い店内を、行灯がぼんやりと明るくしている。皆、夕日のような色の灯りに包まれており、どこか運命共同体のような心の近さを感じる中、鬼李は沢山の約束を取り付けた。
まず、リターゲティングに憑依違反法は適用されない事。
妖怪に悪霊の通報を積極的に行わせるための喚起プロモーションイベントの開催。
地上の妖怪数を増やすための、誘致運動の開催。
鬼李と鶴で通報喚起のプロモーションイベントを、弥助が誘致運動を担当し、スケジュールをつくった。その案件規模は一億と八千万。< 弥助はこの仕事こなしたら、もう過去の事はチャラだよ、頑張ってね >
そろそろお別れのタイミングで、鬼李から急に念が来た。鶴にも送っているのかと思ったら、弥助にだけのようである。< 牛鬼に何を言われたのか知らないけど、俺は君を頼りにしているから >
「っ……」
飾り気の無い言葉だったが、鬼李に言われると妙に高揚する。過去、二度も最高指導者の立場に居ただけあり、声を掛ける絶妙のタイミングを知っている。< さぁ、最後にまた一瞬だけ君達の姿も見せるよ、笑顔つくって >
これは、鶴にも送られた念のようだ。
また、炎の点るような要領で、鬼李の他に弥助と鶴も闇から現れた。最初に顔を合わせた時は探るような目をしていた恐ろしい二体の妖怪が、今度はにっこりと笑った顔で現れる。その心理効果は絶大だろう。霊感の無い人間二人は、今度は肝を出さずにお辞儀をした。
結局、鶴とのデートを叶えられぬまま、その日は解散したのだが、弥助はすっとした気持ちで家路に着いた。

翌日の川越、時の鐘地下に聳えるビルの最上階。
 地上に近い地下一階から五階までを贅沢に使っている怪PR社の地下二階、営業フロアは今日も陽光が薄く入っており心地好い。
「おう」
「ん、珍しいな、弥助さんが俺をランチに誘うなんて」
牛鬼を訪ねると、いつも何かふざけないと気のすまない男は戯れ言をほざいた。朝の十時に何がランチか。
「面ァ貸せ」
同行の相手などを、営業同士が待つためのスペースとして、エレベーターの横、窓際に設けられた小さな休憩スペースのソファに並んで座る。牛鬼は何故かニヤニヤして、弥助の顔を眺めていたが、弥助の顔が真剣であるため、笑みを消した。
「こないだ、お前に言われた事をな」
「こないだ? 何か言いましたっけ俺?」
「焼畑農業」
「あぁ」
「あれは、相手との問題共有、土台の把握が出来てないっていう指摘だったんだよな」
「……」
「俺の営業は、需要に甘えてた」
「鬼李さんの営業を見たんだってね」
「あぁ」
「あの人は、需要を作るとかいう以前に、……先方の課題を見抜いて解決しに行くからな、……敵わねーよ」
牛鬼は言いながら、するりと両手を組むと、微笑んだ。
「実はさ、俺も昔、あの人に焼畑って言われたんだよな」
「?!」
「あの言葉キツいよねー!」
どうやら、弥助は牛鬼にはっぱを掛けられたらしい。
「おっまえ!」
腹が立ったあまり、牛鬼のかっちり整えられた髪をぐしゃぐしゃにしてやると牛鬼は笑いながら嫌がった。
「牛鬼さん、時間です」
タイミング良くやって来た牛鬼の補佐に助けられ、去って行く牛鬼の背中を眺め、はてと首を傾げる。一体、牛鬼は何故ニヤニヤしていたのか。
その謎は丁度五分後。鬼李に呼ばれた部長室で、弥助の営業スタイルが、牛鬼と良く似ているという指摘を受け、わかった。
自分に似たタイプの弥助が、課題を解決出来たことを、牛鬼は単純に喜んでいたらしい。
それは、やたらむず痒い感情で、沸々と胸を熱くした。昨日割り振られた大型案件を、絶対に成功させようと思う。


2016/7/21