からめ

『ここは居酒屋』(真面目×強気、過去の恋)

 

 尊敬しているけれど、恋愛するつもりのない男性から求愛された場合、皆さんはどう対処しますか。

 という質問を投げた居酒屋の一角。

 男だらけの座敷席で、全員が黙り込んで口に含んだビールを飲み下せずに、頬を膨らませている。

「なんて、もしもの話ですけど」

 直球過ぎた質問への、誤魔化しを口にしたら、狗賓種の優男、山神さんが神妙な顔で身を乗り出してきた。

「どなたかに迫られているんですか?」

 誤魔化しを一刀両断、本題に体当たりされ、俺はしどろもどろ、いや……その、と弱い声を出しそっぽを向いた。

 川越、時の鐘向かいにあるこの居酒屋は、明治から続く趣ある鳥料理屋で、『怪PR社』第一営業部の面々御用達だ。五、六人用の個室に区切られた座席に、予約席の札を立てて貰えば、人に邪魔される事なく寛げるのが魅力だった。

 テーブル真上にぶらさがった提灯の、ぼんやりした灯りが照らしている顔ぶれは以下の通りである。仏頂面の赤鬼部長、その右腕の麗しい鶴さん、木の葉天狗の木葉さん、狼種の俺、山神さん。総勢五人の席は、俺の投げた質問で白けていた。

「あの、もう、やめましょうこの話、変な事を聞きました」

 下を向いて、ジョッキに入ったビールを睨みながら声を張り上げると、どっと恥ずかしさが胸を襲った。金色に光を反射するビールの表面に、負けず嫌いで陰気な俺の、剣のある和顔がゆらゆら映った。

「『あやかし広告』の火紗は、おまえに何かして来たのか?」

 ふいに鶴さんの、形のいい唇から、問題の男の名が飛び出して俺はビクリと身を震わせた。

「げっ、相手、『あやかし広告』の妖怪かよ」

 木葉さんが顔を顰めるのと同時に、鶴さんが腕組みをほどき、赤鬼さんの空ジョッキを片付けた。

「……どうして、その、火紗さんと俺のこと?」

 どこまで知っているのか、疑問に思い聞いてみたが、鶴さんはテーブルの窓際に立てられた甘味のメニュー表を眺めるので忙しかった。

「親分は元岡引ですからね、栗犬、……さぁ、困っているなら、ここらで観念して相談なさい」

 山神さんが柔らかな声で、有無を言わせぬ台詞を吐き、木葉さんが「そうだぞ」と適当に話を合わせて来る。言うしかないのか。

 葛藤していたら、目の前にお猪口を差し出された。赤鬼部長が手に日本酒を持ち、不敵に笑っていた。

 鶴さんが甘味を頼み、山神さんが、親分いけません痛風になりますよ、と穏やかに叱るのを尻目に俺と赤鬼部長の飲み比べが始まった。

「栗犬」

 頬が殴られたように熱くなって来た頃、鶴さんのスルリと耳に入る、さっぱりして聞き取りやすい声がした。鶴さんは身を屈めて、俺の顔を覗き込んで来ていた。改めて見ると、鶴さんの睫毛は長く揃っており、キレ長の目の端を綺麗に飾っていた。ぽうっとその奇跡のようなバランスを眺める。鶴さんが美しいのは、赤鬼部長の寵愛を受けているからだろうか。恋する男は磨かれるっていう奴なのだろうか。などと二人が出来ているという噂を思い出して考える。こんな事を考えてしまうのは、全て火紗さんのせいだ。

 俺が、ひっ、としゃくりあげると、鶴さんは満足そうな顔で「ウン、良い感じに酔っ払ったな」と呟いた。

「火紗との関係、言い当ててやろうか」

「……ひっく」

 頭の中に幾枚も障子紙を張ったような酔いの中で、俺は返事をした。そわそわして、尻が寒い。

「おまえと火紗は江戸時代の『人休み』(ひとやすみ)中、目付と奉行の関係で出会った」

 はい、と言おうとして舌がもつれ、咄嗟にコクンと首を縦にした。いつも生真面目で生意気な俺がヘロヘロなのが面白かったのか、鶴さんはふっと口の端で笑った。それから自分に寄りかかって来た隣の赤鬼部長をぐいっと引き剥がした。

「おまえは火紗に憧れ、火紗もおまえを憎からず思っていた。二人は関係こそ持たなかったが、想い合う仲になった。だからせっかくの人休みを、子孫も作らずに終えてしまった。さらに惜しい事に、二人は互いに相手が妖怪と知らなかった。だから人として死に別れたまま離別していたが、最近になって妖怪として改めて出会い、火紗は素直におまえに迫ったがおまえは戸惑って逃げた」

 はい、と言おうとして固まる。頷いたら、俺は「戸惑って逃げている」事になる。出来たら「戸惑って逃げている」のではなく「困っている」事にしたい。

「おい大将、重ぇし熱ぃんだよ、シャンとしろ」

 また寄りかかって来た赤鬼部長に、鶴さんは今度は文句を言った。ぐー、という寝息で、赤鬼部長が返事をすると、鶴さんは顔を顰め、結局そのまま肩を貸してやった。

「火紗さんは……」

「おぅ」

 呟くと鶴さんは視線をこちらに戻し、懐手をした。

「火紗さんは貫禄ある古猫の火車種で、目付役であった人休みの頃は、鏡のように品行方正でした。おっしゃる通り、あ、憧れていた過去は、ありましたよ。それはもう、感じのよい方でしたから。でも、俺は……その清廉さに惹かれていたのであって。その、妖怪として会って見たら、厳しい雰囲気は残っていたものの、押しの強い遊人の一面もあって、えーっと、な、なんか、違うかなって」

「戸惑った」

「……」

「戸惑っただけだろう?それで嫌いになったわけじゃない」

「ええっと……」

 この問答はまずい。最終的に、戸惑いを解消して、火紗さんに流されるのが正解というような答えが出てしまう。

 絶対にそれは、避けなければならない。

「そう決めつけに掛かっては可哀相ですよ、親分」

 答えに窮している俺を不憫に思ったのか、山神さんが助け舟を出してくれ、俺は苦し紛れにキッと鶴さんを睨んだ。

「あの、俺、一応、火紗さんを拒絶したんです。でも、火紗さんの事は今でも尊敬していますし、大事に考えていますから、そこで困っているんです」

 すると、じっと黙って話を聞いていた木葉さんがじれったそうに口を開き、発言した。

「あのよぅ、良くわかんねぇんだけどよぅ、普通はな、意識した事もない野郎に迫られたりしたら一気に嫌ぇになるもんだろぉ」

 釣り上がった太い眉を寄せて、唸る木葉さんは少し青い顔で言った。

「例えば赤鬼部長に迫られてみろよ?」

 天狗種にしてはごつい顔の作りをしている木葉さんの、開いているのか瞑っているのかわからない細目が、糸切れのようにピクピクと瞬きで動く。相当、気色悪いと思っているのだろう。

「俺は無理だぜぇ?いっくら尊敬してても、顔も見たくねぇやってなるわな」

「でも、鶴さんは」

 無理じゃなかったんでしょう。と思って口走って、俺はハッとなり口を噤む。

「鶴さんは陰間だからな」

 木葉さんがハッキリと言い放ち、鶴さんの拳骨を頭に食らった。

「いってぇ、何するんですか」

「俺を罵るなら、痛い目見る覚悟つけてからな」

「別に罵ったんじゃないですよぉ、事実じゃないですか」

「うるせぇよ、てめぇ百まで寝小便してた事言われんのやだろぉが、それと同じだ小僧」

「あ、あ、あーっ、なんでそれ知っ……、言わないでくださいよぉ」

 渋い木葉さんの顔が、みるみる赤くなって行くので、鶴さんは肩を揺らして笑った。俺も一緒に笑った。

「おめぇら、うるせぇ」

 眠りこけていた赤鬼部長が、唸って鶴さんから体を離し、目覚めた。今度は鶴さんの体が、赤鬼部長の方に少し寄った。

 第一営業部の妖怪は皆、口には出さないが、赤鬼部長と鶴さんは、そういう仲なのだと思っている。その所以は元番(つがい)同士という前科があることと、こうした小さい事の積み重ねから。

「はい」

 急に手を上げた俺に、場の全員が同時に注目した。

「えっと、つかぬ事を伺いますが、その、お二人、赤鬼さんと鶴さんは、衆道の関係なんですか?」

「「あ?」」

 鶴さんは心なしか面白そうに、赤鬼さんは忌々しそうに同時に声を上げた。

「違ったらすいません、何かちょっと気になって、違いますよね、……?」

 赤鬼さんがボリボリと顎を掻き、鶴さんが腕を組んだ。

「あ、……なんか、ごめんなさい」

 山神さんに助けを求めると、困ったように笑っている。万事休す。鶴さんに胸ぐらを掴まれるか、下手をすると赤鬼部長に低い声で脅かされる。

「おまえ、どっからどう見て、俺と大将がデキてると思ったんだよ」

 予想外、鶴さんはばつの悪そうな顔で、理由を聞いて来た。どこからどう見ても出来ているように見えますが、と答えて良いか迷う。

「そういう仲の頃もあったが、今は違う、……」

 ぼそりと赤鬼部長が応じてくれ、さらに忌々しそうな顔で続けた。

「この陰間が浮気しやがったんだよ」

 うわぁ、と木葉さんが口に手を当てふざけ、山神さんが少し慌てたように鶴さんの様子を伺った。俺は大人の事情を知って衝撃を受けつつ、赤鬼部長を憐れに思った。

 鶴さんは今ではその事を反省しているのか、心なしかションボリと下を向いた。また、余計な質問をしてしまった。

「……親分、甘味が届きましたよ」

 丁度、店員から甘味を受け取ったばかりの山神さんが、にこりと笑って鶴さんの前に甘味を置いた。

 鶴さんの瞳にみるみる元気が戻り、俺は山神さんを拝む勢いで眺めた。山神さんは心配そうに、鶴さんを見ている。しかし、湧水で磨いた墨を落としたような、澄んだ鶴さんの黒目には、もう甘味しか映っていない。

「鶴、痛風になるぞ」

 赤鬼部長が脅かしたが、鶴さんはそれを無視して、もくもくと食べ始めた。

「親分、半分までですよ」

 山神さんの言葉に、ピタリとスプーンが止まる。

「半分食べたら、後は私が頂きます」

「山神、おまえ、甘いの苦手だろ」

「親分が痛風になっては困りますから」

「あ、それじゃぁ俺貰います」

 木葉さんが手を上げると、鶴さんは歯をむき出して顔を顰めた。赤鬼部長がぷっと噴出し、山神さんが助かりますと笑いを堪え応じた。

 木葉さんは先程の意趣返しとばかりに、まだ半分も減っていない状態の甘味を、さっさと鶴さんから奪った。

「これ、うまいっすねぇ」

 木葉さんは怖いもの知らずである。

 

 そこで、きゃぁーと高い声が聞こえ、我が『怪PR社』の誇る巨乳美女、第二営業部の飛頭さんが胸を揺すってこちらに急ぎ足でやって来た。

 一緒に火紗さんが居る。

「ワッ……?!」

 声を上げた俺を、山神さんがしっと唇に人差し指を当て叱った。

「ごめん永ちゃん、遅れたぁ」

「おう、こっちだ」

 火紗さんが俺の横に座り、飛頭さんが鶴さんの横に座った。

「お身内でお楽しみのところ失礼します、私は『あやかし広告』の火紗でございます」

 火紗さんが木葉さんにだけ名乗った。赤鬼部長と鶴さんとは、既に知り合いという風である。そこでやっと、俺は仕組まれた事に気がついた。赤鬼部長と鶴さんは、初めから俺に、火紗さんとの関係を吐かせる気でいたのだ。

飛頭ちゃんが一回、仕事で一緒になったんだ、その伝から来て貰ったんだよ、……いや、久しぶりだな火紗」

 前半で俺に説明をして、後半で火紗さんに挨拶をし、鶴さんは口端を上げた。飛頭さんが甘えるように鶴さんの腕に腕を絡めた。

「ご無沙汰しておりました、高輪の親分、相変わらずお綺麗で」

「ちっ、人休みで目付なんて高級職につくから、俺ぁ、その後、声が掛け辛くなったんだぞ」

「はは、申し訳ございません、一度やってみたかった職でございましたから」

 火紗さんと鶴さんの間で、ポンポンと交わされる弾んだ会話を聞きながら、俺は少し顔を曇らせた。いかにも知り合いという二人の様子が、俺の胸のうちにジワリと沁みを作って行くのだ。これの正体は、わかっているが、わかりたくない。

「おい栗犬、ヤキモチ妬いてねぇでちゃんと向き合え」

 赤鬼部長が、ズバリと指摘して来たために、俺は顔を上げて、ぶんぶんと手を目の前で振ってみせた。もう、放っておいて欲しい。

「ヤキモチか、嬉しいね、栗犬」

 火紗さんは古猫らしい鋭い三白眼を細め、色の黒い男顔を俺に近づけた。短く、ふわりとした火紗さんの髪が、窓から入って来た夜風に揺れ、香の薫りがした。

「少しやつれたかい?」

 悩みで二週間、飯がのどを通らなかったせいだろう。俺は眉を下げて、火紗さんを見た。

「貴方がやつれるような事を言うから」

 酔いのせいで、言葉にセーブが掛からず、俺は嘔吐するような不快を覚えながら、続けた。

「貴方が、俺の気持ちも知らないで……っ」

 皆が、固唾を飲んで身守っている、この環境が何とか、ブレーキを作っている。火紗さんをここ数日、避けていた分、伝えたい事が溜まっている。

「おい木葉ぁ、吐くならトイレにしろぉ」

 その時、突然、赤鬼部長が木葉さんに脈絡のない声を掛け、木葉さんがえっという顔をした。

 しかし、すぐに合点の言った表情を作ると、手を口に当て、すいませんと呻いて席を立った。その後を赤鬼部長が追う。

「おら、立てるか?」

 赤鬼部長に気遣われつつ、木葉さんが退室し、飛頭さんが心配そうに二人の後ろ姿を眺めた。すると今度は鶴さんが、うっと口に手を当てた。

「俺も具合悪ぃや、飛頭ちゃん肩貸してくんねーかなぁ」

「やだぁ、永ちゃん、大丈夫?」

 鶴さんと飛頭さんが席を立つと、いよいよ俺と火紗さんの他には山神さんしかいなくなり、彼が去ると二人きりにされる。

「山神さん」

 山神さんを縋るような目で見ると、ふわりと天狗種特有の下がり目で優雅に微笑まれてしまった。

「親分には、すぐに席を立つよう指示されていますが、一つだけ、忠告させて頂きます」

「忠告・・・?」

 山神さんは腰を上げ、俺達の向かいに座り直した。そして、鶴さんが飲み残した日本酒を引っ掛けると、ふぅ、と息を吐いた。

「栗犬は負けず嫌いで、強がる性格ですね」

 何を言われるのかと緊張して、火紗さんを見ると、火紗さんは真剣な目で山神さんを見ていた。

「なかなか、素直になれない」

 山神さんの言葉に、顔を顰めた俺とは逆に、火紗さんはウンウン、と力強く頷いた。

「親分と良く似ている」

 山神さんに言い切られ、俺は脳裏に俺の陰気な犬顔と、鶴さんの艶やかな人形顔を浮かべた。

「いや、全然、似てませんよ」

 眉を顰めて否定すると、山神さんは笑った。

「顔貌じゃありませんよ、性格の話です」

 それから急に困ったような、泣きそうな顔になった山神さんに、俺と火紗さんは二人して驚いた。こんな切ない表情をする山神さんは、見たことがない。

「栗犬、先程の貴方の質問に、赤鬼さんが、親分の浮気が原因で別れたという発言をした事、覚えていますか」

「はい」

 木葉さんがちょくちょくつまんでいたが、食い気より飲み気で進んでいた席には、鳥の叩き肉や釜飯がまだ残っていた。山神さんは少し考えてから、釜飯を椀に三つ分けて、俺と火紗さんと自分の前に置くと、箸を取った。

「あれは浮気じゃなくて、略奪だったんですよ」

 ぞっとする程、暗い声だった。

「幕末の頃、赤鬼さんと親分は衆道の関係にありました。そして赤鬼さんは攘夷を強行しており、西洋悪魔と至る所で戦っていたのです」

 あの頃、西洋悪魔達は強かった。肝を加工する技術がずっと進んでいて、自分の魔力を三倍、五倍にして闘っていた。また、肉弾戦を好む日本妖怪に対し、悪魔達はこれも、肝を加工して利用出来る、光線や波動という武器を使った。

「年々、日本妖怪はその数を減らし、赤鬼さんもまた、ある悪魔に敗れました。この悪魔が、赤鬼さんの色だった麗しい『鶴』、親分をまるでモノのように、戦勝品として本国に持ち帰ったのです。親分は格闘技が強いから皆さん忘れがちですが、鶴種は戦えるタイプの妖怪ではありません。赤鬼さんを倒す程の悪魔に、敵うはずがなく、その身を質にされたのです。用意周到な親分は、悪魔に攫われる際、半死人の赤鬼さんが自分を追って来ないよう、浮気に見せる努力をしました。一世一代の大芝居でした。親分は赤鬼さんに『人の皮』を二つ渡し、青鬼さんと使うようにと言い残して日本を発ちました。自分は悪魔に連れ去られて殺されると思っていたので、赤鬼さんのその後を青鬼さんに託したんです」

 山神さんはその場に居たのだろう、少し青ざめ、言葉を続けた。

「だから、私は赤鬼さんが親分を浮気者と責める度に、悔しくなるんです、あの浮気、いえ略奪で一番苦しんだのは親分だ。赤鬼さんのために身を犠牲にしたのに、それを責められる親分が不憫で仕方がない。でも、親分はその事実を隠します。真実を知れば、赤鬼さんが自分を責め、深く傷ついて思い悩む事がわかっているからです、あぁ、まったく、愛情とは厄介なものですね、何て不平等なんでしょう、惚れた弱みとはよく言ったものです、忌々しい」

 感情に任せて声に怒気を含ませる山神さんを、山神さんの話す、事の真相を、俺は胸を痛めながら見守った。店の中は客が減り、静かで寂しい音しかしなくなった。

「俺は鶴さん程、優しい理由で事実を隠してるわけじゃないですよ」

 何となく、山神さんが俺に伝えようとしている事がわかり、落ち着いた気持ちで言葉を選んだ。酒の酔いはもう完全に抜けていた。まさかここまで、掴まれているとはと苦い気持ちになっていた。

「火紗さん」

 横に座る火紗さんを見て、その眼差しの優しさに、胸が苦しくなる。やはり、火紗さんの気持ちに応えるのは、まずいような気がする。火紗さんは山神さんと視線を交わした。

 山神さんは、願うような顔をした。

「最終的に、判断するのは貴方ですよ、栗犬」

 高鳴る心臓の音に耳を傾け、言葉が口の中に充満するのを待った。どのように告白しよう。

 俺はとうに、言う事に決めていた。

「山神さん、鶴さんの話、……教えてくれてありがとうございます」

 俺はこれまで、俺の不幸に火紗さんを巻き込みたくないと思っていた、その一心だった。しかし気がついた。俺が火紗さんに隠していたい事実は、絶対に後でバレる事実だ。その時、火紗さんの苦しみは何れ程になるのだろう。鶴さんの秘密は永遠に隠しておけるものだが、俺の秘密は、どんなに俺が頑張って黙っていても、隠してはおけないもの。

「火紗さん、俺は近々消えてしまう妖怪です」

 慎重に言葉を選ぶ、自分の心が滅入らないように、火紗さんがショックを受けすぎないように。

「俺は、日本狼の幽霊が集合した妖怪でしたから、成分である日本狼が絶滅してしまっては、もう生き残れないんです、……今は肝を食って元気ですが、百年前と比べると体が消える発作なども頻繁にあって、医者には持ってあと十年程だと言われました」

 言い終わった俺の目には、涙が溜まっていた。自分を惜しむ気持ちの他、火紗さんに好かれているのに、悔しい気持ち、火紗さんの悲しみを想像して、苦しい気持ちから溢れた涙だった。

 火紗さんはゆっくり頷いて、そっと俺の手を握った。火紗さんの手の熱に感極まって、俺は思わずすみませんと呟いていた。堪らずに抱きつくとがっしりと抱き返される。

「教えてくれて、ありがとう」

 耳元に火紗さんの声がして、何だか幸せな気分になった。

「おまえが私を拒むのには、きっと何か理由があるのだろうと思っていた、けれど、恥ずかしい話だが、私は……もう好かれていないのかもしれないとも思っていて、ずっと不安だった。だから不謹慎にも、おまえの私を拒む理由が、私個人に依るものじゃなくて、少し喜んでしまったよ」

 火紗さんの声は、震えていた。

 恐怖の他に、感激が込められていて、言って良かったと目を瞑ると、火紗さんの心音が耳に届いた。

「私はおまえに、残りの時間を私と過ごした事を、幸せに思って貰えるよう、最大限の努力をすると誓う、だから一緒になってくれ」

 火紗さんに求愛されたのは二度目だ。一度目の時は、後ろめたくて何も言わずに逃げてしまった。

「はい」

 消え入りそうな声で、頷くと火紗さんは満足そうな笑みを見せて、ぎゅっと強く抱きしめて来た。火紗さんの体からする香の薫りの中で、俺は悔しさと嬉しさが溶け合って一つになるのを感じた。この人と過ごせるこの先の時間が、限られてしまう悲しさと、消える前にこの人と巡り会えて良かったという喜びと、心の中の思いは、非常にごちゃごちゃして整理が出来ない。ただ一つ、命が続く限り、この人に良い思いをさせたい。そして、消える時、この人と一緒で良かったと思いたい、という事だけは明白だった。

 真実を伝えた俺を見て、山神さんはほっとした顔をして席を立った。