からめ

『おやしらず こしらず』(執着攻め×子持ち強気受け、第三者目線)

 洋次郎が教育を任された虎松の二親は、川越の賑やかな観光地のただ中、地下一層の高級マンションに居を構え、広いキッチンを持っていた。
 二親とも仕事が忙しく、一ヵ月に一度しかこの空間を使わない。
 よって、家事手伝いのアルバイトも兼任している『育師』の洋次郎がもっぱらそこに陣取っており、この家の中で、キッチンのどこに何があるのかを一番知っているのは洋次郎であった。
 明日、虎松とその二親に持たせる弁当の仕込みが終わったばかり。本日一家は外食のため夕飯の準備が必要無い。昨日は虎松の試験勉強に付き合い遅くなった事だし早めに引き上げよう。
 『育師』は、生まれつき妖力の強い、大妖怪になる事を約束された子ども……才児の家を訪ね、子どもにその生き方を指導・教育する。洋次郎は万年貧乏のために虎松の二親から金を貰い家事手伝いのアルバイトもやっていた。
「今日、機嫌いいね」
 ふと、声変わりした虎松の悪意ある一言が真後ろから聞こえ、洋次郎は固まった。
 振り返るとすぐ傍に無機質な虎松の顔があって、慌てて正面に向き直る。
「早く帰れそうだから、機嫌いいの……?」
 猿、虎、蛇の要素を持つ鵺種の虎松は、塩気のあるさっぱりした顔つきに獰猛な目をした、不気味な見た目の男だった。得体のしれない雰囲気を漂わせ、じっとりと見つめて来る。
 洋次郎はこの才児と目が合うといつも怯えてしまう。首や腕、脚が規格外に長い癖、胴にはみっしりと筋肉がつまっている。
「当たり前だろ、仕事終わりは誰だって早い方が良い、……そんな風に責めるような言い方される筋合いはねぇな」
 強気な声を出したが、緊張が顔に出ていたらしい。頭を撫でられて、額にキスをされる。虎松は十八、洋次郎より二百近く年下だが、洋次郎より二十センチ背が高く、洋次郎を師として尊敬しない問題児だった。
「洋次郎……」
「何だよ?」
「早口は怖がってる時、俺は洋次郎に危害を加えたいわけじゃない」
「年上の男の頭を撫でるな」
 気安く、洋次郎を恋人のように触る虎松を厳しい声で叱ってから、洋次郎は逃げるように玄関に向かった。
「見送るよ」
「イラネェ」
 鬼種と鶴種の間に生まれた洋次郎は、妖力はそれなりだが、種族としてはか弱い鶴種だ。本当は鬼種に生まれたかったが、生まれる親を選べないのと同様に、二親どちらの種になるかも選べない。
「洋次郎……」
「何だよ?」
「……どうして最近、俺と目、合わせないの」
「あ?」
 断ったのを聞かず、見送りについて来た虎松が不貞腐れた声で質問して来た。女物の靴が四足、出しっぱなしの玄関に立つと左側にある収納箱の上、設置されたタブレット端末にタッチしてタイムカードを押す。午後六時半。突っかけた靴のつま先を床にこんこんしてから、振り返る。
「西洋人でもねぇのに、いちいち目なんか見ねぇ、……じゃぁな」
「待って」
 玄関の戸を、虎松に後ろから片手でぐっと抑えられ、扉を開けない状況。
虎松は洋次郎の体を玄関と自身の体で挟み、人世で流行っている所謂「壁ドン」を仕掛けて来た。
「……おい、扉を塞ぐな」
「もうちょっと居なよ、虎ちゃんも海ちゃんもまだでしょ、二人が来るまで居てよ、……寂しいから」
 まずいまずいまずい。
 家庭を訪ねて才児の育成を手伝うという『育師』の仕事は、家庭を訪ねるというシチュエーションが人世で家庭教師と呼ばれる仕組みに似ている。洋次郎が贔屓にしているAV女優が演じていた家庭教師ものの、エロ展開を思い出した。家庭教師ものは大抵教師から迫るのだが、その作品は生徒が教師を襲うという流れだった。
「帰る」
「……」
 情けない事に、恐怖で声が裏返った。
 さっさと帰ってテレビを見て寝たい。
「洋次郎、……なんで俺にそっけないの」
 首の後ろに息があたる。耳の裏をすんと嗅がれ腰に電気を流されたような衝撃が走った。脚から力が抜け、膝が折れる。
「おまえが、こういうことしてくるからだろ」
「洋次郎が喜ぶかと思って」
「喜ぶかバカ、……離れろ」
「やだ」
 背を丸めて、身動きの出来ない洋次郎の肩を、虎松が噛んだ。
「虎松、やめろ」
「やめない」
 洋次郎はどちらかといえば快楽に弱く遊び好きだが、虎松とそういう関係になるのは避けたい。
「虎松……」
「……」
 前から嫌な予感はしていたのだ。洋次郎は鶴種として、己の顔面が整っている事を知っていたし、それを利用して男とも女とも良く遊んだ。
 しかし、一方で力に物を言わせて、洋次郎を手篭めにしようとする連中とも出くわしていて、彼らの執念深さと恐ろしさを良く知っていた。
 教え子にその気配を感じたのはいつからか。何をどう間違って、こんな事に。やけに懐かれていると思っていたが、それは虎松の二親がどちらも女妖で、男親に飢えているからなのだと判断していた。
「虎松」
「何?」
 兎も角、この才児とそういう関係になる気は欠片もない。生理的に無理なのだ。虎松の親は、洋次郎が母親と認識している女妖、蛇神 海(へびがみ うみ)なのである。
「無理だ、離れろ、……おまえは俺にとって弟みたいで……、俺は弟とヤる趣味はねぇ」
「海ちゃんは俺の母親だけど、洋次郎の母親じゃないよ」
「俺は、海の事を実の親より親だと思ってる」
 洋次郎は内心慌てながら、冷静な声で説得を試みた……。
 しかし、チュッと首筋にキスをされ額から汗が滲んだ。
「虎松……、やめろ」
 もう返事が来ない。腰を後ろからホールドされ、かたいものを尻たぶに押し付けられた。
 ダメだ、ヤられる……。
 その時だった。
 玄関をすり抜けてとんでもない客が姿を現した。
 サーッと足元をエネルギーを持った風が吹き抜けるような、空気の震えと共にやって来たのは陰魔羅鬼(おんもらき)種の小野森 鬼李(おのもり きり)。洋次郎の命を狙う大妖怪だった。
 鬼李は『怪PR社』という妖怪会社で常務取締役を任されている。
趣向を凝らしたスーツ姿が眩しく、その整った井出達が何とも怪しげな色気を放っている。
 下がり目と大陸めいた彫りの深い顔立ちが迫力と華を持つこの大妖怪は、その身に莫大な妖力を備え、中堅妖怪を(下手をすると千歳の大妖怪クラスも)易々と消滅させてしまう恐ろしい存在である。
 その内側から滲む強大な力と、数千の時を生きて来た者の風格に気圧されて停止していた洋次郎と虎松を横目で見て、鬼李は目を細めた。
「面白い、赤子が赤子に迫っている」
 独り言に近い声色で呟いてから、ゆっくりとこちらを向き、ふっと息を吐く。
 途端にずるりと虎松が意識を失って伸し掛かって来た。同年代で群を抜き妖力が高く、国立の守護市民養成学校では上位十名の一人として試験をパスをした虎松が瞬殺された。いや、殺してはいないようだが。息を吐くだけで意識を奪うなんて、どんな技を使ったのか。
 茫然としている洋次郎に、鬼李がゆっくりとまた口を開こうとして、あの技で今度は洋次郎を仕留めるつもりなのだと気が付く。
 咄嗟に虎松を担いだまま、『足を使わず』に逃げた。意識を空高く俯瞰で見た世界に合わせ、ボールを投げるように己の身を妖力で遠くに放るイメージ。それは瞬間移動とも呼ばれる妖の技で、妖力を大量に消費する。
 まず海の職場に現れ、帰り支度をしていた海に気を失った虎松を預け、自分は実の親である鶴 永吉(つる えいきち)の元に走った。
 永吉を愛する鬼李は、永吉の目の前で洋次郎を殺せない。
 そもそも鬼李に命を狙われる事になった原因はこの永吉にあり、洋次郎が出世のため、鬼李の執着している永吉を酷い目に合わせたのがまずかった。
 洋次郎を産んだ時の永吉は、別の妖怪と番の関係を結んでいたため、鬼李のような恐ろしい男の存在を洋次郎は知らずに居たのだ。

「洋次郎?」
 永吉は『怪PR社』の営業部にある会議室で、数人の社員達と何事かを話し合っている所だった。
「仕事中にごめん、匿って」
「ハ?!」
「い、命が危ない……!」
 鶴は現在、第一営業部のマネージャーとして、常務取締役を兼任する部長の鬼李を補佐する重要なポジションに居た。
 そこに、百をとうに過ぎて親子の縁が切れた息子が突然来訪するのはとても非常識だ。しかし、己の命が惜しかった。
 幸い情の深い永吉は、嫌な顔一つせず会議の進行を部下に任せ、すぐに会議室の外で洋次郎に取り合ってくれた。
 永吉は、もう百を過ぎた洋次郎に今だに我が子のような愛を注ぐ。永吉ならきっと洋次郎を助けてくれるだろう。これで生き延びられる。
 
 洋次郎は一通り、鬼李から受けた恐怖と被害を言いつけた。
 しかし永吉は洋次郎の訴えを、一旦鬼李に確認するという悠長な対応で洋次郎を落ち着かせようとした。
 ……鬼李という大妖怪は、永吉にとっては優しく偉大な男かもしれないが、洋次郎にとっては恐ろしい処刑人だ。
 それを、永吉は理解していない。
 仕方なく、洋次郎は永吉の傍に居るという方法で身を守る事に決めた。
 丁度、永吉がGW明けの代休に入るタイミングだったので、寝食を共にしたい旨を伝え、受け入れ体制を整えて貰う。
 『怪PR社』はGW中こそ忙しく、それぞれGWと時期をずらして休みを取るような会社だったため、幸い鬼李は日中、会社だ。

「これ、随分前に買った奴だけど……、うちで一番寝心地良いんだ」
 永吉と同じ部屋で眠りたいという我儘に、永吉は照れた顔をして応じ、客間からわざわざ洋次郎の布団を持ち出して来てくれた。
 部屋数の多い立派な日本家屋の、中庭に面した襖仕切りの二部屋。銀座五丁目の地下一層、妖の世界における高級住宅地で、鬼李と鶴は暮らしていた。手伝いの者を週末ごとに呼んで、何とかこの家を維持しているらしい。
 屋敷の風格ある外観に反し、永吉の部屋は生活感に溢れていた。
 観察図鑑や、数独本、クロスワードパズル、競馬・競艇・競輪・バイク雑誌、家庭の医学、痛風は治る! などの題名がついた書籍類が違い棚を賑やかしている。床の間にも、バイクのヘルメット、バッカンと竿用ケース、登山リュックなどが並べられており微笑ましい。久しぶりに感じる、足の裏を舐める畳の感触に、洋次郎は深く息を吸った。
ほんのりと、永吉が恐らく過去、影間時代に使っていた香の薫りがして胸が詰まる。
 江戸の終わり、永吉に陰間業をやらせたのは洋次郎だ。

「ちょっと寝てみろ」
 敷いたばかりの柔らかに膨らんだ布団の上、しゃがんだ永吉が上目使いに声を掛けて来た。永吉と布団のツーショットはどこか淫靡で、洋次郎は思わず目を逸らしてから、眉根を寄せた。どうしても、そういう目で見てしまう、見られてしまう永吉が悲しかった。
「今?」
「今、寝心地悪かったら他のもあるし」
 過保護かよ。
「俺、どこでも寝られっから」
 横になったら動きたくなくなるし、とぼやいて違い棚から競艇雑誌を取ると、部屋の隅に寄せてあるちゃぶ台についた。
 そーか? と呟くと、永吉は茶菓子を取りに部屋を出た。
 己の身を守るために永吉と離れたくない洋次郎としては、余計に細々動いて欲しくないのだが、永吉はそんな息子にはお構いなしで、タシタシと細く小さな脚音を廊下に響かせ台所に向かった。慌てて後を追い、台所で追いつくと、永吉は振り返って不思議そうな顔をした。そしてふと笑った。嬉しそうな目を、しないで欲しい……。
「お、どうした? ゆっくりしてろよ、お客人」
「永吉の近くに居ないと、俺、李帝に殺される恐れがあるから」
「だから、そんな事になんねぇよう言っとくって言ってんだろ」
 台所は、もはやキッチンと呼ぶべき近代化された空間で、グレーに統一された壁と柱、作業テーブルを天井の奥からほんのり卵色の光が照らしていた。
 虎松の二親が持つキッチンも立派だがこの家のキッチンはそれを通り越して物々しい。
 装飾のように機能美に優れた、恐らく性能も良いのであろう新品の家電に溢れている空間に、洋次郎は圧倒された。ここで料理すんのは、ちょっと緊張だろうな。羨ましさよりも異世界感。溜息が出た。
 まるでモデルルームの最新式高級家具が並べられている景色に、永吉が悪戯小僧のように存在している。
 ふっ、と思わず小さく噴いて、おい笑うなと窘められる。
「このキッチン、ちょっと立派すぎねぇ?」
「山神を喜ばそうとして、業者と相談したらこうなった」
 この家にしょっちゅう料理を作りに来る山神という男は、江戸時代、永吉が岡引をやっていた頃の永吉の子分である。
 現在も永吉の右腕として有能な働きを見せている山神は、永吉の家がある地下一層の真下、二層で独り暮らしだ。時折、永吉と鬼李の生活を気に掛け料理を作りに来ているという。
「喜んでたか?」
「おう!感動して泣いてやんの、可愛いとこあるだろ?」
「毎日作りに来そうな勢いだな」
「それはお断りした、飯作ってくれるより右腕しててくれる方がありがてぇって説き伏せたら今度はむくれる始末だ」
「ふ、扱い辛ぇ」
「全くな」
 ころころと笑いながら、茶菓子を揃える永吉の、小さな背中が愛らしい。昔は親として認識していたが、今は交わる相手として好ましい綺麗な一つの個体である。しかし、永吉はそんな洋次郎の邪な想いを、欠片も意識していないだろう。永吉は歪んでいる。
 可哀想に、まだ子離れ出来てねぇんだろうなと洋次郎は責任を感じた。
 普通は百を越えると、妖怪の親子関係は消滅する。親が次の子を作るためとされている妖怪の遺伝子に組み込まれた仕組みだ。百を過ぎて親を慕う子、子が百を過ぎているのに子を慕う親は不健全で、異常な個体なのだ。
「李帝は、いつ帰る?」
「そろそろじゃねぇか」
「李帝と土子作んねぇの?」
「……バカ言え」
「俺みたいのができんのを、心配して作んねぇの?」
 軽い気持ちで聞いてみたら、永吉は振り返って怖い顔をした。
 妖怪の繁殖には数パターンあるが、一般的には二通り、同じ種族の男女で交わり女が腹に子を宿す腹子による繁殖。これは妖力が弱く寿命の短い魑魅魍魎に多い手法で、大妖怪と呼ばれる部類の層は腹からの出産というグロテスクなやり方を好まぬため、あまり用いない。
 次に、別種の男女と男同士、女同士の間で用いられる土子による繁殖。近年では同種の男女でも用いられるようになった土から子を作る手法である。洋次郎や虎松はこれで生まれた。よって、洋次郎の二親は二人とも男で、虎松の二親は二人とも女である。
 そして五百歳を超える大妖怪同士の間には、稀に二親の力をはるかに上回る生まれながらの大妖怪が誕生する事があり、こうした妖怪が若さ故の癇癪などで二親を殺し、暴走する事を防ぐため、神々は『育師』の制度を作った。『育師』は強力な子の生まれた二親の元に派遣され、二親を助ける。
 二親の力と子の力が拮抗している場合、通う形を取るが、子の力が二親をしのぐ時、『育師』は二親から子を取り上げる。
 洋次郎は永吉とその番相手よりはるかに力を持って生まれ、『育師』である海の手に、赤子の段階で委ねられた。
 気を遣って接してやらないと消し潰してしまう恐れのある二親と接している時より、海と接している時の方が安心出来た事。洋次郎にとっては海こそが親であり尊敬出来る相手だったが、九つの時、洋次郎は実の親である永吉により海の元から連れ去られた。
 己の力を高められる大切な時期に『育師』から離された不利益を、永吉にぶつけるのは間違っていると今ならわかるが、当時は恨みや苛立ちが先立った。癇癪を起こして二親を殺してしまわなかった自分を褒めてやりたい。それぐらい、不愉快な事件だった。
 理解の無い親に、可能性を狭められた。か弱い鶴種に生まれてしまった事も、何となく産みの親が悪いような気がした。だから洋次郎は二親を己のために利用することに、まったく抵抗がなかった。勝手な親には勝手に振る舞ってもいいものだと思った。
 しかし、それで残った負の思い出にまだ悩まされている現実。胸の痛みに、未だ振り回されている。後味の悪さと、二親に対する小さな愛の自覚と。
 永吉と顔を合わせると、己の醜さや間違いを指摘されるようで辛い。

 永吉には、陰間の道以外にも沢山の生き残る術があったはずなのだが、拐された事を恨んでいるという息子に対する罪滅ぼしなのか、永吉は陰間になる道を選んだ。
 身体に丸みを、仕草に色気を、発言と表情に魔性を、胎内、さわり心地、滲む薫り、対面した際の風情に中毒性を持たせて多くの客を狂わせると永吉は出世した。永吉の値段はたったの半年で八倍に、一年で十六倍、二年で三十二倍になった。傍からは天賦の才で華を開かせたように見える永吉の陰間業だが、粗野で柄の悪い、凄味のある顔つきが板についていた岡っ引きが、そんな肉体改造に成功するには、大変な苦労があったろう。
 永吉の「鶴」という陰間の名は遠く、西洋にも渡っていて、芸術家を中心に熱狂を生んでいた。その活躍ぶりだけを見ると、永吉は籠の鳥とはいえ、天に与えられた美貌で富と名声を手に入れた幸運な男のようにも見えた。しかし実際は辛抱だけの日々を過ごし、最終的に精神を病んだ。
 永吉は陰間業で、他人を楽しませる事は出来たが、自分を楽しませる事は出来なかった。元来、行為だけで楽しめる性質ではないのかもしれない。考えたくないが、永吉は陰間の所業を苦難として耐え、忍んでいた。
 それは陰間になってからの永吉が洋次郎と話をする時、いつもそわそわして、どこか期待するような……、縋るような目をしていた事からわかった。
 あれは、もう許すという言葉を待っていた。もう陰間などやらなくて良い、恨みは消えたと、いつ言って貰えるのか、じっと待っていた。洋次郎はそんな永吉の心に気づいていて気づかぬふりをしたのだ。それは恨みや、罪を償わせたいという純粋な気持ちからではなく、もっと汚く残酷な、己の都合のため。
 あの頃、洋次郎には永吉の稼ぎが必要だった。
「洋次郎……」
「何だよ」
 ピピピピ、ピピピピとキッチンの壁でタイマーが規則的なアラーム音を鳴らした。怖い顔の永吉は、唇を震わせ、何か言葉を探している。
「俺は、おまえを産んだ事を、欠片も後悔していない」
「ぉぅ……」
 自分でそう言葉にしてからやっと、ほっとした顔になった永吉に、洋次郎は寂しさを覚えた。
 何となく、永吉が洋次郎という個体との距離を、測りはじめたような気がしたのだ。いよいよ親子としての別れが近づいて来た事。永吉が、前に進もうとしている。
「妹が欲しいな」
「……ふ、バカヤロ、鬼李も俺も年だ」
 笑ってはぐらかしながら、満更でもない親の背を、子として、どのように押してやればいいのか。
 永吉は千歳、鬼李も二千歳を超えている。
 五百の大台を超えた大妖怪同士では、子が出来難い事は世の理だが、二人ならという予感もする。
「最近は千歳同士でも、土子作れるって聞くけど、……去年、ニュースでさ、鬼種と妖狐種の……、千歳超えしてる男女が……」
「あぁ、育師が二人付いた奴、九州の」
「順調に育ってるって、こないだ小っちゃい新聞記事で、……」
「一人でふらふら『足を使わない』移動しちまうから、しょっちゅう海外で保護されてるんだろ」
「赤子のうちから『足を使わない』とか、妖力どうなってんだよって」
「ハハ」
 永吉と久し振りに交わす言葉の、なんて軽く心地よいことだろう。気がついたら夜の九時になっていた。
「どうしてここにいるの?」
 帰宅した鬼李は、仕留めそこなった洋次郎と対面し驚いた顔をした。直後、ふっと噴出し洋次郎を指さして続けた。
「もしかして、防衛策?」
 笑ってしまうような、お粗末な浅知恵だと言いたげに笑みを深める。
 しかし、鬼李のような大妖怪と戦い、無事で居られる妖怪が一体どれほどの数いるのか。その中で、洋次郎を庇ってくれる妖怪はどれほどか。
「永吉の見てる前じゃ、さすがに俺に手ぇ出せねぇだろ?」
「君、何か誤解してない?」
「誤解?! 何を?!」
「俺の顔を見て、わからない?」
 鬼李は柔らかに微笑んでいる。
 大妖怪の優美な、伺う視線に洋次郎は不安を煽られた。
 今から帰るという知らせを寄越した鬼李を、永吉は玄関の外まで迎えに出て、それに洋次郎もくっついて今、ここに立っている。地下一層の、地上と変わらぬ夜の景色。墨色の空があって月と星があって。外灯の下、真っ暗な道に卵色の光、スポットライトを当てられているように、姿を照らされた鬼李は、どこかステージ役者のような堂々とした存在感で洋次郎を圧倒した。
 閑静な高級住宅地の夜、舞台のはじまる前に似た、得体の知れない緊張が、ふわふわ漂っていた。
「鬼李、……洋次郎がおまえに怯えてんだが、何したんだ?」
「何も……、あぁ、男に襲われているのを助けたかな? ……気絶させた彼、大丈夫だった? もしかして恋人同士だったらごめんね?」
 恋人同士なんかじゃねぇし、だったとしてもあんたには隠す。
 洋次郎は警戒をくっきりと顔に浮かべ、鬼李を睨んだ。
「あんたは、……何、を……っ、考えてる?」
「それはこっちの台詞だね、……驚いたよ、君が鶴を……永吉を頼るなんて」
 永吉も洋次郎も同じ鶴種であるため、鬼李は永吉を呼ぶ名を改めた。呼ばれ慣れていない名で呼ばれた永吉が少しはにかんで口元に手を添えたのを、洋次郎は見逃さなかった。
「永吉しか頼れなかったんだよ、あんたから身を守るためには……」
「残念だが、君をどうこうするつもりはない」
「信用出来るか、あんたは本気出せば、守護市民だって葬れる力を持ってる」
「持っていても使わない、分別があるからね」
 数秒睨み合って、洋次郎が負けた。
 鬼李の静かな、服と皮膚を破るような、全て見透かす瞳に耐えられなくなって、永吉の後ろに隠れるはめになった。
 すると、くすっと笑って小動物を愛しむような目をすると鬼李は屋敷の奥、自室に消えた。
 鬼李が去った後、ハァと息を吐いてしゃがみ込んだ洋次郎の頭を、永吉が撫でる。永吉はそれから、洋次郎、一個良いか? と切り出し、恋人って危ねぇ奴じゃねぇよな? と親らしい疑問をぶつけてきた。

 翌朝、目を覚ますと鬼李の顔が目の前にあった。
 木目の美しい日本家屋の天井を背に、優美な顔が洋次郎を覗き込んでいた。立ったままこちらを見下ろしている元皇帝の涼やかな目元には呆れ……。まるで虫の死骸に出会ってしまったような、冷淡な観察の目が降り注いで来ていた。
「おぐっぁ?!」
 鬼李の顔に悲鳴を挙げて、『足を使わずに』移動する。しかし寝ぼけて座標を間違えたため、中庭に掘られている池の中に降りて、金魚が驚いて腰元で跳ねた。
 池は腰が埋まる深さで、良く透き通っている。
「庭を荒らさないで」
「好きでこんなとこ落ちたんじゃねぇ!」
 鬼李の批難に、怒鳴り声を返すと山神が渡路に顔を出した。
「鬼李、洋次郎、遊んでいないで配膳を手伝ってください」
 鬼李と永吉はどちらも炊事が出来ないため、毎食、山神を呼んでおり、その代わりに二人で二層にある山神の家の家賃を払うという関係を結んでいた。
 二人の家と山神の家は、真上と真下の関係にあり、個人用のアースポールを通して行き来自由にまでしているという。親分子分の関係も、ここまで来ると家族の域だ。
 時間は六時二十分。
 鬼李と永吉は毎朝、六時半に朝食の席に着くという。
 山神がわざわざ作りに来ている朝食を口にしないのは失礼だと永吉が怒り、鬼李に洋次郎を起こして来るよう言い付けたらしい。
 一方で、永吉は毎朝、鬼李と自分と、山神のものと合わせて三人分の洗濯をし、鬼李は屋内の壊れ物を修繕する担当だという。そして、休みの日に掃除の業者を呼んで家屋の手入れをする。そんなサイクルで回っている家の暮らしに、洋次郎は今、紛れ込んだ。
 爺どもの活動開始時間、早すぎだろ。
 何とか顔を洗い、永吉の数少ない洋服を物色して何とか着られそうなものを身につける。
「起きろ」
 しかし欠伸が出て、ペシンと永吉に腿を叩かれた。お茶の間は和洋折衷。テーブルが置かれており、畳の部屋の中心だけフローリングが敷かれていた。
「なんかゴテゴテしい椅子だな」
「李国が揃えてくれたものだよ」
 一つの国から贈られたもの、という事は相当値の張る椅子だろう。洋次郎はうへぇと苦い顔をして、おっかなびっくり腰掛けた。
 それから、ねみぃ、と呟きながら山神の焼いた鮭に箸をつけた。口に放ると二秒後、じわっとした甘みが口に広がる薄塩味の鮭に感動。
「あ、美味っ……」 
 呟くと、山神が目を細め、たんと御上がりなさいと呟いて口端を上げた。
「まぁ、おまえにしてみると、おふくろの味か」
 永吉がしみじみ漏らすと、山神がついに声を上げて笑う。
「いやですよ親分、私はこんな物騒なお子様、産んだ覚えありません」
 洋次郎が永吉の元で暮らしていた時も、山神は永吉一家の食を世話していた。山神は時々、鬼李を兄、洋次郎を弟に見立て、二人を自分と永吉の間の子のように扱う事があり、永吉もまた、そんな風な関係性をやんわりと認める。
「相手が山神だったら、俺もこの子をこんなに敵視しなかったんだけどね」
 鬼李の呟きに、洋次郎が緊張すると山神がまた笑った。
「ですって親分、私達の子どもなら、鬼李は慈しんでくれるそうですよ」
「何ふざけた事言ってんだ」
「俺はもう、土子を作れるような身体じゃないからね」
「あ? そんなら……俺だって千超えだろうがよ、どっこいだろ?」
「千なんて、……」
 言い掛けて、鬼李は洋次郎を見た。
「洋次郎、君の子なら可愛がってあげても良いよ」
「あ?」
「君は永吉を酷い目に合わせたから、好きになる事は正直難しいけれど、君の子なら永吉の成分を持つ子どもになるだろ、愛しい永吉の孫なら、……とっても可愛がれると思う」
「……っ、んな予定、ねぇから」
「おいおい、隠すなよ、聞かせろよ」
 永吉は興味津津の顔だ。
 鬼李も丁寧に鮭の骨を取りながら、山神は米を噛みつつ、黙って洋次郎の答えを待っている。
「ん、まぁぼちぼち、最近狙ってんのは地登利 雲(ちとり くも)、あんたら、知ってるかな、海の弟で長蔵んとこで仕込みやってた奴、……優しくて顔がイイ。まぁ、本命はずっと長蔵で変わりないんだけど、あの人は生き様がイイなって思ってて……、悪い神様みたいなさ、害ある存在の自覚を持って生き続けるってどんな気持ちだろうな、見た目も凄くセクシーだし、殺されてぇーって思う」
「……おい待て」
 愛する者の命を吸う、亀種の長蔵に対する永吉の警戒は素早かった。
「ん?」
「長蔵って、あの長蔵だよな?」
 ああ、あの長蔵だ。死神だ。
「永吉も仲良いよな、俺は海伝いに仲良くなったんだけど、こないだも二人で森林浴行ってさ、すげぇ良かった、あの人、休暇の過ごし方色々知ってっから」
 健全な関係であるように繕ったが、永吉の目は厳しいまま。
「いつからだ?」
 長蔵からは、決してバレないだろう関係。
「えー? そんなん覚えてねぇよ、うちに良く遊びに来てたじゃん」
「答えろ」
 いつから交流がはじまったのかではない。
 いつからセックスをするようになったのか……。それは戦後、永吉が国外で見世物をやっていた頃。長蔵の私生活が、爛れに爛れていた頃。何もかも底辺の水準で、誰も道徳を口にしなかった頃。
「俺が強請った時だけ優しくしてくれる。それだけの関係、長蔵は悪くない」
「もう会うな」
「……なんでだよ」
「危険だからだ」
「親友の癖に、信じてやんねぇんだな」
「うるせぇ」
「親分、だから私は再三、口を酸っぱくして言ってたんです、あの人は録な人じゃないと」
「うるせぇよ」
 苛立った永吉が、むっつりと黙り込んでしまったのを堺に、食卓の会話は消えた。

 それから、永吉が長蔵を訪ねたのはその日の午後。
 永吉の傍を離れられない洋次郎を強制的に連れ、長蔵のランチ休憩に乗り込んだ。川越の地下一層、妖怪タウンには、地上から氷柱のように垂れている妖怪ビルと、一層に聳える妖怪ビルの二種類。そのうち、氷柱型のビルの一つ、地上川越の観光地「時の鐘」の真下から氷柱のように地下に垂れている「時の鐘ビル」に『怪PR社』は入っていた。
 長蔵の務める『土星事務所』も同じビルにあり、必然的にビルの傍にある飲食店で落ち合う事になった。定食屋の庶民的な内装に、洋次郎は安心して溶け込んだが、永吉は少し浮いていた。
 そこではじめて、洋次郎の親だった頃の永吉と、今の永吉は雰囲気が違うという事に気がついた。
 鬼李は生まれながらの王侯貴族で、恐らく自然に、手にするものや行く先に、上品さを求める。鬼李の傍にいる永吉にも、それが染み込んだのだ。
 汚く小さな店の中、土のついた石ころがひしめく空間で、永吉は紛れ込んだ宝石のようだった。
「こういう店、久しぶりに入ったな」
 呟いた永吉に、だろうな、と応じると不思議な顔をされた。昔、洋次郎の親だった永吉は、こういった雰囲気の店にしか入らなかった。
 焼肉定食を二つ頼んでから、改めて店内を見回すと、昭和の香りが漂っていた。
「あ」
 いつ見かけてもときめく、長身の伊達男が店の入口に立ったのを見つけて声を上げる。アーモンド型の目を涼しく細めて、軽く腕組をしながら亀 長蔵(かめ ちょうぞう)がやって来た。長蔵は洋次郎の育師である海を愛で吸い殺したことのある恐ろしい男だったが、それでも惹かれる。
 長蔵は、永吉の横に気まずそうに座っている洋次郎を見ると、全てを悟ったらしく、ゆるく笑った。
「裏切ってて、すまんかったな」
「てめー……」
 座りながら早々と詫びた長蔵に、永吉は苛立ち、洋次郎は肩身が狭くなった。永吉との友情があるから、長蔵ははじめ洋次郎を拒絶した。洋次郎との関係が永吉に知られたら、長蔵と永吉の友情にはヒビが入る。
 長蔵が永吉を特別な友として心の支えにしていた事を知っていながら、どうしても長蔵が欲しかったあの頃。長蔵が永吉を失う不幸をわかっていながら、長蔵に甘えた。
 長蔵に好かれたい殺されたいと思った過去と、まだその気持ちが消えきらない今。実の親を不幸にした自分を受け入れられず、かといって生き延びた命を捨てるような馬鹿をしたら、不幸な親をさらに不幸にすると思えて。それなら、すべて愛のせいにしたかった。
 それは長蔵にしてみれば迷惑な希望で、そういう考えが透けていたから、長蔵はついに洋次郎を愛する事はなかったのだが、長蔵は洋次郎のそうした甘えを、大切な友人を失う覚悟で受け入れてくれたのだ。
 だから今、長蔵は素直に何の言い訳もせず、永吉との友情を洋次郎のために捨てるつもりでいる事を永吉に詫びた。
「さすがに絶交だ」
「覚悟の上だ」
 涼しい顔で、永吉の怒りを受け流す長蔵に、永吉がぎゅっと拳を握った。
「おまえは俺と仲良く会話しながら、ずっと、これまで、俺の顔を見るたび、おまえの息子は俺の手付きだ、お気の毒様だと思っていたんだな?」
 心にも無いだろう罵りを口にして、永吉は長蔵を何とか不愉快にしようとしている。長蔵はひとつ、溜息をつくと永吉を正面から見据えた。
「俺がそういう風に思う奴だと、本気で考えるおまえじゃないだろうに、そんな憎まれ口を叩かせてしまって、本当にすまん、……腹が立つよな?」
「そりゃぁおまえ、……俺が、どんだけこいつのために、犠牲を、……信っじらんねぇ」
「すまん」
「命より大切なんだ、こいつは、……正直、俺の命をてめぇにやるのは良いんだ、こいつの命だけはやれねぇんだよ、わかるか、息子なんだ、……可愛くてしょうがねぇんだよ」
「ああ」
「この気持ちが異常なのはわかってるんだ、もう二百年も経ってるのに、どうしてまだ可愛いのか……」
「ふっ」
 少し涙ぐんだ永吉の訴えに、長蔵は微笑した。
 永吉が鋭い目で、長蔵を睨むと、長蔵は少し困った顔になり洋次郎を見た。
「何が可笑しい?!」
「永吉、もうやめよう、長蔵は悪くねぇから、……俺が、しつこく強請ったんだ」
 ついに洋次郎が声を上げると、長蔵が落ち着いたよく通る低い声で、はっきりこう言った。
「可愛いんじゃねぇだろう、……可哀相なんだろう?おまえの不幸を気にしてる洋次郎が」
「あ?」
「おまえら二人とも、哀れみあってんだ」
 ぐっ、と永吉が唇を噛んだのと、洋次郎が息をのんだのは同時だった。
「ずっと不毛だと思ってたが、こればっかりはお前らが歩み寄らねぇと、互いに互いを知らな過ぎる、おまえらどっちも、もう幸せなんだから、気に掛け合うのは終わりにしろ、キリがねぇ」
 長蔵は親子の、心臓の音を無視して、近くを通った店員に雑穀おにぎりセットを頼んだ。
「意味がわからん」
 永吉が炭酸の抜けた炭酸飲料のような、スカスカの声を上げると、長蔵はクツクツと肩を揺らした。
「あと、そうだ鶴、あのな、鬼李の坊はおまえを、幸せにしてぇらしい」
「俺だってあいつを幸せにしてぇよ」
「だからおまえらも、もうちょっと互いを知れ」
「あ?!」
「あっ、……わかる、俺はわかった。李帝と永吉はもう十分、幸せなんだってこと」
「ああ」
 長蔵の言いたい事を察知して叫ぶと、永吉はむっと口を窄めた。
「洋次郎に手を出してる事について、最初に俺を責めに来たのは李帝だった」
「……っ?!」
「鶴の親友の俺が、愛した者を愛で殺す俺が、よりによって鶴の大事な息子に手を出してやがるとは何事かって、殺されるかと思った。あの時の剣幕、見せてやりてぇ」
 思い出したのか、長蔵はうっすら額に汗を掻いて、瞬きを繰り返した。
 本当に怖かったのだろう。
「だからさ、俺は教えてやったんだよ、身を守るために、……真実を」
 相も変わらず飄々とした態度の長蔵に、永吉は怒りを削がれて来たようで、ちゃっかり長蔵の頼んだ雑穀おにぎりセットが来るとすぐ、付け合せの漬物を奪った。
「鶴は、もう親子の縁なんかに縛られてねぇって」
「は?!」
「洋次郎って一匹の可哀相な妖怪に、同情してるだけなんだぜって」
「意味がわからん」
「……、恋人が優しすぎて苦労しますよねぇ李帝さんも」
「ほんとに」
 タイミング良くやって来た鬼李は恐らく会話を聞いていた。
 定食屋にまた一人、浮いた存在が加わり、四人席の椅子が全て埋まった。大柄な長蔵の横に、すらりとしているが背の高い鬼李が座ると壁のよう。二人は視線を合わせると、やれやれという顔をして永吉を見た。
「おいおまえら、なんだ? 言いたいことあるんなら言え?」
 永吉が唸ると、長蔵が眉を下げた。
 鬼李が店員にすっと手を上げて長蔵の手に握られている雑穀おにぎりを指差した。同じものをください。
「つまり鶴は、洋次郎を可哀相に思ってるだけなんだよ」
 鬼李の指摘に、永吉が首を捻る。
「我が子だから、可愛いし可哀相なんだろ」
 永吉の反論に、長蔵が鬼李の言葉を引き取って続けた。
「おまえなら、よその子でも同じように可愛いがるし可哀想に思うだろってこと」
「そう」
「それで実際、洋次郎のことは可哀想と思わないでいいんだ」
 二人が息を合わせて指摘すると、永吉は渋い顔をした。
 オイお前ら、いつからそんな仲良くなったんだよと漏らし、二人を睨む。
「いやぁ、それがこの大妖怪様がね。どうも、俺の事も洋次郎の事も、ほんとは大嫌いな癖に、永吉と仲の良い奴とは良い関係築いておきたいらしくてね、接近してきてくれたんですよね。洋次郎の方には、この通り、こんな怯えられちゃってるけど」
「え、え……?!」
 つまり、と真相に気がついた瞬間、洋次郎はかっと頬が染まった。
 鬼李は洋次郎と、関係を改善しようとして洋次郎を訪ねて来た。
 それを洋次郎が、一方的に自分を殺しに来たのだと思って、慌てて永吉に保護を求めた。
 困惑している洋次郎の頭を、長蔵がぐしゃっと撫でてくれた。
「そういうわけだから、おまえはもう俺に愛されようとすんな」
 洋次郎が長蔵に殺されたがっていたことを、長蔵は見抜いていた。
「そ、……そんなんじゃ」
 ぐりぐりと強く撫でられて、ぼろぼろと涙が出た。
 死の優しさから突き放されて、恐ろしかった。
 長蔵という存在が、遠のいた事による、不安感。
「洋次郎」
 鬼李の声に顔を上げると、鬼李は永吉と目線を合わせて、それから洋次郎を見た。
「鶴が気に掛けている君の事を、俺も気に掛ける。いつでも頼りに来ると良い」
「俺の事、殺すとか言ってた癖に」
「過去の事だよ、互いに忘れよう?」
 どうして、この大人たちは優しいのか。どうして、優しくなれるのか。
 大変な目に遭わせたのに。
 責められもせず、手を差し伸べられたら、誰も俺を責めない変わりに俺が俺を責める。
「俺が、君を気に掛けるの、嫌?」
「嫌じゃない……」
 親子の縁は百年で切れる。
 親子の情も百年で切れる。
 情というものは、親子だから生まれるものではないのだと気がついた。
 永吉が洋次郎を愛する気持ちは、親子という枠を超えて妖怪と妖怪の。
 それは永吉が山神を気に掛けるのと、長蔵を気に掛けるのと、永吉を巡る全ての妖怪を気に掛けるのと同じで、尊くて有難い、失いたくない関心だ。
 同じだけの関心を、永吉に向けたい。

 洋次郎は以来、鬼李と永吉のもとを頻繁に訪れるようになった。



2015/06/15